甘露日記2001年3月
■2001/03/31 (土) 愛書会会期終了 |
寝不足の朝。そして雨。
朝出たのは8時ちょっと前。自由が丘から特急に乗り換えた。初めて東急の特急に乗ったが、停車する時間を省いた程度の差かな?神保町到着は9時半。
新丸子で降っていた雨はあがっていた。会館に到着して会場整理。今回は当番なので帳場の現金出納係として一日張り付くことになる。10時に開場してから、帳場が活気付いたのは11時を過ぎたあたり。一時1万円札ばかりが乱れ飛ぶ事態となる。場売りの勢いはそのまま止まらず。ありがとうございます。
昼飯のころにはいつの間にか雨は本降りとなり、霙交じり。吐く息は真っ白という中で遠くまで行くのは止めにして「エチオピア」でカレーを食べた。最近出来て連日大行列の横濱カレー博物館にも出展しているお店である。久しぶりだったしうまかった。
会場に戻って再び帳場。盛況のまま開場時間は終了。本の片付けを終え、清算。今回は全体としてやはり1.8倍の売上げを達成したという。お客様に感謝感謝。
雨はあがっていた。今ごろになって三日月まで出ている。あと半日早ければ、と悔やまれる。帰り際、渋谷Bカメラでニコンのフィルムスキャナを買ってきた。これからセットアップしてみます。
■2001/03/30 (金) 愛書会初日と明古特選市。あとブー太郎さん。 |
第280回愛書会記念展の初日と、明古特選市会の日。盆と正月が一緒。
まずは明古。要仕分け荷は少なく、持ち込みの荷で1階が一杯となった。限定本の口と原稿の口に一級品多し。総点数は1240点。
全て終了は6時過ぎ。それから愛書会展の会場に行き、棚の整理。
そして、今日は4月始めに結婚式を挙げるブー太郎さんの奥様のお披露目の日。東京ドームホテルにあるレストランの個室でお食事会である。メンバーはブー太郎さんご夫妻、Oさんご夫妻、Kくんご夫妻、HIDEさん、TOMOMIさん、Sさん、Rくん、M井くんとワタシの12人。フランス料理を食べながらお二人の馴れ初めなどをHIDEさんがうまく引き出す(^^)。初対面なのになぜか初めて会ったような気がしないブー太郎さんの奥様。誰に似ているんだろうと思っていたら、大学時代のワタシの後輩で雰囲気のそっくりな女の子に思い当たった。いい奥様で良かったねー、ブー太郎さんっ。
ドームではセリーグ開幕試合巨人-阪神戦が行われていたようだった。時間は短いような気がしたが終わってみれば10時。ちょうど野球見物のお客もはけた頃にホテルを後にした。結婚式が楽しみですな!
そのあとRくんに送ってもらっていつものブラッセルズでビール。Sさんと二人でいろいろと話す。お開きは11時半。それから三田線で帰るが接続が悪くて20分も神保町駅で待つこととなった。しかし金曜日は何に乗っても混むなぁ。ワタシは座れたからいいようなものの、白金高輪での乗り継ぎから目黒駅でのJRとの接続まで車内は鮨詰め状態である。12時過ぎに2本程度増発する金曜日ダイヤの設定を切に願う次第。
帰宅は12時40分過ぎ。書いていて頭がフラフラしてきた。もう寝ます。
■2001/03/29 (木) 愛書会展並べ |
朝から雨。いやな日だ。
今日は愛書会展の並べの日。前金のご入金を3件確認し、梱包発送。そのあと久しぶりの一新会へ向かう。
入札後2階の古書展会場に上がってEさんと一緒に備品やら会場の整理。今回は当番なのである。それも一通り終わるとあとはやる事がない。一旦新刊屋さんでも冷やかしに行くか、と歩き出した。
写真コーナーで雑誌見る。ベッサTという距離計のみ付いたライカMマウント機が発表されていた。値段は55000円と価格設定もうまい。
出たら買おうと思っているニコンのFM3Aの特集記事で、テッサータイプのレンズ3種を撮り比べていた。古いGNニッコールはフラットであまり良いレンズではないとの評価。
古書会館に戻ってから展示台をみんなで設置する。普段はアルバイトの学生さんにお願いしているんだけど、春休みでお休みらしい。20分くらいで完成し、本を並べ始める。いつ見てもすごい量だな。これが全部売れたらいくらくらいになるのだろうなー。
仕事あと、Oさんと明古来期の話。
■2001/03/28 (水) 甘露書房点景2 |
晴れたら暖かくなった。
郵便でなにやら大きな封筒が・・・。開けてみるとアミューズだった。古書店街特集で、北海道、早稲田、京都、九州の古書店街を特集している。そのおまけに住所だけ列挙したページがあって、そこにうちが載ったのだった。アミューズさんには過去に2回取材され、小さい扱いながらも写真入記事を掲載していただいた事がある。店の棚の写真が載ると、そこに写っている本に注文が入るというなんともすごい事が起きるのだ。木村伊兵衛さんの本が売れ、聖書に電話で問い合わせがあり、細江英公氏のオリジナルに注文が入った。やっぱり全国誌はすごいと思ったものだ。
表紙は早稲田の本屋さん。ローライB35が本の上に乗っかっている写真だった。よく見ると同誌の小特集でローライフレックスがうしろの方に載っていた。
昼過ぎには晴れた。そうなると本の好きな方はウズウズするのだろう、きっと。お客様が連続する佳日となった。ありがとうございます。
