甘露日記2001年1月
■2001/01/31 (水) 続センチメンタルな旅 |
今日は資料会。
「続センチメンタルな旅」と「FIVE GIRLS」の2冊が一緒になって出ていた(!)。それに気が付いてからはこの2冊だけに集中しようと決めた。
まず見てみると、封筒にはまだ2枚しか札は入っていない。よっしゃ、と自信をもって札を書き込んだ。しかし油断は許されなかった。一応一階の会場を見てまわって帰ってくるとさっきまでワタシを入れて3枚だった札はいつのまにか一杯になっていた。なぜ!?誰が入れたの??
そうか、たしかに様子を見ていると気になっている人は少なくないようだ。やっぱり安くは買えないんだろうな・・・。仕方なく札を上方に修正して改めを入れた。
そわそわしていると「甘露さん、買ってみなくちゃ。損をするかどうかなんて買ってみなきゃわかんないんだから。」と背中を押して下さる方有り。ご尤も!と、この後押しで腹をくくったワタシはすでにぱんぱんに張っていた封筒に覚悟の再改め札(4枚札)を入れた。感謝!
開札作業は進み、いよいよお目当ての本の番が回ってきた。結果、上から2番目の札でワタシに落ちてきた。落札である。そう、落札したのである!(^^;。ウウウ、落としてから顔色が抜けていくような気がした。買わずに後悔。買って後悔。どちらも地獄の三丁目だよなぁ。みんなビンボがわるいんや・・・。
落札したあと品物に寄っていくと、その金額をにわかに信じられないといった方がしげしげと品物を観察していた。確かにねぇ。尋常な値段じゃないよね。買った自分が一番そう思いますよ。すっかり顔色が抜けたとき、「甘露さん、買えてよかったね。」と笑顔で声をかけて頂いた。それでハッと我にかえった。そうそう、買った金額以上に損をすることはないんだ。がんばって売ることを考えてみよう。ちょっとだけ前向きになってから古書会館を後にした。もう足取りは軽かった。
■2001/01/30 (火) メールマガジン |
今日は週刊甘露書房メールマガジンの創刊号配布日。
先週の火曜日に荒木さんのページも書かずに何をやっていたかといえば、実にこのメールマガジンの準備号(サンプル)の体裁を考えていたわけ。
今日発行するにあたって、まだ原稿は半分しか上がっていない。これからこの日記をアップして、メルマガの冒頭に貼り付け、あとは新着情報である。古書ネットデータベースに入力されてる在庫からここ一週間の内に入荷した分をリストアップしてみようと思う。
そんなことを日記に書いてそれがそのまま配信されてしまうわけだから、なにがなんやら、という状態だけど、いずれ慣れていくでしょう。それまではどうかご堪忍ください。
■2001/01/29 (月) 愛書会は終わらない |
今日は一日倉庫で荷造り。
そう、愛書会はまだ終わっていないのだ。
午前中にS運送さんのトラックが店に横付けされた。愛書会の荷が帰ってきたのだ。ダンボール11箱。均一本がカーゴ一台分。下ろしたあと2階へ運び上げるのだが、この作業がまたツライ・・・(^^;。ただ、ダンボール箱に入れた本はほとんど売れなかったが、均一本は思ったよりも売れていたようだ。2/3くらいの分量になっていた。
午後からは送り分の荷造り。ひたすら作業である。BGMはYMOと井上陽水。エンドレスで聞いていると中毒になるね、絶対。YMOっていうとテクノポリスやライディーンばかりが有名だけど、ワタシが一番好きなアルバムはなんといっても「BGM」である。アルバム全体としての完成度が一番高いような気がする。「Cue」のタイトさも好きだが、「Mass」の哀しいメロディも捨てがたし。「U.T」での幸宏さんのドラムは”すごい”です。
陽水さんの曲が名曲揃いなのは言うまでもないけれど、やっぱり一番好きなアルバムは「氷の世界」だろーなー。寒さで画期的な色になったテレビを一度見てみたいものだ。単発で一番好きな曲は「ちえちゃん」。これも愁いを帯びたメロディと詩が秀逸です。倉木麻衣の聞き過ぎ(効きすぎ?)で男性ボーカルが聞きたくなったため(^^;。
先週の火曜日、まぐまぐにメールマガジンの申請をしておいたら、今日になって許可が下りた。いよいよ明日は創刊号の発行である。週刊まぐまぐを見たら新着のコーナーにうちのメルマガが載っている。いよいよ盛り上がってきた。さっき登録数を見たら70人もの方が購読の予約を入れてくれている。ますます盛り上がってきた(^^)。この気持ちを初心として忘れないようにしましょう!
