甘露日記2001年6月

■2001/06/30 (土) 訂正

天気予報では雨は降らないはずだったが、雨である。
でもここ2、3日猛暑が続いたから恵みの雨みたいに思える。

朝は8時前に起きてしまったが、やはり寝不足。雨という天気もあって気分もハッキリしない。

午後は大市明けに控えている愛書会展の荷物作り作業を延々行った。

明日はもう日曜日。ついこの間ティラノサウルスを見に行ったような気がするぞ(^^;。なんかこうして日常に追い立てられているうちにすぐに歳を取ってしまいそう。まずいな。

■2001/06/29 (金) 特選

金曜、明古。

6月は5回明古が開催された。大市前の最終市であり、今期最終市でもあった。

地方荷が100箱。持ち込み荷も順調に増え、1100点あまりの出品点数を数えた。

開札を進めていくと、今日は珍品が数多く出ていたことを実感する。パンパンに張った封筒。入札する時の興奮を伝える札の書き方。入札された方が品物のそばに佇み、付きっ切りで開札の様子をうかがっている様。

市会終了は4時半。片付けを終え、地方荷発送を済ませてから今期最後の終礼。主任のブー太郎さん、8年間経営員を勤められたSさんのお二人は、大市会期中まで一緒に仕事をするものの、通常市は今日が最後。お疲れ様でした。

大市運営部から、一部仕事内容に変更が出たので説明したい。と言われており、3階会議室へ経営員全員が上がる。運営部長さん、Nさんから変更箇所を含めた大まかな流れの説明を受けた。終了は7時。

大市備品の整理のため、それから8時まで5人がかりで作業。ワタシとブー太郎さんは待つ間あれこれと話した。Oさんは店閉め。

8時過ぎに作業終了。錦華通りそばの飲み屋(給料日直後の金曜のため、どこもいっぱい)に9人。10時過ぎまで。その後すぐそばのブラッセルズでKさん合流の上、終電まで。

0時過ぎの神保町駅前に千葉から来たメロン売りの軽トラの灯り。Kさんにメロン2個ご馳走になった。明日冷やしてから食べますね(^^)。ありがとうございます。

■2001/06/28 (木) 続き

引き続きPCの復旧作業。

合間に市場へ行ってくる。月曜日に売り損ねた本を出品してあったのだ。そういえば今日が今期最終市である。

昨日落札した本が少しあって、デイパックに詰めて帰路に着く。明日の地方荷が玄関先に山と積まれていた。しめて100箱。結構な量だ。

途中、渋谷のJ州屋に寄る。スピニングリールを一本買った。いつも使っているSHIMANOのアルテグラ2500のシャロースプール仕様。ベイトの釣りをほぼあきらめてから”買おう”と思っていたリールだった。セールで4割引とはお買い得也。
帰ってきてお茶の時間に糸巻きをしていたら子供たちが喜ぶこと(^^;。パッとまとわりついてきて「次やらせてー!」と両方から引っ張りだこである。こういうおもちゃ的な機械に子供たちは興味があるようだ。いや、なんでも親のすることを真似したい年頃なのかもしれないけれど。

母親の実家・木更津の隠れた名産である千葉海苔を漁連から通販で買った。それが昨日届いたので楽しみに食べている。スーパーで売っている有明産の海苔とは比べ物にならないくらい上等なのに安い。色は真っ黒で分厚い。目をつぶって食べても判るほどふつーの海苔と違いがある。あまり買いだめしても品質が落ちてしまうから、なくなったらまた頼もうかな。毎食白いご飯を食べたくなるうまさだ。

神保町交差点。気温32度。
■2001/06/27 (水) 帰還

PCが修理完了。

すでに修理センターでウィンドウズ立ち上げまで済ませてあった。オフィス2000をインストし、とりあえずノートンシステムワークスを入れたのは前の教訓から(^^;。
で、それからが長かった(^^;。アクセスとフロントページを入れたあと、店の3階にあるデスクトップPCから古書ネットをデータごとCFカードで移し、1階のノートPCからホームページのデータを移す。
インターネット接続に関する設定もめんどくさい。フレッツISDN開通時の書類を引っ張り出してきて、マニュアル片手にモデムからダイヤルアップの設定まで。
たったこれだけの作業でたっぷり4時間もかかってしまう。

復旧作業はまだ終わらない(^^;。

自由が丘で急行待ち。
■2001/06/25 (月) 延期

月曜は中央市会だ。

いよいよ来週月曜日の中央市会終了後、明古大市に突入する。中央市会は今期最終市だった。

うちも土曜日のうちに24点ほど出品しておいた。大体2階に上がっていたようだが、見つからない口がひとつ。どこに展示されているんだろ(^^;?

