甘露日記2001年2月

■2001/02/26 (月) 中央市会の嵩

今日の中央市会はものすごい量。

大市と大して変わらない嵩があったのだ。一階はもちろんだが2階も満杯。3階会議室に続く廊下まで品物がズラっと並んだ。

先週の金曜日の清算を3階でしている時に声をかけられた。「日記読んでますよ」エっ?!と思い振り向くと、本郷のAさんだった(!)。「明古の日記みたいで面白いですね。」きょきょきょ、恐縮です。身の引き締まる想いです!「いやいや、まあまあ(^^;。」うーん、かなり意表を突かれました。まさかAさんに読んで頂いているとは。明古の経営員の数人を読者と意識して書いているために、文章にどうしても残る”ゆるゆるの箇所”もそのままになっている。ま、そのゆるゆる加減もワタシのキャラとしてお許しいただく事にします(^^;。

長い空き時間。銀座M屋でカメラ市が開かれている事を思い出した。行ってみると最終日。ずーっと好景気を続けてきたこのカメラ市場もさすがに冷えてきたと見え、ウィンドウには主だったカメラがかなり残っている。店員さんもヒマそうで、お客さんも店主と無駄話をしにきているだけで商談をしている人をほとんど見かけなかった。実際数年前なら最終日にはウィンドウがガラガラになっている店が結構あったのだ。

17時半ころに古書会館へ戻る。出品22点中5点がボー。買い上げた品を手提げとディパックに背負い込み、店に辿り付いたら19時半を回っていた。ああ腹減った(^^;。

■2001/02/25 (日) 梅見

昨日の雨も上がり、快晴。

女房の「そういえばまだ梅を見に行ってないね」の一言で今日のお出かけ先は決まった。東横線で一本という気軽さが良い大倉山梅園である。
しかし、駅に降り立ちビックリ。すごい人出である。線路横の梅園へ通じる急坂は初詣のような行列だ。「こんな混んだことないよね」と女房。たしかにそうだ。子供を二人連れての人ごみはツライ。

で、人ごみを掻き分けてなんとか大倉山の頂上に達すると、そこには大倉山記念館がある。長野宇平治という建築家が昭和初年に立ち上げた堂々たる建築だが、建築史家の藤森照信氏に言わせれば、苦悩した長野の気持ちがそのまま形となって現れた摩訶不思議な形をした作品と言えるそうだ。

もちろんそこもすごい人出である。さらにその先にある梅林は言わずもがな、すごい人ごみだった。おまけに屋台がずらずらと出ているから、焼きそばやたこ焼きなどの人気があるものの前では人が歩くのも大変になっている。山の上で強い北風が寒々と吹き抜け、梅園に入る前から帰りたくなってしまった(^^;。

一箇所しかない梅園へ下りる階段にも人だかり。やっと降りてみると肝心の梅はまだ三分の咲きだった。ただし、観梅会ということで野点があったり琴が弾かれていたり、三味線が聞こえてきたり、モデル撮影会が行われていたりと、辺りは主役そっちのけのせわしなさ。もちろん昼時だったから皆たくさんの人が花見をしながらお弁当を広げている。梅を前にして長男が絵を描きたい、と言い出した。混んでいるからダメ、などとは親として言えないので、邪魔にならない狭い場所に陣取って書かせる。その間忙しなく動き回る長女の興味を保つため、ワタシのカメラで梅の写真を撮ったり、撮りっこしたりし暇をつぶす。

周りの人は手に手にカメラを持っていた。ただ皆さん一眼レフカメラばかりで、意外にも流行のデジカメを持っている人はほとんど見あたらない。あれだけ売れているデジカメはどんなときに皆さん使っているのかな。かく言うワタシもニコンF2にマクロ55mmF2.8を付け、スナップはビッグミニを使っていた(^^;。案外撮った後の処理が面倒だったりするから相当コアな人以外は買った金額分使いこなせないんじゃないか、とも思った。

大倉山駅そばの喫茶店でランチを食べる頃には14時。道理でおなかがすいたと思った。カレーセット800円。女房は長女と一緒に和風ハンバーグランチ900円。長男は山菜チャーハンのセットをペロリと平らげた。
食後、武蔵小杉へ移動し、ヨーカ堂で子供二人のフォーマル靴(今月あるワタシの弟の結婚式用)やサインペン(これはお絵かき用)などの文房具を買う。どこも出かけないから出費はたいしたことないと思いきや、使ってみると結構な金額だ。

ま、週に一度のことだからしょーがないか(^^;。

■2001/02/24 (土) 雨の土曜日

昨晩は深夜の帰宅となり、朝は眠かった。

店のダブリ本と先週日曜日の仕入れ分の残りを出品するため、クルマで神保町を目指す。思えばこの神保町までの道は何度往復したことだろう。道の混むクセやどの車線を選んで走ったら早いかなど、ほとんど手にとるようにわかっている。走っていて「自分は運転がうまくなったのではないか」と思う時があるが、それはこの通い慣れた道でしか通用しないことである。調子にのるとちゃんと暴走車がワタシのすぐ前に突っ込んできたりしてハッと我にかえらされる。危ないなぁ。