実はまだ荷造りが終わっていないのである(21:30)。日付が変わるまでには終わらせたいなぁ。
■2001/01/28 (日) 休日 |
寝坊。
といっても、今日は日曜日だから寝ていてもいいのだ。本当はネ。
しかし、昨日の大雪のため、朝の雪かきという仕事をしなければならないはず(?)だった。朝、目が覚めるとすでに9時過ぎ。慌てて起き出して外を見ると全ては終わっていた。そう、お隣の布団屋さんがうちの前まで雪かきをしてくれていたのだ。バツの悪い想い。申し訳ないなぁ(^^;。9時間も惰眠をむさぼったバツだ。
今日は日吉のT急百貨店まで去年子供が生まれた友人の出産祝いを買いに行く予定があった。遅い朝食を食べ終えて昨日の愛書会の報告をいろいろしているうちにもう12時過ぎ。とりあえず女房子供をつれて東横線に乗り込んだ。
日吉の駅が百貨店になっている。その南館3階にある紅虎餃子房というお店に入って昼食。チャーハンとシュウマイがうまかった。
店を出るとすでに2時。A.V.V.というフランスのブランド(!)のベビー服を買ってから隣のUクロでお買い物。トレーナー2枚とセーターを買った。それだけで荷物は両手に一杯である。もう何も出来ない、と帰ることにした。途中、駅の旅行窓口の前にあったANAの「九州日和」のパンフレットが目に止まる。本上まなみを荒木さんが撮った写真があしらってあるのだ。トーンが全体的に暖色系に統一されていてちょうど彼女のキャラクターにあっている。癒し系の女のコも撮れるのね(^^)。
家に帰ると4時。「あそぼーよ」と訴える長男を尻目に、ワタシは座布団にゴロン。すると長女も真似してゴロン。一人で折り紙をする長男を置きっぱなしにして昼寝をしてしまった。やっぱり疲れているのかな・・・。
目が覚めかけてきた頃、ラサール石井のダミ声がする。そうか、もう「こち亀」の時間なんだ!上に羽織ったジャンパーもそのままに布団をかけて寝入っていたようだ。丁度3時間の昼寝。今日は12時間も睡眠をとったことになる。いくらなんでも寝すぎでしょ!
さんまのからくりTVを見ながら夕ご飯を食べ(今日はアジの開き)、こうして日記を書いている。
昨日雪でまったく売れなかった反動か。今日の店はいつもの倍以上の売上げがあったそうな。そのお客さんの買っぷりに面食らったオヤジは、値札を付けたまま本を渡してしまったという。こうしてインターネットの在庫表示はその正確さを失っていくわけだ(-^;。
先に謝っておきます。スイマセン・・・(^^;。
■2001/01/27 (土) 雪の愛書会 |
大雪である。
昨夜神楽坂から帰宅して寝たのは3:00。それでも目覚ましは容赦なく鳴り響く。眠い目をこすりながら何とか起き出すと雪が降っていた。嗚呼、何という事か!これでは商売にならないじゃないか!「雪だ雪だー」とはしゃぐ子供たちをうらやましく思いながら、暗い足取りで電車に乗り込んだ。
案の定売上げは上がっていかず、お客様はまばらにしかいない。棚の本はほとんど動くことなく一日が過ぎていった。
去る1月18日に当店とリンクもさせていただいているG堂さんの前社長がお亡くなりになった、と知る。
■2001/01/25 (木) 愛書会展並べと前日荷受 |
今日は愛書会展並べの日。
午前中に前金でご入金の本を梱包発送したあと、昼飯を食べてから一新会へ向かう。その間、店ではオヤジと母親が今回ご注文いただいた方の抽選作業をひたすら行っている。その作業が終わり次第、オヤジは抽選結果を持って古書会館へくることになっている。
一新会入札のあと、2階の古書展会場で3時ころから品物の並べを始める。合計6台である。そのうち半分を均一品に当てる。今回目録の総受注数は100を超えたそうである。ありがとうございます。
並べ終え、受注品に当選の札を貼って棚に並べ終わると5時ちょっと前。5時からは一階で明古の前日荷受が始まるのである。カーゴに何台というよりも2トントラックに一杯の荷物が縛られないままで搬入された。仕入先のお宅から直送というから、まさにウブ荷中のウブである。江戸東京関係、芸事関係、落語関係からトイレの研究書まで、堅いものからやーらかいものまで本が一階の半分を埋め尽くした。
幹事さん5人体制に経営員が4人ついて荷を分ける。
ワタシは今日の一新会の荷物をひたすら片付ける。一新会の荷が多かったので整理は難航したが、途中別の方の仕分けを入れたりしながらなんとか終えた。
作業は8時に終了。それは古書会館の最終閉館時間でもある。中華をご馳走になった。えびマヨはうまいなぁ。その席でいろいろな話になったが、やはり古書会館が今年取り壊され、仕事は実際どうなるんだろうねぇ、という事に話題が集中。確かに荷受やら搬出やら残置品やらどうなっていくんだろう。細かく考え出したら切りがなくなりそうだ。
建て変わった新会館は地下1階地上7階建てで、地下は古書展会場となるらしい。ただ詳しいことはこれからという段階だそうで、まだ変更も考えられるようだが・・・。
全てが新しくなってさっぱりする!という方と、環境が変わってしまって心配・・・という方に大きく分かれると思うが、ワタシはやはり後者だろうなぁ・・・。
■2001/01/24 (水) 愛書会展の搬出 |
今週末は愛書会展である。
駿河台下の東京古書会館で1月26日(金)27日(土)に開かれる愛書会展。今日はその荷物の搬出日にあたる。古書会館専属の運送屋、S運送さんが、展覧会の開かれる週の水曜昼過ぎ(つまり今日)に取りに来てくれるのだが、無論、それに間に合うように荷造り梱包のうえ、二階から一階へ下ろしておかなければならない。一口に”下ろしておく”というが、その全体量は回を追うごとに多くなっていく(ような気がする(^^;)。売れるから増やすのか、売れないから増えていってしまうのか。
まだ足が完治していない状況も手伝い、昨日の夜と今日の朝に作業を分けながらなんとか開店前には完了した。
S運送さんは到着前にケータイで連絡をくれる。「あと15分です」と言われてから段ボール箱に梱包した分は出口付近にまで移動する。今日は晴れてよかった。雨でも降った日には「本が汚れる!」とオヤジが大騒ぎしてビニール袋で本を梱包しなければいけなくなるのだ。出口からトラックまでほんの1,2秒の時間でさえ気になるらしい。本屋としてそれがアタリマエとも言えるが・・・。とにかく搬出の日は晴れてくれなければ困るわけ。
搬出が終了してから東横線に飛び乗る。古書会館に到着は2時ちょっと前。当然開札は始まっていた。月曜日に売れなかった歴史書とカメラ書を今日の市にスライド出品したのだが、そのどちらもほぼ予想した値段で売れていた。ああ、良かった。
明日は愛書会展の並べの日である。並べ終わったあとは金曜日の明古出品の荷の仕分け作業が待っている。まったく我ながらよく働くよなぁ・・・(^^;。いやいや、若いときの苦労は買ってでもしろ!という諺があるじゃないか。苦労が向こうからやってきてくれるのだがらありがたいと思わなきゃね・・・!(^^;。オイオイほんとかぁ?