昨日2階から1階に降ろした愛書会展の荷物を運送屋さんが取りに来たのは3時を過ぎていたそうだ。いよいよ明日は並べの日。
■2001/03/28 (水) いろいろと |
4月を目前にして身の回りに変化が。
まず東急に特急が走るようになった。渋谷から桜木町までの時間が短縮されたようだ。僅かだけどね。あとは南北線が今日開通の埼玉高速鉄道と相互直通運転を始めたので、いままで赤羽岩淵行きだった目黒線が聞いたことのない行き先になっていた。沿線の桜はもう五分から七分咲き。菜の花の鮮やかな黄色と若葉の緑のコントラストは気持ちをワクワクさせてくれる。
渋谷駅に着くと東横線改札正面のナイヤガラ階段(と勝手に呼んでいた)がエスカレーター設置工事のため幅員が縮小されていた。なにぶん人通りが多い階段だから狭くなっただけでも結構コワイ。
今日は資料会。午前中曇っていた空は予報どおりにならずすっきりと晴れた。気分が良い。入札は一点ちょっと気になった口があって入れたが、後はダメだろうな・・・。月曜日の清算をして帰路に着く。
帰りに渋谷でBカメラ4階へ。月曜日に引っかかったニコンのフィルムスキャンを見てきた。79800円。ポイントが12000円も貯まっているから買っても良かったのだが、明日から愛書会だから止めておいた。終わったら買おうかな。
代わりに3階で今日発売の宇多田ヒカルのDistanceを買ってきた。2620円でポイント10%引き。安いよね。今聞いてます。良い(^^)。ちょっとやせて洗練されたような表情。イイねッ。
帰ってからメールチェックするとご注文。ありがとうございます!
■2001/03/27 (火) 甘露書房点景 |
残念ながらお店は売り上げ少なく終わった。
店を閉めた後、ダンボール11箱と縛った本50本を2階から1階に降ろす。一気だと腰痛が再発する怖れあり。狭い階段での孤独な作業(^^;。
■2001/03/27 (火) 本の書き込み |
先週から中央市会に出ている哲学書にはたくさんの書き込みがあった。
小説に書き込みをする人はほとんどいないけど、実用書や雑誌、学術書などにはしばしば線引きや書入れがある本を見る。
本を求められる方で新品同様を第一条件に挙げる人は多い。でも、誰か他の人が一度使った事のある場合が多い古本に新品同様という条件はちょっと厳しい(^^;。
良い本ほどなるべくキレイな状態で沢山の読者に渡ってほしいな、とは思う。
■2001/03/26 (月) 中央市会 |
仕入れから帰ってきたのは12時。
クルマを駐車場に置いてから店に戻ると12:15。前金のご入金を頂いていた。ありがとうございます、の気持ちを込めて梱包する事30分。それから10分で食事をして店を出た時にはすでに1時過ぎ(^^;。
東横線の車窓から見える咲き始めのソメイヨシノ。多摩川を渡ってすぐにある亀甲山(かめのこやま)は昔から桜の名所だ。小さい頃家族で花見に行ったのはこの場所で、小学校に入って初めての遠足は、架け替えられる前の丸子橋を歩いて渡ったこの亀甲山だった。咲き始めの花の可憐さったらない。
神保町から靖国通りを歩くと、今日は明大の卒業式の日なのか、武道館から歩いて明大へ向かう袴姿の女子大生の列が出来ている。
中央市会は毎週盛況だ。今日も3階に続く階段にまで品物が溢れた。そして、先週に続いて哲学関係の口が大量に出品されていた。一通り入札。
古書会館に戻ると、やはり先週よりも札の勢いが弱かったらしく、あれこれと落ちていないものが多数出る(^^;。ま、いいか。まずは目の前にある本を何とかしてあげなくちゃ、ネ。
明日はメルマガ発行日でさらに忙しい・・・。
■2001/03/25 (日) 雨の日曜日 |
予報では夕方から雨のはずだった。
花見に新宿御苑に行こうという予定だったが、長男がゴネた。この間行ったじゃないか!ということらしい。来週も行こうと思っていた(^^;から、今週は折れることにし、桜木町にある野毛山動物園に行く事にした。
で、桜木町駅へ着いたのが12:30。野毛へ歩き出した途端、雨が落ちてきた。そこで動物園を断念し、昼飯を食べながらどうするか考える事にした。駅前の餃子の王将へ。一度入ってみたかったとは女房の弁。レバニラセット(女房)とホイコーローセット(ワタシ)とチャーハン(長男)を頼む。セットには餃子付きという量。それでこの値段?安いナァ。店は満席が続いた。
ニンニクの臭いを漂わせながら店外へ出る。雨に煙る大観覧車と遊園地を海越しに見ながら汽車道という元線路だった道を歩いてワールドポーターズを目指す。この道は歩いていて気分がよい。
このワールドポーターズをちゃんと見たのは初めてだったが、3Fにあった輸入雑貨の専門店街はすごい迫力だ。アジアからヨーロッパ、アフリカ、アメリカと、エスニック雑貨が沢山売られている。見るだけでも楽しいから人は一杯いた。お客かどうかは分からない。実際に売れているのだろうか?その中で一軒、アメリカの雑貨売り場にはスターウォーズグッズがあって、R2D2の実物大人形に”売約済み”の札が!
さんざん見て歩いたら疲れた。休もうと思って1階でソフトクリームを食べたがうまかった。250円也。お客が多い割には席が少なくて、席待ちの人が随分居たなぁ。見込みよりも沢山人が来たってことかな?