木曜日に古書会館へ持ち込んだ荷物は昨日の明古でほぼ売り切れた。もう少し余裕が出来れば自分で売ってみたいと思う。

■2001/02/23 (金) 二週間ぶりの明古

大市明けの明古はいきなり特選市会。

いつものように8時集合。一新会の残置品を片付け、トラック一杯の荷物を午前中から仕分けていく。良い品物が多く、仕事は最後まで緊張感も途切れない。持ち込みの荷物は程よいペースで追加されていき、最終赤毛氈台はいつもの倍になり、優品が所狭しと並ぶ。本好きにはたまらない光景に違いない。

■2001/02/22 (木) 一新会

久しぶりの一新会。

古書会館への途中、HIDEさんとバッタリ。挨拶もそこそこに「どう?腰」と心配していただいた。この日記を読んでくれたらしい。ええ、医者に行ったら楽になりました。骨にはキてなかったようですし・・・。「あ、ホント。良かったねー。オレは結局ヘルニア気味になってて・・・」うあ、イタソー(^^;。大変な古傷を抱えているんスね。その痛みたるやワタシの比ではなさそうだ。

一新会会場でSさんにバッタリ。会うなりすごく心配そうな表情で「腰はどう?」と聞かれる。スイマセン、大袈裟に書いちゃって・・・。でも痛いことは痛かったんですよ。ただ骨までイってないってことで・・・(^^;。やっぱり運動不足が原因のようです。腰痛体操を始めなければなぁ。

で、その話のついでにニコンから新モデルが出ることを教えてもらった。このFM3Aというカメラは、FM2の機械シャッター機構とFE2の電子制御シャッターをハイブリッド化し、全速で機械式シャッターも電子制御シャッターも使用できるようにしたというもの。これまではペンタックスLXが唯一ハイブリッドシャッターを搭載した機種だったが、これからはこのFM3Aが取って代わることとなる。おまけにパンケーキレンズ45mmF2.8が同時発売されるというから素晴らしい。F2を下取りに出してこのカメラを買うか!

帰りにBカメラに寄って早速カタログをもらってくる。画期的なメカニズムを搭載している新モデルにしてはペラで地味なカタログである。F5やF100のカタログとは大違い。ま、でもこの地味さがいいのかもね。45mmレンズは3群4枚のばりばりテッサーレンズ。とりあえずこれは買うでしょ!
なんか久しぶりにカメラの話題。ついでに見てまわっているとコニカからライカMマウントの35mmF2ヘキサノンレンズが発売になっていたが、あの名機ヘキサーに搭載のレンズとは構成が違っていた。なあんだ、どうして同じにしないんだろう。どんなに写りが良くてもこのレンズなら欲しいとは思えない。思い入れが違うものね。うーん、消費者ってワガママだなぁ。

■2001/02/21 (水) 腰痛のその後

大市の仕事で悪化した腰痛は、昨日王診療所へ行った事でひとまず落ち着いた。

やはりあの一見いいかげんに見えるプチプチ注射が効いたのだろうか。それとも昨晩から飲みだした薬が功奏したのだろうか。昨晩布団に寝転ぶときにはかなり苦労したのとは対照的に、今日の朝は痛みがかなり収まっていた。いや、ほとんど痛みは感じなかったと言える。劇的な改善がみられたのだ。

確かに昨日、椎間板ヘルニアと診断されるかも知れない、と覚悟しながら診せた結果「きれいな骨だね」といわれて心理的に楽になっていた。でもやはりそれだけではない。待合室で聞いた患者さん同士の会話にもあったが、痛みに耐えかねていた人たちが最後に行き着く医者、という評判は伊達ではなかったのだ。レントゲン2枚、初診料、注射、薬一週間分あわせて2080円という値段の安さもリピーターを生む理由のひとつなのだろう。
ただ問題は先生のお歳。もう70はとうに過ぎたと思われる先生はまだまだ元気一杯といった雰囲気だったが、どなたか後継者を立てなければあの病院は閉まってしまう。若い看護婦さんはいっぱい居たが、先生と思えるのはその人一人のようだっただけに、抱えている患者さんとのバランスを心配した。

大市の後処理と愛書会の仕事、それに病院へ行っただけで昨日一日は過ぎてしまった。過密だった毎日が今日やっと少し緩和されたのだ。久しぶりに本の整理をしてパソコンに入力する作業をしている。一日遅れのメールマガジンには新着本を載せるのがやっと。荒木さんの記事はお休みすることにした。

■2001/02/20 (火) 王診療所

日本橋室町4丁目の路地に痛み専門の医者、王診療所はある。

オヤジは腰痛持ちであり、弟も高校時代に野球部に入っていて腰を痛めた。ワタシが腰痛になるのも時間の問題だった。それが今回いよいよ訪れたのである。腰痛は本屋の勲章、などと言っていられない。痛くて仕事にならないのだ。
大市の引き取り、愛書会展の目録編集作業のあと、2時過ぎに痛い腰を抱えて室町の王診療所へ到着した。

どうやら自社ビルと思える白い建物。入ったときには昼休み中だったが、もう待合室には患者がズラリ。受付で初診の旨を告げ保険証を提出する。程なく昼休みも終わり、診察が開始されたようだ。一杯人がいるからなかなか呼ばれないのかと思っていたが、比較的早くアナウンスされ、診察室へ入る。するとそこには70歳くらいのお爺さんが一人、若い看護婦さんとともに白衣を着て座っていた。この方が先生なのだ。腰が痛いことを告げると、初診の人には全てやっているのか、診断のためのレントゲン撮影をすることになった。道理で順番が早く回ってくると思った。まずは診察前にしておくことがあったわけである。