■2001/01/23 (火) 更新の火曜日 |
昨日買ってきた本、最近入荷した本をデータベースに入力している。
そういえばもうすぐ愛書会である。明日の荷物運送に備えて今日の夜には荷物を一階に下ろさなければならない。この作業が実は一番大変である。幸いにしてここ一週間痛んでいた左足はマッサージの甲斐あってか、完治までは行かないものの、痛みが収まっている。そうそう、出品する均一本も後残りを縛らなければ・・・。やることだけは結構ある。段取りを考えて何とかこなす事が第一。順調に売れてくれればなおいいのだが・・・。
いろいろな思い出がある現古書会館での愛書会もあと5回で終わり。建て替えの2年間は一ツ橋の教育会館へ古書展全てが引っ越すことになった。
愛書会が終わると今度は甘露通信(紙版)を発送しなければならない。インターネット版でのご注文がなかなかない以上、紙目録での受注は欠かせない。あれこれと次から次へやるべきことが向こうからやってくる。
今日はあえて荒木さんのページ更新をやめた。いいかげんな事を書き飛ばしているように見えて、実は一本書くのに半日もの時間をかけていて、反応の少なさから更新作業に負担を感じていたのだ。たまにはサボってデータの入力に当てなければいけないと判断したからでもある。「半日もかけてあの程度かよ!」という声が聞こえてきそうだが、何度も何度も推敲しているうちにそれくらい時間が経ってしまっている、というのが本当だ。アップしてからも読み直し、変な表現はないか、てにおははうまく繋がっているかなど細かくチェックしている。それだけ手をかけた”あの程度のページ”制作に四苦八苦するならば、もう少し売上げに貢献できる作業をした方がいい。とにかく今日は書くのをやめた。
これから古本屋ってどうなっていくのだろうなぁ。憂鬱な曇り空をながめながらガラガラの店内で一人想う。
■2001/01/22 (月) 晴れた月曜日 |
今日は中央市会である。
先週土曜日に出品した分の開札日。ダブリ本、棚ずれ本、倉庫からの出土本ばかり(^^;。売れ残らなければいいんだけど・・・。
例によって、長大な空き時間に秋葉原をうろつく。別段欲しいものなどないし、あったとしてもちょっと欲しいとおもっている大型テレビ導入のためには非現実的なお金を支払わなければならないので、「見てるだけー」である(^^;。ま、でも何時行っても人が多いね、秋葉原は。
しっかし、大助クンは英語を喋る時とってもイキイキしてたなー。ワタシの食券をイヤイヤ取りにきたときとは大違いだったゾぉ。意外な人が意外にも英語ベラベラだったことに驚くの巻。でもネイティヴには聞こえにくい英語のようだったナ(^^;。
それから市場に戻ると、13点のうち11点が売れていた。やれやれ、なんとか今回もうまくいったようだ。
■2001/01/21 (日) 足の具合 |
未だ原因がわからない左足の痛みに改善の兆し。
どこかにぶつけたのか、くじいたのか、よくわからないながらも先々週の明古あたりから痛み始めていた左足は、昨日一昨日に痛みのピークを迎えた。このままではイカン!と昨日の夜にかなり念入りにマッサージを施した。両足を見比べてみると確かに左足は親指下で腫れているらしく、その分だけ甲高になっていた。外ではしんしんと雪が降る。雪かきしたくないなぁ。
今朝、起きてみると雪は思ったほど残っていない。空は晴れている。これなら雪かきの必要もない。足も痛いから雪かきをしなくて良くなりホッとしていると、そういえば足が思ったほど痛くない。ん!少しながら痛みが薄らいでいる。そうか、昨日のマッサージが効いたようだ。やっぱり親指周辺のスジを痛めたのだろう。またマッサージをしながら湿布を張りなおした。
子供たちは久しぶりの雪に大はしゃぎ。ジャンバーを着て手袋をつけたらすぐに屋上へ出る。雪は明け方の寒気で凍ってバリバリになっていたが、そんなことはお構いなし。早速バケツに雪を詰め込み、シャベルでバンバン叩くとひっくり返して即席の雪だるまを作ってしまった。ん、なるほどね。丸めるだけが雪だるまじゃない。こうすれば手もあまり冷たくならずに済むよなぁ。ビッグミニで記念撮影。普通に立っててね!と注文をつけると、長男は誇らしげにちゃんと立っているのだが、長女はイーと顔をわざと崩そうとする。たしかワタシの弟も写真に取られるときには同じようにふざけていたっけ。下の子とはそうなるもののようだ(^^;。
朝飯を食べるとすでに10時すぎ。また一日のペースが乱れてしまった。近くのファミレスで昼飯を食べて帰ってくると時計は3時を過ぎていた。2ヶ月ぶりに近くの床屋へ行き、本屋でパソコン関係の雑誌を買う。フレッツISDNとADSLという二つの常時接続回線の比較記事が載っていたからである。この間NTTのiプラン3000に入ったのだが、その後この常時接続プランが来月から3600円に値下げされると新聞で知った。調べてみてからそちらに移行するつもりだ。
でももっと安くならないのかなぁ。これだけ普及しているシステムである。まだまだ高いでしょ!