2Fに犬の風船のディスプレイがあって子供たちが引っかかっていると、店の人がスッとワタシに寄ってきて、ワールドカップ記念のクレジットカードをお申し込み頂ければおひとつ差し上げます、と来た。年会費など一切無料という事で頼んでしまった。ああ、またひとつ使いもしないカードが増えてしまった・・。それからは犬の風船を巡って子供たち二人の攻防が果てしなく続いた(^^;。
帰り道、ランドマークプラザに袴姿の女子大生多数。神奈川大学の卒業式があったらしい。そーいえばワタシも10年前の今日、武道館で卒業式に出たのだった。
■2001/03/24 (土) アド街ック天国!武蔵小杉・新丸子特集 |
TV東京のアド街ック天国で武蔵小杉が特集された。
オンタイムで見てしまった。やはりね(^^)。
ゲストは石井苗子さん、パンチ佐藤さん、山本恵美さんの3人。皆このあたりに住んでいるらしい。やけに新丸子に詳しい人がTVで喋っているのを聞くのは妙な気分だ。見ながら女房が「こんなこの辺だけのローカルな話題の番組を見て面白がるのってここに住んでる人だけだよね」と感想を言う。そうだろうなぁ。でも普段からこの番組を見ていて面白いってことは、あながち他の人が見て面白くないってこともないんじゃないかな?とワタシ。
見慣れた街。見慣れた道。見慣れた店が紹介されるたびに二人して「ああ、あそこだ!」とニヤニヤ。撮り方がうまいのか、すごくお洒落なお店に見えたり。
やはり紹介されるのは飲食店が多い。それだけ関心が高いのだろうなぁ。三ちゃん食堂が出たのには納得。オーダーを取るおねえさんは伝票を一切用意していないのに4人がバラバラに注文した分を全て覚えて厨房に整理して伝えていた。NEC玉川事業所の社員食堂が完全OA化で自動会計となっていたが、「NECよりもあのお姉さんの方がすごいよね」とコメントしていた山田五郎さんの意見に賛成だ。
その三ちゃん食堂は第5位で、第2位が川崎フロンターレ。堂々の第1位は等々力緑地という結果である。やはり武蔵小杉は外から見ればサッカータウンなのだろうな、と思う。そうかなあ?とワタシなんかは思うけど・・・。
■2001/03/24 (土) 土曜の昼下がり |
午前中、ご入金いただいた本を梱包し、小杉の中原郵便局まで発送しに行った。ありがとうございます!
帰り道、タワープレイスビルから医大通りまわりで帰ってくると、医科大に植えられた桜がすでに咲き始めていた。ポップコーンが弾けるように咲いた薄ピンク色の桜が春風に揺れていた。いよいよ春がやってきたのである。
帰ってきてから女房にその事を話すと、急に気がそわそわし出したのか「じゃあ明日はお花見だネ!」と機嫌が良い。明日は曇りで夕方から雨らしいのでちょっと残念だ。「先週つぼみだった白木蓮はまだ咲いているかなぁ」と言っているところをみると、やはり新宿御苑に行きたいみたいだ。たしかに御苑は整備されているから行っても気持ち良いのだよナぁ。
来週の金曜日から愛書会展が始まる。ご注文は毎日電話、FAX、葉書でドサドサ頂いている。ありがとうございます。
会場売りの本を今日の午後に縛ったが、まだ少し足りないようである。頑張って作らなければ。
■2001/03/22 (木) 本の整理 |
一新会を欠席して本の整理に当てる。
5件も頂いた前金分を梱包・発送。いつも有難うございます。
その後、ひたすら本と格闘したが全然終わらないし、まだ市場に山ほど落札した品物がある。こりゃあ大変だなぁ。整理したあと片っ端からデータベースに入力して過ごした。
■2001/03/21 (水) 秋桜子さんな日 |
水曜日。いつもと変わらない日が過ぎていくはずだった。
しかし今日は違っていた。一通のあるメールが昨日届いていたからだ。「明日はお店にいらっしゃいますか?」という簡単な内容のメールだったが、その中にはある意味が含まれていたのだ。ワタシが途中市場へ中抜けしますので、と告げると「それでは5時過ぎに」とお返事を頂いた。それだけで胸がワクワクした。
昼飯を食べ、12:40過ぎに市場へ向かう。月曜日に馬鹿買いした分の清算をし、地下からその荷物の一部を月曜日に引き続いてリュックと手提げ袋一杯に持ち帰った。気があせっていたのか、重い荷物でキツいはずなのに早足になっている。店に戻ったのは予定よりも随分と早かった。花粉だかなんだか知らないが、鼻がこそばゆいったらない。
鼻をかみながら持って帰ってきた本の整理。
そうこうしているうちに17:30を過ぎた。そろそろだろうか・・・。
あ。いらっしゃった!首からデジカメを下げて分かりやすいおにりんさんだった。いらっしゃいませ、こんにちは。初めまして。ああ!そのうしろには秋桜子さんもご一緒に・・・。初めまして!(^^)よくまあお越しくださいました。
秋桜子さんは18歳から写真家荒木経惟氏のモデルをされ、その記録が「秋桜子」という写真集にまとまっている。荒木さんの写真を語る上でなくてはならない方だ。今日は横浜で秋桜子さんファンページに掲載する写真を撮影していらしたそうだった。一度TVの荒木さんを特集した番組でチラッと秋桜子さんを見ていたし、ファンページでも書き込みを見ていたので、どんな人かな、というのは何となく掴んでいる気でいた。でもやはり好きな写真集の主人公が今ワタシの目の前にいらっしゃる、しかもウチの店で・・・と思うと何とも言いようのない気持ちになった。