レントゲン室には別に看護婦さん(厳密には放射線技師なのかもしれない)がいらして、腰の写真を前と横から2枚撮られる。しばらくまた待合室で待つ。すると先ほど一杯居た患者さんは半減している。どうやら薬だけ頂きに来る方が半分はいたようだ。
待っている間、奥さんに肩を組んで松葉杖をついている40歳前後と思える方が入ってきた。席につくなり倒れこみ、そのまま横になってしまった。かなり辛そうだった。
20分くらいして再び呼ばれ、レントゲンを見て先生の開口一番「きれいな背骨だなぁ」と。どうやら骨が原因ではないようだ。正直ほっとした。最悪椎間板ヘルニアじゃないかと心配していたのだ。そのあと横になり腰に注射される。思ったよりも細い注射だったが、プチップチップチッと一本で5箇所くらい刺すのである。それを2本で腰は血だらけとなる。一瞬腰の痛みを忘れた(^^;。

実際の治療はそれで終わり。薬待ちで座って待っていると60代と思えるおばさんが痛みについて話している。ひじ、ひざ、くるぶし、が痛むという。ここへは週一回きて注射してもらうと楽になるらしい。あの注射ってそんなに効くのか。さっきの倒れこんだ人が呼ばれ、奥さんに寄りかかりやっと診察室に入っていった。

薬をもらいお会計。2,080円である。随分安いなぁ。夕食後薬を飲んだ。早く治ってくれよぉ!

■2001/02/19 (月) 大市と激痛

痛みはさらに増した。

今日は中央市の大市会。昨日下見できなかったので朝9時過ぎに会場へ入った。10時半にはお手伝いのため集合をかけられる。行きは三田線直通電車に乗ったが新丸子から座れない。席が空いたのは三田からであった。ただ、座らない方が良かったのかもしれない。一度固定された腰は神保町で立ち上がろうとするワタシに抵抗したのである。ホームで一人、しばしの痛みにうめく。

こんな状態で仕事になるのだろうか。案の定開札の始まる11時ころから痛みは増し始めた。もはや朝塗ってきたバンテリンなど何の足しにもならない。

こんなことを書きながら実は椅子にも座っていられないほどである。

今日はこれくらいにしておこうかな。明日は大市で買った荷物をカーゴ一杯強引取りに行かなければならないのだ・・・。こりゃ腰が折れるなぁ。

ついでに腰痛の権威といわれる医者を訪ねる予定である。筋肉注射、痛そー(^^;。

■2001/02/18 (日) 腰痛と仕入れ

ここには書かなかったが、実はひどい腰痛に悩まされている。

2月8日に腰がピリピリしているような気がしていた。それが次の日の朝になってハッキリとした腰痛に成長したのである。その腰を抱えながら明古の仕事をし、日曜日にはカメラマンとなった。バンテリンを塗りながら病院へ行こうかと悩んでいるうちに今日の仕入れを迎えてしまった。その日以来、かれこれ10日も腰は痛いままである。

今日の仕入れの電話を受けたオヤジは大口という。ちょっと距離がある場所だったので二度行くわけにいかない、と大きなワンボックスをレンタカーした。10時半に出発し、途中予定していた渋滞が全くなかったため、予想よりも1時間早く到着してしまった。昼飯を食べたお店から電話をお客様へかけると、もう来ても大丈夫です、とのこと。すぐにお伺いできた。助かった。

評価してからお支払い。ありがとうございました。

当然クルマに積み込むときが一番ツライ。じわーっという鈍痛。荷物を持ち上げるときにピリッとくる金属痛。その繰り返し。帰ってから本の仕分け出品の心配をする前に、明日は中央市会大市当日である。腰が痛いから打ち上げの飲み会は失礼して帰らせてもらおうかなぁ(^^;。

痛い腰を抱えて家に戻ると、雛人形が飾ってあった。そうか、もうすぐひな祭りだったな。長女のうれしそうな笑顔に癒された。

■2001/02/17 (土) 休日

明日大口の仕入れが入っているため、ワタシは今日休みを取った。

小学校から一通のお知らせ。今日の朝10時15分から体育館で近所の会社内に編成された吹奏楽団の演奏が聞けるというのである。素晴らしい。子供を連れて家族で聴きに行くことにした。

体育館に到着は10時20分。まだ演奏は始まっていない。体育館の一番後ろにある父兄席についた。生徒たちは座布団を敷いて行儀良く先生の話を聞いている。すぐさまラデツキー行進曲から演奏開始。ディズニーメドレーやら楽器紹介が続き、客席の子供たちも次第にリラックスしてきた。約一時間の演奏会である。最後の二曲は小学校のブラスバンド部も混ざって演奏をする。やはりテンポをキープするのが難しそうだったがなんとか途中で止まらずに演奏し終えた。
終わったあとに生徒代表の女の子二人(小6)が一緒に演奏できて感激した、と淡々と(?)お礼の言葉を述べる。みんなの前で演奏が出来て、みんなの前でマイクで喋れるなんて、ワタシはそっちのほうにビックリした。