今日明日中に足を治さないと、火曜日夜には恐怖の愛書会展の荷下ろしが控えている。ヤベェ(^^;。
■2001/01/20 (土) あ。雪・・・。 |
寝坊。
昨日HIDEさんに家まで送って頂いてからついつい日記を書いてしまい、今朝長男が学校へ出かける時間になっても布団の中で睡魔と格闘することに・・・(^^;。
10時過ぎ、おととい半日かけて作っておいた出品用の荷物をナディアに載せて古書会館へ運ぶ。クルマを取りに行くときも足を引きずって歩く。なかなか治らないなぁ。月曜日に近くの外科へ行ってみるか。
昨日K書房のK村さんに頂いた即売展の目録を見た。なんと紙上オークションを開催しているではないか。なかなかすごいアイディアだと思う。これが成功すればあちこちでこうした企画が立ち上がることになるかもしれない。どうかがんばって下さい。
画期的な企画がいくつも入っている目録に刺激されて、よっしゃうちも!と行きたいところだが、まずは明朝の雪かきの心配が先。トホホォ。
■2001/01/19 (金) カラオケタイム! |
金曜日は明古だ。
出品点数は900点ほど。今日からOさんは初(?)の前半フリー。主任が記号表になったのでワタシも地方荷を見ながらの後半フリーとなった。
特段の要仕分け荷もなく、作業は順調に進みそのままのペースで5時には全て片付いた。
オヤジから「文学書も買えよ」との指示を受けていたワタシは、やっぱ買わなきゃダメか、と仕方なく(?)札を絞る。結局今日は数点の限定本(福永武彦と庄野潤三の署名入)と江戸東京関係本をいくつか落札。
仕事が終わったあとは靖国通りとすずらん通りに挿まれた路地にある中華でお食事会。ここは十数人が飲んで食べて2万円代で済むいいお店。そのあとHIDEさんのお誘いでカラオケへ。明大通りのカラオケ館へ繰り出す。初登場のM井クンは意表を突いて奥田民生のパパは金持ちとかをヘーゼンと歌い、ネプチューンの日本人は胃腸が弱いも熱唱とは程遠い調子で淡々と歌いきった(^^;。HIDEさんも負けじとミニモニを繰り出すが、途中乱入のSくんがでかい声でガッチャマンの替え歌を熱唱!一挙に部屋の気温が5度上がり一同汗だくになってしまった(^^;。Oさん、吉川晃司を歌ったあとの”生まれたてのヒヨコ”にはご用心!
帰りはHIDEさんのバリバリにチューンされたボルボで新丸子までお送りいただいた。ありがとうございました!
■2001/01/18 (木) 一日倉庫、一日倉木 |
足の痛みは収まっていない。
今日は木曜日で一新会の日だったが、サボってしまった(^^;。もちろん店でボーっと過ごしていたわけではない。前々からの懸案であった倉庫の不用品の整理を丸一日かけてしたのである。
出るは出るは・・・(^^;。そーいやこんなの買ったっけなーという本との数年ぶりの対面。倉庫整理もいいな。
で、そんな暢気なまま仕事は続けられない。不要なもの、有用なものに仕分けし、縛り上げる。一人黙々とBGMに倉木麻衣をエンドレスで聞きながら作業をしていたわけです(^^;。足が治らないなぁ。明日の明古どーしよ(^^;。
正月から続いていた女房の熱は、先日医者に注射を一本打ってもらったら治ってしまった。なあんだ、そんなことならもっと早く打ってくれたらいいのにぃー!