秋桜子さんにも、おにりんさんにもお買い上げいただきました。荒木さんの撮影裏話もお聞き出来、その上お買い上げいただけるとは・・・。ありがとうございました。
ショートの髪型が素敵でした。(*^_^*)
■2001/03/20 (火) HERO |
オバケ視聴率を記録したHEROは昨日が最終回。
もちろんワタシもその36%の中の一人だった(^^;。
ストーリー的にはあまり強い印象のないドラマでどうしてあれだけ数字が取れたのか。となれば新聞のTV欄の分析では「キムタクブランド」という言葉に行き着くらしい。彼は我々の世代が育てたスターだ、というのである。歌はスマップの中で群を抜いてうまく、ギターも弾ける。サーフィンが趣味の海が似合う男で笑顔が素敵。これだけアイドルが大衆化した中でもどこか物静かで近寄りがたい雰囲気を帯びている。
「キムタクのファンです」といえば誰もが納得してくれるのだ。彼を見たくてドラマの数字が良くなるのは当たり前ではないか。
これだけ価値観が分散した社会にあって、ある人ひとりに人気が集中するのには裏があると見て間違いないだろう。キムタクという現代のHEROを演じる彼の日常がどうなっているのか。それを考えるとかなり気の毒にも思えてくる。
■2001/03/19 (月) 中央市会 |
今日も月曜日。中央市会である。
昼飯を食べてから市場へ行こうとしたら、前金のご入金が5件入っていた。明日は彼岸の中日で郵便局はお休みだから、今日中に発送しなければならない。慌てて梱包作業をし、出掛けがてら郵便局から発送。ありがとうございます。
中央市会。買いたいものが出品されていた。キリスト教書と哲学書に照準を絞り、値を踏んでいく。一通り入れた後で外の空気を吸いに出る。すると明古のYさんからお茶に誘われた。おいしいコーヒーごちそうさまです(^^)。
会館に戻ると二階があと半分という所だった。すでに開いている3本口がヤラレていた。うう、しまった!それから後半のまだ開いていないところに走り、改め札を入れに行く。欲しかった本は1本を除いて全て落札した。肝心な本に関しては線引きがないかどうか小一時間検本作業をする。名書きがあったが許せる範囲だった。さあ、店に戻って整理と入力だ。ディパックと手提げ袋に満杯の量を背負い、半蔵門線のホームに整列乗車をする。
東横線に乗ると、今日が卒業式らしい袴姿の女の子3人が席に座っていた。3人ともオレンジ系の着物で茶髪だった(^^;。でも、袴姿に鳥の巣みたいなヘアスタイルって、最近はミスマッチでよろしいって事なのかしら・・・(^^;。代官山で降りたから、これから3人で宴会かな?卒業おめでと(^^)。
■2001/03/18 (日) 日曜日 |
やはり昨日は疲れたのだろう。
9時間睡眠して起きると雨が降っていた。その後見る見る雲は切れて行き、昼頃には快晴だった。ぽかぽかと暖かく、出掛けない訳にはいかなくなった(^^;。
12時過ぎに新丸子を出て新宿御苑へ向かう。そろそろ春の花が咲き始める頃である。千駄ヶ谷門から入場し、池を渡る橋のそばではサンシュユの黄色いかわいい花が咲き誇っている。池の鯉も泳ぎだし、睡蓮は葉を伸ばしかけている。ほとりでは修善寺桜が満開を過ぎ、散りかけの花びらがひらりひらりと美しい。
近くの休憩所のベンチに座って渋谷で買ってきたお弁当を広げる。桜を見ながら桜おこわである。タイムリーだなぁ。
居付きの猫が寄ってくる。えさもやらないのに写真を撮らせてもらった。その様子を見たうちの子供たちは、ワタシのカメラを取り合って猫を追いまわす。さんさんと降り注ぐ春の陽射しを浴びながらお茶を飲む。ハーやれやれ、とすっかり女房と二人してピクニック気分である。
そのあとは日本庭園へ移動し、これまた満開の寒桜を見に行った。長男が落ちている花びらを集め出せば、長女も負けじとひらひら落ちてきた花びらを追いかける。近くには日曜カメラマンが団体で居るもんだから、桜の木のそばで走り回る長女の様子にレンズを向ける人の多い事(^^;。ただ、やはり一眼レフばかりでデジカメを持っている人は少なかった。
もうひとつの名物、白木蓮はまだつぼみが多く、あと2、3日で見ごろと惜しかった。新宿御苑以上の白木蓮は見たことないから、ぜひ見ておいて下さい。
それにしても子供たちのよく歩くこと。あっち行こうこっち行こうと引っ張りまわされて我々親がくたくたになった頃、長女の最終兵器キョーフの「だっこ」攻撃は始まる(^^;。13kgもの湯たんぽを抱っこしながら帰り道を歩く。元気なのは抱っこされている長女だけだ(^^;。皆無口。新宿駅新南口前まで来たところで、女房は「ここで食べてこーよー」と降参宣言(^^;。高島屋のとんかつ屋で夕食を済ませた。
少し休めて元気を取り戻し、夕焼けの綺麗な空を見上げながら新宿サザンテラスを歩いた。ただ歩いている人って一杯いるなぁ(^^;。
帰りの電車に乗るなり長女は電池が切れたようにフッと寝に入ってしまった。渋谷の乗り換えと雑踏。13kgのオモリはコタエます(^^;。楽しかったけど疲れた。