なかなか楽しい。ワタシも女房も大学の時には同じブラスバンドに入っていた。ワタシはドラム、女房はホルンである。長男に聞いたら面白かったけど楽器は演奏しようとは思わない、だとサ(^^;。

昼過ぎから渋谷へ出て、長女の余所行き服を買いに行く。3月にワタシの弟が結婚することになったためである。普段こういう服を着せないからどれくらいが相場なのか見当もつかない。東急の7階子供服売り場へ行くと、あるある、いろんな”ブランド”品が・・(^^;。しばらく模様眺めして歩きながら値札をチェックすると、いやあ、結構するものですなぁ。ちょっと薄手のワンピースが安くても14000円。上着付きのかっこいいフォーマルっぽいのがあって、これいいな、と思い値札を見るとなんと3万円だった(!)。むむむ、とても手が届かないゾ。あれこれと見回し、ファミリアというブランドに女房は目を付けた。ここのワンピースは16000円とそれなりに手ごろだった。色が二色あって、赤のチェックと深緑のチェック。どっちがいい?と子供に聞くと、二人とも赤に即決したので、それに決めた。良く似合う。

よくできたもので、子供服売り場の隣にはおもちゃ売り場があるのだった・・・(^^;。服なんて最初から興味のない長男は隙あればワタシをおもちゃ売り場へ引っ張っていこうとする。だがその気持ちもわかる。だって自分自身が小学生の頃はおもちゃ売り場人間だったからだ。その頃は東急も本館である東館の広いフロアにおもちゃ売り場を設定していた。最近はゲームに押されたのか、売り場規模を縮小の上、子供服売り場に統合されてしまったようだ。LEGOのブロック、プラレール、トミカ、ポケモンの人形、おじゃまじょどれみの魔法グッズ、仮面ライダーアギトの変身セット。どれも自分が子供なら喜んで飛びつくものばかりだろう。しかし、今は立場が違い、ワタシは人の子の親となっている。この子たちにお金の使い道、使い方についてしっかりと教えていかなければならないのだ。これも大事な躾である。子供にはワタシが親から教えられたように、誕生日とクリスマス以外には絶対おもちゃを買い与えないことにしている。欲しいものは自分で貯金して買えばいいのである。我慢させるというのは最近では美徳とされなくなっているようだが、ワタシはそうは思わない。むしろ我慢を教わってこなかった子の方が不幸だと思う。なぜって?それはこれからの日本に好景気など二度とやってこないからである。欲しがりません、勝つまでは!

で、長男の誕生日がすぐ迫っていた。長女のワンピースを買ってやっているときにずーっと不機嫌そうだったからちょっと早い誕生日プレゼントを買ってやることにした。ただし、当日まではおあずけという条件付き。
何にする?と聞くと急に機嫌がよくなり、あれこれと迷いだす。LEGOのスターウォーズ基本セットとかなり悩んだようだったが、ロックレイダースシリーズのドリル付き乗り物のセットに決めた。5500円である。ブロックって結構高いよなぁ・・・(^^;。

帰りはラケルで夕食。オムライスを食べた。ここは結婚前から女房のお気に入りである。まわりには子連れなんて一組もいないのだが、適当に人が入っていて雰囲気が堅くないのがいい。食後の50円アイスがうまかった(^^)。

■2001/02/14 (水) 大市体制

明日から中央市会大市の準備のため、通常市会は休会となる。

今日も資料会はあったのだが、休んでしまった。今日行くと荷物を取りにもう一度行かなければならなくなってしまうからである。たぶん出品量も少ないことでしょう。エイヤっと休むことにしたのだ。

いや、休んでもいいほど仕事は目の前に山積していた。昨日の火曜日は荒木さんページの更新、メールマガジンの発行にあててしまったため、先週買いためた本の整理がまだだったのである。おまけに大市明けには愛書会280回記念展の原稿締め切り日が待っている。やることだけは一杯ある。

とりあえず目の前の仕事から片付けに入ろう。本の整理を午前中からひたすら続け、ちょっと飽きてきた頃にパソコンへ入力。一段落したら近くの写真屋に出しておいた写真版原稿用のプリントを受け取りに行く。以前はワタシが引き伸ばしまでしていたのだが、ヒマがないのと今までの場所が本でふさがっていたため外注してしまったというわけ。
写真にトレーシングペーパーを掛け、使いたい部分を鉛筆で縁取る。それに添付したいネームをクリップで留めておおよその場所を指定した紙を添えて出来上がり。あとの面倒な縮尺率がどうの、ってのは印刷屋さんに任せることにした。その方がうまく仕上がってくるのを経験として知っているからである。

■2001/02/12 (月) 中央市会で

今日は祝日だったが、来週が中央市会大市会のため開催となった。

■2001/02/11 (日) 目録から

朝9時。ワタシが風呂で頭を洗っていると電話が鳴った。

ちょっと手が離せない状態だったのでそのままにしておくと、別の場所で女房が受話器を取った。甘露通信からご注文を頂いたのである。しかも今日昼過ぎにご来店いただけるとのこと。有難うございます。

2時過ぎ、そろそろグランドパレスへ出かける時間となった。スーツに着替えてカメラの準備をしてから階下へ行くと、ちょうどご注文頂いたFさんがご来店だった。見れば帳場には本が積み上がっている。
Fさんはオヤジと最近山へ良く出かけることなどをいろいろと喋っておられた。