■2001/01/17 (水) 今日も仕入れ |
先週の金曜日あたりから痛くなっていた左足は徐々に痛みを増し、昨日になって急速に悪化した。
原因は不明。なんだろうなぁ。別にどこかに打ち付けたわけでもなし。痛いのは足の裏の親指付け根のあたりで、踏ん張ろうとしても踏ん張れなくなっている。片足がうまくないと今度はなんでもなかった足にも負担をかけるというから、今はなんでもない右足もいたわってやる必要がありそうだ。両足ダメになったらどうしよー(^^;。
そんな足を湿布してなだめながら、今日もまた近くまで今年3回目の仕入れに出かけた。
お部屋にはカメラ機材も多く、水を向けるとカメラの話が始まった。そんな話をしながらねばっていると「じゃ、これも売っちゃおうかな」とカメラ関係の本も少し売ってくださった。ありがたや。
続けざまに「ペンタコン6があるんだけど買わないか?」と言われたが、ペンタコン6とはもちろん本ではない。今はなき国家東ドイツ製6x6スクエアフォーマットの一眼レフカメラである。「このカメラのレンズがまた良くてねー」と講釈は続くのだが、いえいえ(^^;うちは本屋ですから・・・と遠慮させてもらった。そんなの買って帰ったら「何処へ行ってきたのだ?」とオヤジにどやされてしまう。
帰ってからすぐに今日前金にてご入金分の書籍を梱包。発送は母親に任せ、ワタシは食事をしてすぐに古書会館へ飛ぶ。到着は開札時間ぎりぎりの13:30。しかしすでに開札は始まっていた。出鼻をくじかれると後が続かない・・・。
帰り際に月曜に売った荷物の代金を受け取る。土曜日の荷物には助かった。
■2001/01/16 (火) 更新の火曜日 |
やらないようにしようと思っていた荒木さんページの更新してしまった(^^;。
つい先週更新をお休みする、と書いたばかりである。もちろん書けたのには訳がある。「AKT-TOKYO」のカタログをお借りすることが出来たからなのだ。そう、あの曰くつきのカタログである。
■2001/01/15 (月) 中央市会 |
今日は土曜日に出品しておいた荷物の開札日である。
充分の余裕を持った仕入れだったので、今日はむしろ安心してみていることが出来た。 開札はあと少しを残すのみ。品物的にカメラ関係の本しか入札できなかったのだが、めぼしい物はみな落札できた。で、肝心のうちの出品した荷物が、ほとんど売れてくれた。良かった。
なんと!女房の風邪はまだ治りません。今日も子供たちと長風呂してのぼせたぁー(^^;。
■2001/01/14 (日) 風邪な休日と10万ヒット |
正月から女房の風邪がしつこくて悩まされている。
なかなか治らないのだ。今まで2人で分担していた仕事の比率が片方が倒れることで変わるのは、もう片方をつぶす結果にまで繋がっていく(かもしれない(^^;)。ワタシはまだつぶれていないが、仕事は全く変わらないペースで被さってくるだけに、根性とスタミナの闘いになっている。早く女房の風邪が治ることを祈るしかない。
幸い子供は元気を取り戻している。幸いとは書いたが、それは両刃の刃であり、休みともなれば”あそぼー攻撃”にあうこととなる。疲れて休みたいワタシとしては仕方なく、ビデオ屋さんの御世話になるわけだ(^^;。軟弱だなぁ。
今日は寒かった。屋上に干した洗濯物は強風にあおられて下に落ちていた。洗い直しである(^^;。モー!
本日めでたく10万ヒットを達成。それもこれも、来訪してくれた皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。どうかこれからもよろしくお願いします。
■2001/01/13 (土) 仕入れ |
今年二度目の仕入れに出かけた。
住宅地の一角。お代金をお支払いして2時間ほどでナディア一杯に積み込み帰ってくる。有難うございます。
食事をし、早速仕分けに取り掛かる。主に全集が多かったので、月報の確認作業と同時に巻数の目を揃える。出来上がったものから縛って入札封筒を付けていった。ついでに、とばかり店の在庫も少し縛りつつ、作業は16時半前には終わった。そのあとクルマで古書会館へ出発。月曜日の中央市会に出品するためである。
神保町に到着すると、ちょうど古書展の撤収時間と重なった。プラットホームに入るのは難しく、仕方なく玄関口から運び入れることにした。何回も繰り返しているうちに見るに見かねたのか、Aさんが手伝ってくれた。S運送さんにも台車を貸して頂いた。感謝感謝です!
帰ってくると19:30。女房はまだ治らず寝ていたので、帰るなり長男を連れて東急ストアで弁当を買う。丁度駅弁大会をやっていて、富山のますの鮨が600円に値引きされていたからそれを買い込み、サラダ軍艦巻き、手巻き寿司の折を買った。なかなか治らない女房の風邪。なんとか食欲が衰えていないのが救いである。
今日も子供たち二人を連れて風呂に入った・・・(^^;。長風呂でのぼせ気味。
■2001/01/12 (金) 明古初市 |
今日から明古が始まった。
さすがに荷物は少な目であったが、優品は数多く並んだ。
終わったあと、今年10月に古書会館が取り壊されるため、それに向けて明古の備品を整理した。それこそ3年以上前の大市資料なども”発掘”され、なつかしー、という雰囲気が生まれる。基本的には前年の資料が残っていれば用が足りるため、それ以外は破棄となった。10月に取り壊された古書会館は2年かけて新会館へと建て直る。その間は仮会場に移るとのこと。
仕事がはねたあとは飲み会。おでんやさんである。おでんやというとちょっと洒落た感じのお店が流行っているようだが、ここはご夫婦でやっている忙しいお店である。鳥の唐揚げやコロッケ、などの御惣菜っぽいものまで置いてあるので冬の間はこのお店を月一くらいで訪れる。
寒い日におでんはイイ(^^)。良く味のしみたあつあつの大根をほおばるのが正解。凝った味付けしていないからいつ来ても飽きない。
帰る頃、のどがひりひりと痛くなっていた。タバコでのどがやられたようだ。そういえばワタシは吸わなくても副流煙で店内は真っ白になっていたっけ。(^^; 気がつけば声がガラガラとだみ声になっていた。こりゃやっぱり女房の風邪がうつったかなぁ・・・。
さてさて、明日は間髪を入れず、近くまで買い入れである。早く寝て体調を整えておかなければいけない!