■2001/03/17 (土) 弟の結婚 |
3歳下の弟が結婚した。
場所は町田。式は12時半からだが、親族紹介が11時半なのでそれまでに集まるように言われていた。菊名経由横浜線町田駅南口。遅れてはならじと10時前には出発し、町田駅到着は11時前。道を歩いて居ると見慣れた顔が・・・。Gパンにジャンパーでリュックを背負った弟だった。なあんだ、新郎はこんな遅くていいの?それにそのカッコ!「いやぁ(^^;」それでも遅刻しそうなのか、足早に子連れの我々を抜いていった。入ってみれば一流ホテルの趣である。チャペルが横に建っていた。ここで式をやるのかな。
2階の親族控え室へ。なんでも今回は二人のたっての希望で親族だけのシンプル結婚式になった。親族紹介。そして予想通り外のチャペルへと案内される。牧師さんの前説のようなお話。そして二人と新婦のお父さんの入場。チャペル内に流れるオルガンとフルートの生演奏。荘厳な雰囲気。新婦側の人がほとんどカメラを持参されなかったので沢山撮ろうと努力したが、肝心なときにビデオ撮影のライトに干渉されてAFが誤作動したりしてヤキモキ。流れる讃美歌。誓いの言葉。こういう厳粛な雰囲気に包まれるのって何度経験しても良い(^^)。
披露宴というのか親族のお食事会というのか、とにかく20人あまりの親族がひとつのテーブルを囲んだ。ワタシは司会のようなキッカケ出しの仕事とカメラマンを兼任。マイクを持ってカメラ片手にウェディングケーキ入刀から乾杯までを仕切る。
それからは長いご歓談時間。料理は前菜からステーキから刺身から中華まで幅広く出て、皆どれもうまかった。余興とスピーチ。新婦のお兄さんが長渕剛の「乾杯」を歌い上げる。ワタシも急遽歌えと言われたが、用意がなくスピーチを送った。
家ではほとんど一言も喋らないといわれた弟が今日は盛り上げ役に徹して「よく喋る新郎」となっていた。新婦のお父さんに「ファーストキスはいつ?」と聞かれて「初日の出を見に行った時です!」と答えていた弟の律儀で真面目な気持ちはあちらのご家族に伝わってくれただろうか。
新婦の手紙披露から花束贈呈へと会は進む。新婦のご両親の目には涙が光っていた。ワタシも娘の結婚式では泣くのかなー(^^;。帰りの電車の中で娘を昼寝だっこしながらふと頭に浮かんだ事。
弟よ、これからである。どうか頑張ってくれ!
■2001/03/16 (金) 明古の金曜日 |
毎週金曜日が来るのは早い。この数年はさらに加速しているような気がする。
こりゃあっという間に歳をとってしまうなぁ・・・。などと気楽な物言いを書き付けてみたりして(^^;。
さて、今日は荷物の谷間が来たようで、朝から要仕分け荷はほとんどない。
それで今日は終わってしまうかというとそうでもない。持ち込まれる本は時間の経過とともに徐々に増えてきた。後半に黒っぽいものが多くなるのが明古の特徴であろうか。11時半過ぎに持ち込みの荷はピークを迎える。後半の充実はいつもながらすごい。
昼飯の時間、経営員には新古書会館の暫定設計図が配られる。これを叩き台として現場で働く人の意見を取り入れることでより良いものを作り上げたいとする建設実行委員会の方の配慮だ。なんでもこの規模の会館を建設する際には常時出入り可能な駐車場を最低クルマ6台分設置する事が義務付けられているという。荷捌き場からエレベーターを経由して全ての荷物は2階なり3階なりの交換会場へと送られる事となる。
事故もなく開札終了は4時前。早い・・・(^^;。片付けすべて終了も4時半である。飲み会は専大前の飲み屋さんへ。途中からHIDEさんも合流。合計10人。TOMOMIさんが髪をショートにしていた。似合ってましたヨ(^^)。
そのあとブー太郎さんとSさんの3人でブラッセルズへ行ってフランボアーズ2杯。間近に迫った来期の話。お二人とも7月で明古をご卒業とのこと。なんか寂しくなるなぁ(^^;。
■2001/03/14 (水) 古本屋サバイバル |
水曜日は資料会。
店を開けるときシャッターを上げると郵便物がバサバサと落ちた。もう今日の郵便が届いていたのだ。早い!毎日これくらいだと助かるのだけれど・・・。で、封を開けると前金が5件もご入金。ありがたい!早速荷造りをして郵便局へ発送しに行った。ちょうど11:30。うちの長男が通っていた幼稚園の送りの時間で、制服に身を包んだかわいい園生たちが手をつないで二列で郵便局の前を通過していく。行列は去年よりも少し伸びたかな?駅前の岡野栄泉(和菓子屋)さんが終点だ。
そういえばもうすぐ4月。長男が幼稚園を卒園して早一年である。もういっぱしに読み書きができる子供の成長を見て、自分の成長が伴っていない事に危機感。ま、しょーがない。なるようになるサ(^^;。
月曜日に出品した荷物の清算方々市場へ出かけた。一口入っていた様子で、2階も1階も本で埋まっていた。3階で清算。この間返品させてもらった口の返金分が入っていた。ううう、申し訳ないなぁ。まさか装丁を壊してある本まで含まれているとは思わなかったもので・・・。
帰りに東京堂に寄り、『古本屋サバイバル』という本を買ってきた。『ブックオフと出版業界』という本を去年出版し、古書業界の外に立場を置きながらもこの業界、ひいては出版業界全般に詳しい人の本である。帰りの電車の中で第一章「古本屋の現在」まで一気に読みきってしまった。