グランドパレスでのお別れ会が終わったあと、経営員6人で近くの居酒屋で飲み会をした。11時過ぎに帰宅すると、レジの上に今日の伝票が置いてあった。お買い上げの本はすべてリュックに背負って自転車でお帰りになったのだそうだ。ありがとうございました。

明日は振替休日だが中央市会は開催される。大市まえの最後の市会だからスゴイ出品量となるだろう。売れて空いた棚を埋める楽しみ(^^)。

■2001/02/11 (日) 斎藤三郎氏お別れの会

今日は先月18日に亡くなった故斎藤三郎氏のお別れ会が九段のホテルグランドパレスにて開かれた。

斎藤三郎氏とは神田神保町1-1に店を構える玉英堂書店の二代目店主である。
我々明古の若手数名は、3:50集合でご記帳の受付を仰せつかる。ワタシはその選にもれ、写真を撮って欲しいと言われた。何で撮ろうかと迷ったが、結局見た目に押しが利くニコンF2に35mmレンズと55mmレンズの2本で行こうと決めた。

受付にはズラリと9人もの若手が待機。ご記帳が終わり次第控え室へご案内する。とにかく今回は玉英堂さんが目録をお送りしている方全てにご案内状を出したというからものすごい方々が次々に訪れ、ロビーを埋め尽くした。そのため、予定を少し繰り上げての開場となった。

献花のあと世話人である慶文堂さんのご挨拶。その後も古書業界の重鎮が次々に先代玉(ぎょく)さんの思い出を語る。振り市の頃、ほかの人が1万、2万!と発声している中、「30万!」と発声して皆の度肝を抜いたというエピソードや、東京へ来る度にうなぎをご馳走になった、という京都の方の思い出。どれも皆故人の度量の深さを讃えていた。

最後にご家族の挨拶があったのだが、三代目主人である斎藤孝夫さんの二人のお子さんの挨拶には心打たれた。お子さんといってもワタシとほとんど変わらない年齢である。娘さんは国際結婚し、現在はロンドンに在住という。息子さんは5年間の勤め人生活にピリオドを打ち、現在神保町の他店で修行中とのこと。
ざわついていた会場の雰囲気が娘さんがマイクの前に立ったとたんビッと改まる。そんな中、娘さんは朝早起きだった先代が神保町のお店から九段のマンションまでおむすびと豆餅を両手一杯にして持ってきた、というエピソードを語る。「おいしいよ」と言って食べると満足そうにニッコリしてお帰りになる。その時のお顔が目に浮かぶのか、感極まっての涙。そしてお亡くなりになった1月18日の早朝、先代と一緒に玉英堂で過ごした夢を見たという。大好きだったお店におじいちゃんは戻ってきたんだね、とそのときは思ったが、気になってお店に電話をかけると先代がお亡くなりになっていたと知らされたのだそうだ。彼女の涙ながらに語るその話に皆聞き入った。
息子さんは歴史ある玉英堂の四代目になるべく、努力を惜しまず精進する決意を堂々と語る。

最後に喪主である斎藤孝夫さんの挨拶があり、会は終了した。にぎやかなことが大好きだった先代。その意を汲んでの盛大なお別れ会。素晴らしい人生の幕引きを想う。

合掌。

■2001/02/10 (土) 女房の実家

今日は正月に行けなかった女房の実家へ日帰り旅行。

そのために昨日の飲み会は少しばかり早引けした次第。それでも朝起きたのは8時で全然早くない。メールチェックなどをしているうちにあっという間に9時。それから朝飯を食べて出かけるのは10時となってしまった。

駐車場からクルマを取ってきてチャイルドシートを設定する。これがまた大変なのだが、それに座る長女は自分専用の椅子と大のお気に入りで、これに座りたくてクルマで出かけようと時折せがむほど。しかし、出発して40分ほどで今日は飽きてきてしまったようだった。

昨日までの市場落札品が山と積まれていたため、古書会館に寄り、荷物を積み込む。丁度荷捌き場は空いていた。15分ほどで出発。京葉道を東へひた走る。といっても両国橋を渡り、亀戸を抜けて一般道である。京葉道の有料線に乗ったのは江戸川を越えるところからだった。

幕張付近から穴川まではお約束の大渋滞。しかも三連休初日である。のろのろと走るうちに長男は気持ち悪いと言い出し、女房はSAで吐いた(^^;。子供が出来てからは乗り物に弱くなったとは本人の弁。

東金道路を中野で降り、ローカルな道をさらに入ったところに女房の両親が暮らす隠居城がある。渋滞と休憩が祟り到着は1:30過ぎ。農業王国千葉県にふさわしく、周りには畑しかない。お隣の農家までは歩いて20分の距離がある。水道もガスも通っておらず、井戸水にLPガスを使用しているというくらいの場所だ。もともとここは別荘として建てたのだが、気に入ってそのまま住み着くことにしたというから、なんともサバイバルなご両親である(^^;。残念ながらワタシはこの場所に3日と居られた事はない。結婚当初はそれでも2泊したこともあったのだろうか。ちょっと記憶にない。朝晩はここ新丸子の温暖な気候とは比べ物にならないくらい厳しい。5度から10度くらい低いのである。ここひと月は当然氷点下の最低気温を記録しているはずである。ユンボで庭を耕したあとに出来たボタ山には霜柱の痕が一面を覆っていた。