■2001/01/11 (木) 一新会初市 |
一新会は今年一発目をウルトラ市に当てた。
例年ならばほとんど荷物が集まらない市会になってしまうのだが、今日は山岳書の一口が入るなど盛会だった。オヤジの命を受けて何点か入札したのだが、さてどれくらい落とせているだろうか。(全然ダメだったりして・・・(^^;)
今日の朝は7時起きして長男を学校へ送り出した。今日から給食が始まるのだという。助かった・・・(^^;。
そんなことから思いがけない早起きと家事のため、ちょっと眠かったりして余裕がない。
■2001/01/10 (水) 女房再び倒れる |
一旦快方に向かった女房の風邪は、熱が出始めたことで逆戻りした。
午前中に医者へ行くと出て行ったきり、ワタシは資料会へ出掛けてしまっていた。4時前に帰ってくると長女が「おかえりー」と勢い良く飛び出してきたと思ったら「おかあちゃん寝てる」と寂しそうに話した。部屋に入ると布団が敷かれ、真っ赤な顔をして女房は寝ていた。医者には気管支までウィルスが行っていると言われ、それが原因で熱が出ているらしい。要は肺炎の一歩手前である。
そこからは仕事も半分である。夕食のために女房のリクエストのうどんを買いに出る。ワタシと長男はカレーうどんにしよう。女房には何がいいかなー。うーん、思いつかない。えびのカキアゲでいいか。カレーはポケモンカレー。おまけ目当てである。ワタシはその横にあったカリー工房・・・だったかな。とにかく一番安いのを買った。
倉庫で今度の愛書会の荷物を作っているともう18時半。長男が恐る恐る下りてきて「お腹減った」と、夕食の催促。仕方なし、作ることにした。冷蔵庫を覗くと、なんと、めんつゆが切れているではないか。仕方ないので粉末出汁と醤油、酒、みりん、砂糖、塩を適当に入れて自分でつゆを作った。うどんをそのつゆにつっこみ、カレーはレトルトなので湯で温める。少し薄いような気がしたつゆだったが、皆残さず食べてくれた。後片付けは冷たいので水は使えず、湯沸し機で洗う。そのあとは明日の朝飯のために米を仕掛けた。タイマーは6時半にセット。明日は7時起きで子供の飯の世話である。(^^;
やれやれ、と休めない。そのあとは風呂である。子供2人と一緒に風呂に入ったのだ。女房はいつも3人で入るらしいが、ワタシと女房では体積が違う。小さい湯船にぎゅうぎゅう詰めだ。しかし、案外事情を察知したのか、子供たちはワタシに協力的でスムーズに上がることが出来たが・・・。そう!その時出た洗濯物は明日の仕事になる。(^^;
それから布団敷き、子供たちの歯磨き、寝る前の絵本読み、と仕事は際限がない。普段これだけのルーチンを女房はこなしているのか、と思うと、ワタシは楽をさせてもらっているんだなぁ。
■2001/01/10 (水) 神保町昼飯事情 |
水曜日は資料会である。
古書会館へ行く前に昼飯を食べずに出てきたため「いもや」で天丼を食べる事にした。神保町に限らず神田界隈には10数店舗を構えるいもやには、とんかつとてんぷら定食、天丼の3種類がある。一番よく行ったのは値段の一番安い天丼いもやだった。
白山通り沿いの有名なさぶちゃんラーメンの隣にある「天丼いもや」には、4年間の友愛書房修行時代に良くお世話になった。甘露書房に戻ってからは昼飯を食べて出かけるのが普通になり自然に足が遠のいてしまったが、もちろんいまだに好きな味である。
寒空で冷えた手をこすりながら暖かい店内に入る。20代から60過ぎのおじいちゃんまで実に幅広い年代の方がカウンターに座って黙々と天丼を食べている。いつもなら店の外にまで繋がる行列も見られず、昼時の割りには意外に空いており、5分ほど並んだら席に着く事が出来た。
えび、きす、いか、海苔の4品としじみの赤だし付きで500円。白木のカウンターの向こう側にある大きなてんぷら鍋で揚げたてたアツアツがそのままご飯に乗っかってくる。カウンターにあるつぼ漬けと紅生姜は取り放題なのでたっぷりと盛る。ここであわてていかを頬張ってしまうと火傷してしまうから注意が必要だ。とにかく熱いのである。ワタシは経験から冷め易い順で、きす、海苔、えび、いかと食べていくことに決めている。そりゃ味は高級店並みというわけにはいかないが、慣れ親しんだ懐かしい味がする。修行時代には海苔がピーマンだったことなどを思い出しながらカリカリに揚がっているえびの尻尾を齧る。
食べ終わったらお茶を飲んでさっさと席を立たなければいけない。いつの間にか、ワタシの背中には順番待ちのお客が鈴なりに並んでいたのである。
まだ天丼の大盛りを平気で食べることが出来た10年も前の懐かしい思い出だ。(今じゃとても無理無理!(^^;)
■2001/01/09 (火) 更新の火曜日 |
今年最初の更新日がやってきた。
半分書いておいたから油断していた「TOKYO NUDE」だが、思ったよりも書くのに時間がかかってしまった。できれば写真集一冊一冊の感想を違う言葉で綴りたいという気持ちがあって、それが書くスピードを落としていることに気がついた。撮影者の荒木さんはむしろ一貫して東京に自分の想いを投影しながら描き続けている。そのために似たような印象を持っても本当は仕方ないのだ。まして、写真集から受ける感想なんて「いいよね」とか「この感じが好きなんだ」という曖昧で抽象的なものになるのがむしろ当たり前。