■2001/03/12 (月) 中央市会 |
月曜日は中央市会。
毎週毎週よく品物が出るなぁ。今日もまた先週並の出品量である。開札が終了したのは5時過ぎであった。
■2001/03/11 (日) 亀山湖 |
今年最初のブラックバス釣行。
朝(というか深夜)2:30起き。眠気覚ましも兼ねてシャワーを浴び、3時を過ぎた頃に用意しておいたロッド4本、ルアー箱、ワーム入れ防寒着を階下へ下ろす。クルマを取りに駐車場へ向かう道すがら、早い朝飯と釣りの間の食料をコンビにで買い込む。出発は3:20。
行きは空いているのと深夜のドライブを楽しむため、陸回りルートを使う。つまり首都高から湾岸経由で京葉道・館山道を経て亀山湖を目指すのである。途中館山道市原S.A.で休憩を取る。4:30に市原を出、姉崎袖ヶ浦I.C.からは一般道をひたすら直進し、久留里経由亀山湖へ到着は5:10。
途中20分の休憩を差し引くと、亀山湖までの約110kmを1時間半で走った事になる。これだから深夜のドライブは止められない(^^)。
まだ真っ暗だったが、HIDEさんのボルボはもう到着していた(!)。6時出船である。偶然今日はよりともボート主催のトーナメントが開催との事。そちらの出船は6:30。その30分の間に釣ってやる!
と威勢良く出船したのだが、バスは出なかった(^^;。代わりに大風が吹き、5枚着てきたのにひっきりなしにハナミズが垂れる始末。ワームはもちろん、プラグもスピナベも試したが、まわりのトーナメント参加の方が釣り上げる場面にさえ遭遇しない。時間だけが通り過ぎていった。
2時を回り、トーナメントは終了。桟橋には悲喜交々の顔かお顔。本日の優勝は3匹釣り上げた方だったという。それでも3匹釣ったのか。すげえなぁ。
トーナメント参加の方はそのまま帰ってしまった。ガラガラの亀山湖。バスもガラガラ。釣果無し(^^;。16:30下船。
帰り道、うみほたるでHIDEさんとあれこれ話しながら軽食。そういえば亀山湖では昼食は食べなかったな・・・。話は尽きなかったが18:30を過ぎたので解散した。
新丸子着19:30。メールボックスチェックしていたらめまい。昨日睡眠3時間だった事に気がついた。もう寝ます。
■2001/03/09 (金) 病み上がり |
先週はメニエルのためお休みさせていただいた明古に復帰。
朝8時からあわただしい。昨日が一新会のウルトラだったから会場は残置品の山だったのだ。加えてプラットホームの際には出品の要仕分け荷がきっちり50箱デンと座っている。話によれば10時にあと50箱到着するという。さあ、大変だ。2階の古書展にキープされたカーゴを少し分けてもらったりしながらまずは残置品を片付ける。その間に地方荷の20箱を地方荷係りが開ける。昨日の内に会場へ持ち込まれた品物にチェックを入れる・・・。さあ、いよいよ50箱を開けるぞお!
後半クーラー側に寄せた箱を開け出すと文学関係の口だった。あと50箱の荷が来ても大丈夫だ!と見通しがたった頃ひとつ情報が入った。なんと10時に持ち込まれると聞いていた荷物は、運送屋さんが10時に現地集合という話だったというのだ(^^;;。その時点で本日出品は不可能と判断。普段どおりの市会。
久しぶりの飲み会はすずらん通り裏の中華へ。2週間ぶりにジョッキを傾けた。
やはりビールは皆で飲むからうまいのだろうナ。
■2001/03/08 (木) カメラ2種 |
二ヶ月ぶりのウルトラ市。
3月に入り、日差しは明るくなってきた。春のような明るさでまぶしい靖国通りを帰路につく。そんな春らしい日差しとはうらはらに一級の寒気が流れ込んでいるという。風は冷たくコートは手放せないが、街を歩く女の子たちはもう春を先取りした服を着て歩いている。ピンク色をしたジャケットを羽織って短いパンツでがんばって歩いていた。元気だよなぁ(^^;。
帰りにBカメラでIXY用の電池をひとつ買っておこうと寄ると、今品切れとのこと。がっかりしながら店内を逍遥。するとコンタックスT3が発売されていた。ツァイスT*ゾナー35mmF2.8が搭載された高級コンパクトカメラである。実際に手に取ったが、見た目よりも軽い。高級コンパクトカメラの場合、見た目よりも重さが軽いときワタシとしては高級感が損なわれた気持ちになる。そう、訳有りの重さがあって欲しいのだ。そういう点ではT2の方がより高級感がある事となる。値段も新品の実売が8万を切り、T2よりも”安い”。デザインもちょっと直線的に過ぎたようで魅力的ではなかった。これなら先代T2の中古の方が欲しいが、もちろん京セラ製AF機の中古なんて危なくて手が出せない(^^;。いまさら激安の高級コンパクトなんていうジャンルが流行るのだろうか。ツァイスレンズを前面に出したデジカメを作る方が先ではないのか。