子供たちはそのボタ山で遊ぶのが楽しくて仕方がないらしい。登ったり掘ったりしているうちにいつの間にか手も足も泥だらけである。なかなか泥と親しむ機会のない都会っ子には丁度いい経験かもしれないが・・・。
半年ぶりに会う孫たちを前に、女房のご両親はたいそう機嫌が良かった。

■2001/02/09 (金) 大量出品

中央市大市前の明古。

1000点の出品量で久しぶりに1階が満杯。でも仕事は比較的早く6時過ぎには終了。仕分けなどで忙しかった日だったからか、今日は会から経営員の飲み代を持ってくれることになり、それなら、と錦華通りの「やき龍」という焼き鳥屋へ行く。ただ、明日女房の実家までクルマの運転をしなければならないため、ワタシだけ早めに切り上げた。

帰りは試しにブー太郎さんが強く推す三田線直通電車に乗る。神保町から新丸子まで450円と半蔵門線利用よりも70円高くなる。往復だと140円高だから、やはり経費のかけすぎになろう。ただ、大手町、三田、高輪と、まるで人気のない町ばかり狙っているかのような路線のため、降りる人はいても乗ってこない。大手町から先は本当にらくらく座れてしまった。目黒駅でちょっとは乗ってきたが、田園調布に着くまでにはそれも解消。東横線とはかなり様子が違う。これなら金曜日の終電ラッシュにも使えるだろう。座って新丸子まで450円で帰ってこれるタクシーと思えば安いものだ。

■2001/02/08 (木) 久しぶりの一新会

2週間ぶりに一新会へ行った。

なんでも先週は会場の半分しか出品がなかったそうなのだが、今日はほぼ満杯。
まったく落札できないのではないかと心配した昨日の荷だったが、めでたく数点落札できていた。よかった・・・。

さて、昨日値段のチェックだけで結局買わなかった3DCGソフトshadeだが、検討した結果、買ってみることにした。いや、別段何をやりたいとかそういう明確なものはないのだけれども、やっている人がプラモデルをじっくりと作り上げるようにとても楽しそうだったもので・・・(^^;。
入門用のmyshade2というのが初心者のワタシには最適のはずだったが、紙マニュアルが付属していないという。結局本屋へ行かなければならないことを”余計な”心配し、ひとつグレードを上げたshade デビューを買ってしまった。これで今日からまた寝不足な日々が続くのだろう。途中で挫折するかもしれない。でも、とりあえずやってみます。・・・・・何を??(^^;

■2001/02/07 (水) 人生劇場

今日も目録によるご注文は続いている。荷造りの日々である。

しかし、その合間を縫いながら市場へ出かける。売った以上は買わなければいけないからである。これも本屋の性(サガ)だ。

月曜日に買った荷物の一部を持ち帰ることにしてディパックに詰めた。本当は手提げも持参したのであるが、この雨のためそちらは止めておいた。

明大坂を降りて駿河台下交差点で信号待ち。すると白い帽子をかぶった40がらみの男が何かをくちゃくちゃ食べながら坂を降りてくる。最初はガムかなにかだろうと気にもとめなかったのだが、よく見ると手に何か持っていて、そこからちぎっては口に運んでいることが分かった。
何だろう?何だろな??。
少し遠目で見ていてわからなかったが、信号が変わって皆が歩き出した瞬間にそれがわかった。なんとカマボコだったのだ!(^^; カマボコ板についたまま包丁で縦に切れ目を入れて剥がしやすくし、それをちぎって食べているらしい。面白い携帯食だとちょっと感心してしまった。
彼の姿を追う。なぜか追いたくなった。少し早足で錦華通りの信号も渡り、タキイの角を彼は右に折れた。そして吸い込まれるようにパチンコ「人生劇場」へと消えていったのである。きっとカマボコ食べながら打つつもりなのだろう。ジンゲキというのが妙にキまっている。思わずニヤリとしてしまった(^^;。

渋谷のBカメラに寄り、愛書会用に撮影した写真版フィルムを現像に出した。モノクロ写真は安かったのだが、最近はちょっと高くなる傾向。KGサイズという葉書大のもので一枚50円也。仕上がりは金曜日とのこと。
そのままついでに4階へ上がり、3DCGソフトshadeがいくらかチェックした。すると、学習ソフトと抱きあわせのセットが1セットあるだけだった。19,800円也。ただ、13%ポイント還元中だから実質はこの値段から2,500円引きである。どうしようか、買っちゃおうかナァ。ま、でももう少し本とか読んで検討してからにしましょう。

何を描きたいという明確なものがあるわけでもない。ちょっと3DCGの世界を齧ってみたい程度の興味である。

■2001/02/05 (月) 甘露通信受注開始

朝から甘露通信の受注が始まった。

ワタシはcdmaOneのユーザーなのだが、今回機種変更することにした。4月からdocomoにしようかと思っていたのだが、iモードがああいう方向に進化を始めてしまったため、止めたのである。で、今回買い換えた機種はC405SAという厚さ9.9mmの世界一薄いケータイだ。前面マグネシウム合金で強度がアップされているため、折れることはない。その薄さは持ってみてはっきりする。前に持っていたモデルの半分以下である。これはすごい!こういうところにワタシは本当の”進化”を感じる。機種変更は新丸子にあるケータイ屋さんでしてもらったが、500ポイントで1,000円引いてもらって12,800円(税抜き)だった。でも納得の価格である。