一年以上毎週休まず更新を続けていた荒木さんページだが、このあたりで少しペースを変えさせていただきたいと考えている。楽しみでやっていたこの仕事だったが、いつしか書きたかったことも書き尽くしてきた。アクセスカウンターの数字が大幅に伸び、「荒木経惟」のキーワードで検索サイトの上位をキープ出来ているものの、大勢の方から反応を得られたという実感が湧いてこないという想いもある。
こんなことを書いておきながらちゃっかり来週の火曜日にも更新をしているかもしれない。もちろんそれもありである。毎週更新を義務として自分に課すことは止めにしたい、ということだ。
ずーっとサボっていたカメラのページの更新をしたい、という気持ちもある。結局は毎週火曜日が「更新の火曜日」になりそうなのであるが・・・。(^^;
というわけで(?)、10万ヒット企画はやらないことにしました。ゴメンネ、HIDEさん・・・(^^;。
■2001/01/08 (月) 初市 |
今日から古書業界は本格始動である。
成人の日だというが今日は8日である。3連休を作るために15日は廃止になったらしい。
中央市会はあまり出品もなく、閑散とした様子だった。
なんかのどが痛いしカラダがだるいような気がするなぁ。
■2001/01/07 (日) また休み |
朝から曇り。憂鬱な日だ。
昨日倒れた女房は今朝には回復したが、大事をとって一日静養させることにした。それはつまり、あらぶる子供たちの相手はワタシがしなければならないということを意味する。これがまた大変なんだ・・・(^^;。
正月に見たTVで妙に印象に残っているのが村上龍のRYU’S BARというトーク番組の中でのひとコマだった。ゲストの坂本龍一氏が市場社会について語っていた。要はこうである。すべての価値観がおカネという概念で評価することが市場化であるが、戦後一貫して市場社会化が急なペースで進められ、大量生産大量消費の社会が出来上がったが、すでに需要は飽和状態近くなっている。それでもなお品物を売ろうとするにはどうしたらいいか。例えば一家4人に一台だったTVをさらに売りたければその一家を一人一人に分断してしまえばあと3台の需要が生まれる、と考えるのである。プライバシーという横文字が出現した。それは大部屋からカギ付き個室へというライフスタイルが大転換していくことを意味する。それと同じ考え方で、新築マンションを売りたければ都会で一人暮らしする楽しさをトレンディー系ドラマなどを制作して宣伝する。主人公の暮らしている夜景の綺麗な都会のマンション。使っているケータイ。憧れの人の真似をすることで自分にもかっこいいドラマのような生活がもたらされる。そんな錯覚をしてもおかしくないような作り方である。結果、集団から切り離されただけの「個人」が大量に発生してしまった。一見時代の流れのように感じていた家族崩壊とは、メーカーのマスメディアを十二分に活用した”売らんかな宣伝”の賜物だった、というわけ。・・・聞いていてなんだか恐ろしくなった。
夜になり雨は雪に変わった。
■2001/01/06 (土) 仕入れ、有り |
さて、今日は近所まで本年最初の仕入れに出かけてきた。
書斎として使っておられる部屋に通されると本が綺麗に整理されていた。サイドボードにはウィスキーと50mmリジットズミクロン付きライカM3。反対の棚にはでかいスピーカーとでかいアンプ、それに大量のレコードが蓄えられている。なかなかの趣味人な方とお見受けした。冊数にして40冊程度であったが良い本があった。
ワタシも持っているのでライカについてお話を伺うと、やはりM2とM3でどちらを買うか迷われたらしい。ライカの究極としてM3があることについてはワタシと同意見だった。そして同じように35mmレンズを使うかどうか、ということに悩まれたのだそうだ。眼鏡付き35mmズミクロンのモノとしての立ち上がりは素晴らしいが、使いにくいことは確かなのである。
帰ってくると女房の様子がおかしい。気持ち悪い、とか言っている。どうやら子供たちがかかった嘔吐病(仮名)を伝染されたらしかった。女房に倒れられるとワタシが困る。早速寝かしつけ、七草粥を母親に作ってもらって食べさせた。早く回復してくれぇー。
■2001/01/05 (金) 発病 |
やっと長女の嘔吐が治ったと思ったら、今朝急に長男が吐いた。長女の発病から4日経っている。どうやら潜伏期間は4日らしい。ワタシも4日後は気をつけなければいけない。
■2001/01/04 (木) 今日から開店 |
今日から甘露書房は開店である。
毎年松の内の7日までは2000円以上お買い上げの方にタオルを進呈することにしている。40本も用意してしまったらしいのだが、7日までにそれだけの方が来店していただけるのだろうか・・・(^^;。なくなり次第終了ですので、どうかご了承くださいまし。