隣にはヘキサーRFがあった。35mmF2レンズ固定の初代ヘキサーが発売されたのは1992年の今頃だった。あれから9年経ったのかと思うと隔世の感がある。今回発売された35mmF2は新設計の構成だったためなんとなく気持ちが離れてしまったが、ヘキサーRFはどうだろうか。28mmF2.8が付いていたデモ機を触ってみた。コンタックスGシリーズのような切れの良いシャッター音と巻き上げ。M型ライカを現代風に進化させたのがこのヘキサーの売りである。電池駆動という点以外では文句を付けようがない仕上がりであった。値段も実売14万円というのは仕方ない値段だと思う。ただし、この値段はライカM6の正規価格の半額以下である。機能だけを考えるならば激安ライカと言えなくもない。
この2種とも電池駆動のカメラである。果たして中古市場ではどう評価されるのだろう。一般に電池カメラはフレキシブル基板(ニコンF3は当初スルメ入りニコンと揶揄された)が内蔵されており、当然経年変化をきたすICが電池を食べながら各部を制御している。メーカーのメンテナンス体制が終了した時点でこのフレキシブル基板は生産がストップし、故障し次第そのカメラはお払い箱となる。中古価格は限りなくゼロに近づいていく運命を生まれながらにして持っているといえる。現代カメラ最大の弱点である。
■2001/03/06 (火) オヤジさん |
古本屋になろうと決めた時、やはりオヤジは目標となった。
店と愛書会展の売上げ金額。それが年間でいくらくらいになっているのかなども気になったが、何よりも、どんな本を扱い、どうやってお客様を見つけているのか、というところを見詰めた。
文学書である。オヤジは文学書一筋で家族を支えてきた。それは現在でも変わっていない。愛書会展で出品する本には高額品を除けば満遍なく注文が入り、今でも真似できないという想いに駆られてしまう。お客様からは「綺麗な本を安価にありがとう」とよく言われ、ああオヤジはいい本屋なんだな、と思う。
こんな話の答えは一生かかってもわからない問題かもしれない。結局は自分が”これ”と思った本に全力を注いでいく以外に道はないのだが、もしそうならワタシはオヤジの思っている「いい本屋」にはなれないことになる。時折そのジレンマが身体中を這い回る。
どうしたら良いのかと悩む日々は続く。
■2001/03/05 (月) 一通の手紙 |
今日の郵便の中に桜色した封書が一通。
何かな?と思い手に取ると、「寿」切手だった。差出人はブー太郎さんと知らない女の人の連名。でも、この字はブー太郎さんのじゃないなぁ。そう!何を隠そう結婚式二次会のお知らせだったのだ!
めでたいめでたい!おめでとうございます。
神保町で銀行に寄ってから古書会館へ向かうと、なんと偶然ブー太郎さんに会った。道すがらあれこれとお相手の事とかを聞いた。HIDEさんがちょっと前に「びっくりしたで賞」の賞品(エスワイルのケーキ)を持っていらしたそうだ。エー話やなぁ(^^)。
結婚式は来月、桜が満開の時期。いい時期だね、とワタシが言うと、それでも予約したのは去年の12月だったという。へぇ。こんなトップシーズンなのに意外に簡単に取れたんだねー。そういえばワタシたち夫婦も4月10日が結婚記念日だ。奇遇。
で、中央市会。今日は全集を中心に出品しておいたのである。一回り様子を見てみる。うむ、それなりに札も入っている。何とかなりそうだ。買えた品物はいつもより少なめ。
■2001/03/04 (日) 交通博物館 |
今日は日曜日。
そして長男の誕生日。ただ、朝から雨。こんなときどこへ出かけようか、とリクエストを募って必ず返ってくる答えが「交通博物館」である。
子供二人は交通博物館が大好きなのだ。今日もお昼過ぎに出発となってしまい、神田駅到着は1:30。雨はやんでいた。おなかがすいたの大合唱に押されて万世橋たもとにあるお店へ入る。地下にあるとんかつと串揚げのお店へ。
親は二人でメンチカツ定食と唐揚げ定食。それを長女にも分けて長男は一人でお子様ランチをペロリと平らげた。いつの間にか量を食べられるようになっていてビックリ。
食べ終わって万世を出たのが2時半過ぎ。目と鼻の先には交通博物館の新幹線とD51が見えた。お子様連れが一杯群がっている。祝日の月曜日に良く見かけるどこかホッとする光景である。入場するともうパノラマ模型鉄道の2:30の回は佳境を迎えていた。すごい人だかりである。普段なら食い入るように見る子供たちはその人の多さに食傷したのか「今日は見なくていい」と言った。
交通博物館は元万世橋駅があった場所を流用して作られたJR東日本が運営する博物館である。万世橋から見える古い赤レンガの高架線の中には模型鉄道や鉄道シュミレーションを楽しむ子供たちがいっぱいいる。ワタシも中学生の頃に一度来たことがあった。そのときは場内にある巨大機関車を見て「一体どうやって運びこんだのか」と感心しながら見ていた記憶があるが、今や去年末に新しくできたパソコンゲームのような鉄道シュミレーションに皆夢中だ。こんなゲームのために1時間も並ぶのなら電車の一番前に行って運転台の様子を見ているほうがよっぽど面白いだろうになぁ。
逆にVTRで何度も流れていたSLの映像は迫力満点。石炭を燃やして湯を沸かし、その蒸気の圧力で動輪させるというSLは、2段階のエネルギー伝達を経るために非常に無駄が多い機構だったという。しかし、蒸気を噴出しながら走るその姿は新幹線でもかなわない美しさがあった。カメラでSLを追うファンが今でもいることに何の不思議もない。