前金にてご送金いただいた分が今日一気に7件も入り、甘露通信のご注文電話とでてんてこ舞いしながらも梱包発送してから月曜日の中央市会へ。
今日それなりに売れているだけに目録に出せそうな品物に入札。そのあと秋葉原のauショップでデータを移してもらう。
戻ってくると5時。おお、あるはあるは落札品の山。計14万円である。うひゃぁーちょっと買いすぎたかしら・・・。いやいや、売ればいいのだ。
帰りの電車の中。秋葉原でもらってきたshadeという3DCGソフトのパンフレットを見た。クラシックコンタックスや女のコの3DCG作品があって、これがまたリアル。これを描ける様になるソフトらしい。ううむ、すごいね。で、お値段は?と見てみると、入門セットというのがあってこれが定価なんと9800円。安いじゃないの。これでこんな絵が描けるの?しかし最上位セットは10万をはるかに超えているから、やっぱりそれなりのものしか描けないか、ほんとに入門用で3D描画になれるためだけのセットやも知れない。

いやぁ、でもちょっとやってみたくなっちゃったなぁ。(^^;ムリムリ

■2001/02/04 (日) 騒々しい日曜日

もう日曜日がまわってきた。一週間って早いなぁ・・・。

今日は正真正銘寝坊。起きたら9時半。しかし、女房も子供も寝ていた・・・(^^;。一体どういう家族だ?

年に2度のPTAの仕事の日である。資源回収の集積所を回って時間が過ぎてから出したところがないかどうか見てくる仕事。ものの10分で済むことなのだが、午後1時に見回るように言われているので今日は出かけられずじまい。

昼も近くのパン屋で買ったパンを食べ、午後は長男の友達が遊びに来たのをいいことにパソコンに向かった。5時近くなって外で夕飯を食べようという事になり、電車に乗って横浜駅へ。別にどこという店がある訳ではない。高島屋の食堂で食べて帰ってきた。途中、JOINUSに入っている本屋で長男にポケモンの絵本、長女にアンパンマンの絵本を買ってあげた。別に何処へ出かけるわけでもない。ましてゲームでなく絵本であればむしろ積極的に買い与えてやらなければ、ネ。

■2001/02/03 (土) 甘露通信の土曜日

甘露通信の紙版が刷り上った。

早速用意しておいた封筒に入れ、発送作業に取り掛かる。

さて、インターネット上のあちこちで見られる”無料”サービス。有名なヤフーオークションがIT株価暴落のあおりを受けて有料化されるというニュースは、そちら方面の方々にとって結構大きいニュースらしい。ワタシの近くにもこのオークションにのめり込んでいる方がいらっしゃる。一度売ったり買ったりすれば病みつきになっていくというこのシステム。近づくことを意識的に避けている面もあるが、毎日古書市場でオークションに関わっていると、仕事でやってインターネット上でもやらなければならなくなったときの状態がイヤだから、というのが本音だ。

オークションで熱くなれない自分を認識することは、出品するほど物持ちでもなく、買いたいと思うドロドロとした物欲も最近衰えてきたということにつながっていく。それはちょっと寂しいことだ・・・。
物欲はないのだが、時間は欲しい。うちの店に置いてある本を好きなだけ立ち読みしてみたい。大型TVや高級ビデオはいらないが、レンタルビデオを好きなだけゆっくり見られる時間が欲しい。高級カメラはもう要らないが、写真を好きなだけ撮れる時間が欲しい。高級ロッドやリールはもう要らないが、2泊3日くらい一人で亀山湖の温泉につかりながら朝から晩まで釣りをしていたい・・・。

すべて今はかなわぬ夢である。たぶん・・・ネ。

■2001/02/03 (土) 昨日の飲み会

明古がはねたあとの飲み会。

昨日はおでんの「いちこう」へ行った。決まって飲みに行かないメンバーもいるが、決まって行くメンバーも居る。主任のブー太郎さん、OKUNOさん、ワタシ、KENTAクン、SATOさん。この5人は大抵行く。最近になってM井クンもその常連メンバーに加わりつつあるのは喜ばしい。前主任で現明古会員のHIDEさんとTOMOMIさんも加えて計8人でおでんをつつく。

昨日の話題はTVのバラエティー番組のこと。ナイナイや極楽トンボの動向にみんな詳しいなぁー。ブー太郎さんがそのあたりに敏感なのは意外だった。ウソかほんとかわからないようなドキュメンタリー風なつくりがおもしろいのだという。ちょうど荒木さんの写真のコンセプトの説明のようで興味深かった。みんなTV見てるなぁ。