店は今日からだが、市場は来週の月曜日から。年末に本の値付けをがんばってしまったので、市場が始まるまでは今月の愛書会出品分均一本の整理をするくらいしか仕事が残っていない。オヤジの目の前でHPの更新作業をするのも気が引けるので、とりあえず今度明古通信という明治古典会が業者向けに出している機関紙の原稿を書き上げた。「400字詰原稿用紙2枚を目安に」と言われていたけど、倍の4枚になってしまった・・・。この日記のように書きたいことを全部書き込もうとするからこういうことになる。編集される方の苦笑いが見えてくるようだ(^^;。
ゴミを出した後、メールチェックをして、返事を書いてから部屋に戻ると、女房子供はまだ夢の中。時間はすでに9:30を過ぎていた。おいおい、今日から仕事なんだぞぉー。(^^;
■2001/01/03 (水) 今日までお休み |
いよいよ年に一度のお休み期間は今日まで。
何も予定がないなんていうのもたまにはいいものだ。昨日今日と必要以上にのんびりさせてもらっている。
朝10時過ぎにメールチェックしているとTEL。誰かと思えば長男のお友達(女の子)からだった。たしか年末にも電話が架かって来ていた。遅い朝食を摂るなりその子のうちへ遊びに出かけていった。やれやれ助かった。これでゆっくり出来るというもの。
午後2時すぎまではひたすら箱根駅伝を見た。戸塚から鶴見までの間に順天堂と駒沢がデットヒートし、抜きつ抜かれつの死闘を演じ、最後にスパートをかけた駒沢は20秒の差をつけて中継所に飛び込んだ。すばらしい走りだった。しかしそのあとを受けたランナーは力不足であっさり順天堂に首位を譲り、その差は開くばかり。総合優勝はそのまま順天堂の頭上に輝いた。
沿道には見物人が幾重にも重なり小旗を振っていた。もしうちのそばを駅伝が通過すると知っていてもわざわざ人ごみの中へ出掛けていくだろうか。そう考えてみると、走る、という非常にプリミティブな競技なのに不思議と人の関心を呼んでいて面白いと思った。いや、むしろ原始的だからこそ人間の本能に訴えてくるのかもしれない。かく言うワタシも最後までTVをつけっぱなしで見てしまった。
1月1日付けで甘露通信の在庫をアップデートしたのだが、この休業期間中に沢山のご注文をメールにて頂いている。ありがとうございます。
体調を崩していた長女は今日になって食欲を取り戻し、あと一息というところまで回復した。
■2001/01/02 (火) 一日のんびり |
長女の病気のおかげ(^^;でのんびりとした正月を過ごせている。
毎年2日は女房の実家へ出かけるので、本当は忙しいのである。今年はそれがキャンセルになった。
年末に借りておいた「マトリックス」のDVDを深夜に見た。
気持ちよく寝坊した朝。TVでは箱根駅伝をやっている。法政が快走し、芦ノ湖のゴール直前までがんばったが、最後に驚異的な走りを見せた中央大の藤原と順天堂に抜かれて3位。気がつけば午後2時である。
遊ぼうとせっつく長男を連れて多摩川河川敷で3時過ぎまでサッカーをして遊ぶ。風がすごく強く、凧揚げしている家族は苦戦していた。こんな日でもバーベキューをしている方々がいらっしゃったが、お風邪を召されませんように。
昨日断続的に嘔吐した長女はひたすら眠り続けた。たまに起き出したと思えば水を飲んでまた寝るの繰り返し。
■2001/01/01 (月) 新世紀 |
今日は平成13年正月元旦であると同時に、新世紀の初日である。
しかし、例年と何も変わらない新年の風景があった。除夜の鐘が鳴り響く中、大行列に混じって初詣をするほどの体力がないワタシたち家族は、新世紀だというのに寝正月を決め込んだ。朝起きるとTVで駅伝が行われており、富士通の第二区でタカハシケンイチというワタシと漢字一字違いの走者がトップを快走しており、アナウンサーはその名前を連呼し、何か変な気持ちになった。
毎年元旦の昼飯は歩いて5分のワタシの実家でおせちを食べる。それまでのツナギに駅伝のスポンサー製のパンを食べるなんて話がなんともデキスギている。TVでは相変わらずタカハシケンイチさんが走っていた。
子供にお年玉をあげた。教育上の配慮(^^;から小1の長男には漱石先生一人。2歳の長女には500円玉一枚である。実はこれがはじめてのお年玉ということになった。長女はカネを握り締めて何度も「ありがと」とお礼を言っていたが、長男はそっちのけで絵を書き始めた。性格の違いなのか、はたまた男女のカネに対する反応の差なのか。うちの子は桜子のよーにならないだろーなぁ(^^;。
12時ころに実家へ到着。それこそしこたま酒とおせちをご馳走になる。年に一度家族全員が集まる時間である。オヤジは終始顔を真っ赤にしながら楽しそうだった。3時過ぎ、皆で初詣に近くの丸子山王日枝神社へ行く。普段ならガラガラの筈の時間なのに列が出来ている。こんなことは初めてだ。
ワタシの弟が深夜の初詣に行った川崎大師土産の久壽餅をご馳走になったあと、子供のリクエストで7並べ大会。大人数でやるトランプは面白い。
帰ってきたのは5時過ぎ。駄目押しの久壽餅で腹はいっぱいだ。夕食は摂らないで済んでしまった。ビールをちびちび飲んでいるとウィーンフィルのニューイヤーコンサートが始まった。結婚してからは毎年欠かさず見ている番組で、美しく蒼きドナウとラデツキー行進曲を聞かないと新年は始まらないのである。
明日行こうと思っていた女房の実家へのご挨拶は娘の体調がすぐれずに中止となった。