今日のひそかなヒットである。
帰り途中の渋谷で東横のれん街に寄ってモロゾフのレアチーズケーキを買って帰る。昨日はご馳走ばかりでケーキを食べないことにしていたのだ。食後に丸のままのケーキを切り分ける。その時の子供たちの表情ったらない。みんなケーキが好きなんだなぁ。(^^) 食べてみるとおいしいおいしい。4人が満足するだけ食べられてこの値段。また何かあったら買ってきましょう。
■2001/03/03 (土) 仕入れ(^^) |
今日も近くまで仕入れに出かけた。
今回は事前に詳細なリストを頂き、見積もり金額を出して欲しいと言われていた。リストに基づき、概ね12万円ほどです、と先方にはあらかじめ伝えておいた。ただ、量がかなりある(つまり全集が多い)ので人手が必要となるため、二人で出かけることとした。
全集は月報が命。月報の有無をみる。ついでに本の美醜を隈なくチェックする。残念ながら数点にゴキブリ汚れがあった。お客様には悪いがゴキブリ本は絶対に売れないのである。申し訳ないです。
帰ってからすぐに全集の目を揃え、縛って封筒を付けた。店のダブリ本やだぶつき本と一緒に月曜日の中央市会に出品するためである。
さて今日はひな祭り。うちにも2歳のお雛さまが一人いる。そして、長男は明日が7歳の誕生日だ。お赤飯を炊いてささやかなひな祭りと長男の誕生日のお祝いを一緒にしてあげようというのが今夜控えている。二人の喜ぶ顔が楽しみである。
■2001/03/02 (金) 明古を休んだ金曜日 |
明治古典会の経営員になって6年弱。今日初めてお休みを頂いた。
昨日起きたメニエルのためである。もちろん、今日はほとんどその症状も出ていないのだけど、これ以上長引かせることは出来ず、早めに治しておく必要があったためである。そう何日も寝ていられない。
心配した母親は「家庭の医学」を開いていろいろと喋る。「根を詰めるとなるみたいだから注意しなきゃ」という。よく聞けばワタシの祖母も針仕事で根を詰めてメニエルにたびたびなったそうだ。
と、ここまで書いたところで電話が鳴った。Sさんからだった。「日記読みました。具合は大丈夫ですか?」ううう、恐縮です(^^;。今日は休ませて頂いてすいませんでした。もうほとんど大丈夫だとは思うんですけど、大事を取らせて頂きました。
お見舞いの電話、うれしかった。HIDEさんからも昨日のうちにお見舞いのメールをもらい、本当にありがたかった。
せっかく(?)休んだのだからゆっくりでも仕事をしよう。ぼちぼちとできる仕事として甘露通信の在庫をアップデートする作業をした。気が付けば3週間ぶりだ。「日本の古本屋」へは毎日のようにデータをアップしているから、なんとなく自分のページがおろそかになっていたようだ。まずいまずい(^^;。
今日からフレッツISDNが使えるようになった。月額3600円とプロバイダに400円。計4000円で繋ぎっ放ししてもいいのである。早速面白がって接続を切らずに書き込みをしている。
お客様からも2通お見舞いメールを頂いた。ありがたいです。ありがとうございます。早く治してまた明日からちゃんと仕事をしたいと思います!
■2001/03/01 (木) メニエル |
朝起きたら眩暈だった。
はて、昨日は酒も飲まず仕事をしていただけだったはず。なんでかなー、と思いながらフラフラとトイレに入ると、急に込み上げてきて吐いた。もちろん胃は空っぽだったので出るのは胃液ばかり。
立っていられない。立つと天井が回った。結局また寝ることにした。食事なんてとんでもない。寝ていても吐きそうだったのだ。
それからも3回吐いた。空っぽのはずなのに胃からはボール一杯の胃液が出る。脱水状態を心配し、女房はたびたび白湯を持ってきてくれた。
昼を過ぎ、4時を過ぎる頃、目を開けても天井が回らないようになった。恐る恐る起き出して飴を舐めてみた。なんとか落ち着いたようだった。
実は過去にも一度同じような病気になったことがある。その時はまだ神保町の友愛書房さんに勤めていたときだったから今よりも大騒ぎだった。朝11時前、店で品物を整理していた時、耳の奥の方で小さな音でプツンと聞こえたと思ったら急に天井が回りだしたのだ。それからはすぐに3階で休むように言われたが、やはり横になりながら今日のようにゲーゲー吐いた。運悪くゴールデンウィーク中だったため、外来はどこも休み。救急車で駿河台の日大病院に搬送された。
若い先生数人に診察され、脳から来ているものではないと診断された。どうやらメニエル(耳の三半規管の不調)らしかった。点滴を受け、迎えに来てくれたオヤジの運転するクルマで夜帰宅した。
メニエルは現代病だという。疲れやストレスがたまっていたり、パソコンに向かう時間が長かったりすると、三半規管が不調を訴えるらしい。要は休むこと。それ以上の治療はない。
今は何とかこうして日記を書ける位になった。だが、明日の明古は休んだ方がいい、とオヤジが言う。確かにそうだろう。ここで無理をしてメニエルが持病にでもなったりしたら困ると言うものだ。ただでさえ喘息に腰痛持ちと持病を抱えているのである。
明日の明古は休ませてもらうことにした。申し訳ないです。