9時までいちこう。終わったあとブー太郎さんと二人で神保町駅前のお店で二次会。狭くて長細い店内には若干の席とカウンターしかない。
気が付くと23:30。お開きにして地下鉄に乗り込むと電車は満員。すごい混雑だなぁ。こんな夜中までみんな仕事なのだろうか。飲み会なのだとしたら不景気なんてあまりないんじゃないだろうか。よくわからない。
そして東横線。うぎゃぁー。ホームにはあふれんばかりの人人人・・・。こんなことなら神保町から三田線直通に乗って帰ればよかったよ。中目黒駅で車内に響き渡る「降りますー、降ろしてぇー、ぎゃァー」という女の悲鳴。「おい!おろしてやれよ!」「なにやってんだ、乗ってくんな!」という怒号。日比谷線を降りた人でごった返す中目黒駅は乗ろうとする人も必死なのだ。

あーあ、目黒線にしておけば良かった。

■2001/02/02 (金) 明古

金曜日は明治古典会である。

朝8時に古書会館へ到着。一階会場を見渡すと本はほとんど置いていない。そう、一年で一番品物の少ない季節に突入したのである。とはいえまったくないわけではない。地方荷は40箱くらいあったし、仕分けがカーゴ一台分入っている。9時を待たずしてカーゴ荷の仕分けと地方荷で短歌雑誌の口の仕分けに入った。ワタシはうちの取り扱い品の関係から短歌雑誌の仕分けをする。昭和初期のプロレタリア系短歌雑誌のその紙面からにじみ出てくる勢いを感じながら分けていく。当時短歌は思想表現の場として機能していたようである。表紙に配された写真の図柄は梅でも櫻でも富士山でもない。額に汗を滴らせながらピッケルを振り下ろすランニング姿の労働者の姿であった。現代短歌が醸しだしている風流などという雰囲気とはまったく無縁な存在だったのである。
結局戦前のものと戦後すぐのものを細かく分けられたが、ごく最近まで出ていたような新しい口はならないという判断から大山にして別口としたところで仕分けは終了した。

その後もぼちぼちと持ち込みの荷は追加され、最終的には700点あまりの荷が会場を何とか埋めた。今週は天候も不順で荷物の集まりが少ない市会が多かったのだが明古は別なのかな。

さて、入札。ワタシが入れられるような荷が今日も結構出ている。木村伊兵衛さんの原稿。岡本太郎氏の原稿。柄澤斎氏の木口木版画集オリジナル入り。暁斎百鬼画談。川瀬巴水版画「赤坂弁慶橋」。安倍公房「飢餓同盟」初版カバー帯付本などなど。「入れられる」というのは「欲しいと思える」というだけであって、買えたらすぐに売る自信がある、というわけではない。その時に覚えている相場観と入札状況を頼りに買い札を捻り出すのだが、ワタシでも欲しいと思える品物を百戦錬磨の明古メンバーの方々が見逃す筈もない。そのことは開札の最中にいつも思い知ることになる。

兵どもが夢の跡。結局何とか落札できたのは先に挙げた品物とはまったく別の、岡本太郎氏署名入り本「母の手紙」。辻邦生氏署名入「円形劇場から」の限定本の2点に止まった。そりゃあ自分で思った値段で買えれば何の苦労もない。そうはならない競争原理で市場は運営されているのである。言うまでもなくほかは全滅であった。

朝仕分けした短歌雑誌の口はなると思ったものは全て売れた。正直ほっとした。(^^)

■2001/02/01 (木) 写真撮影

今日から2月。早いもので今年もあと11ヶ月である。どうか来年もよろしくお願いします(^^;。

今日は木曜日だが、雨のため市場は欠席。
その代わりに、次回愛書会280回記念展のための写真版撮影に一日を費やした。
隔月で愛書会展に参加していて、そのたびに10万円以上するような優品もいくつか目録で出していたのだが、やはりあまり動いてくれない。そうこうしているうちにたまってきた優品をいい機会だから写真版にして出してみよう、という話である。もっとも、写真版でしか売れないような版画や色紙、短冊なども撮影した。一応2ページの出品予定枠なのだが、もっと取った方が良かったかもしれない(^^;。始めてみると結構あるものなのだ。

フィルムはモノクロの400。カメラはニコンF2フォトミック。レンズはマイクロニッコール55mmF2.8である。それにフラッドランプ500wを2燈照らし、影を打ち消す。本当は三脚を使わなければいけないところなのだが、それだけのスペースがとれないので手持ちで撮影する。ま、代わりにISO400のフィルムを込めたというわけ(^^;。手抜きだなぁ。
露出を入射光式露出計で測るとf11で1/60と出た。この露出で一枚と、手ぶれを回避するためにf11に1/125という2段階露出をかける。つまりひとつの本で2枚撮影するのである。片方が失敗しても大丈夫にするための保険だ。ニコンが小気味良いシャッター音を響かせる。
撮影が終わったので近所のDP店に現像のみでお願いする。出来上がりはあさっての1時だそうだ。ライトボックスとルーペでネガの仕上がりをチェックし、うまくいったものをキャビネに焼くのである。こうすればおカネもちょっとだけだが安く上げることが出来る。山高登に畦地梅太郎の版画。辻まことに池田満寿夫の限定本。とまあ、そのあたりです。どうか3月末の目録発送をお楽しみに!

今日は残念ながら雨なので店はヒマヒマである。オヤジは青猫書房さんへ本を買いに行ってしまった。ワタシは新入荷本を黙々と入力する。また来週新着本としてメールマガジンでお知らせいたします!

2001年02月28日 | Posted in 甘露日記 | | Comments Closed 

関連記事