帰り道、渋谷は蒸し暑かった。地下鉄は冷房が効いていてなんとか過ごせたが、地上に登った途端に汗が噴き出した。ハチ公前スクランブル交差点を行き交う人たちもまた、蒸し暑さに顔をしかめながら歩いている。女のコはずいぶん薄着になったなぁ。もう夏だね。

■2001/06/24 (日) 上野

恐竜が見たい、と長男が言った。

上野の科学博物館へ行く事にした。渋谷から銀座線で上野へ。地下鉄を降りて不忍口を出ると、駅は外壁を含めた全面改良工事中だった。まず食事を食べようということで、JRのガードに沿って御徒町方面へゆるゆると歩く。一軒地下の讃岐うどん屋さんを女房が見つけ、そこに入ることにした。女房はうどん定食580円、長男はたっての希望でたぬきうどん400円、ワタシは天ざる1000円。

松竹デパート前を通り、東京文化会館から西洋美術館を抜けて、博物館に到着。まず屋外展示のシロナガスクジラを見てから中に入ろうとすると、券売機は意外に家族連れで混んでいた。

とにかく恐竜である。アロサウルスの化石がエントランスを入ってすぐにある。前からあるけどすげえなぁ、と思う。両側に広がる展示室に入ると、大幅に展示内容が変わっていた。今まではもっとストイックにものを見せるような編集だったはずだが、今はこども図鑑から飛び出してきたような内容に編集されていた。現在はこどもに何か興味を持たせることが最重要課題となっているのだろう。

エントランス入ってすぐのアロサウルス

1階を見終わって案内を見ると、新館が一部完成していたので、1階を見た後新館へ移動した。なんとホテルのような広々とした建物だった。まだ完成して時間が経っていない。博物館と言うと薄暗くて黴臭い雰囲気を想像するが、ここにはそんな雰囲気は微塵も無かった。

B1Fには新たに恐竜の展示室があり、ここが新館最大の目玉。アパトサウルス、ティラノサウルス、トリケラトプスの化石が高い天井の展示室にライトアップされ展示してあった。ううむ、すごい迫力だ。小学生の集団が引率され、大勢で見学していたが、皆スケッチしたり写真を撮ったりして、展示のインパクトに応えていた。

ティラノサウルス

ワタシは中学生の頃にこの博物館へ初めて行ったが、もちろんこんなダイナミックな展示なんて無かったし、望むべくも無いと思っていた。夏休みになるとデパートかなにかで客寄せに企画される「大恐竜展」などを見に行ったが、恐竜の卵の化石やら恐竜には違いないのだろうがトカゲ大のものの化石など、いかんせんスケールにおいて全く満足できなかった。
ある意味でワタシの小さい頃から理想の「恐竜展」がここで実現されていた。入場料は”たったの”420円。高校生までは70円である。

2階には身近な科学として竜巻マシンやプラズマ発光機、磁石を使ったさまざまな効果を体験する装置などがいっぱい置いてあり、そういうのが大好きな長男はここが一番気に入ったらしい。

3階は雑木林のジオラマになっており、剥製の動物たちがあちこちに配されて自然体験を、という展示だった。長女はここが一番気に入ったようだ。にしても、”自然”は博物館に入れるべきものになってしまったのか、とワタシなどはタメイキ。
12時頃入場して4時までたっぷり見学した。結構疲れてしまった(^^;。

博物館正門

帰りはM屋の食堂で食事。昭和40年代そのままのインテリアとメニュー。女房はスパゲティーナポリタン750円、長男はお約束のお子様ランチ700円、ワタシは”松坂ランチ”1000円というあれこれ盛り合わされた大人版お子様ランチだ(^^;。食券を買って席に付けば、半券を切って薬缶でお茶を給仕してくれた。うーん、渋い!
でも味は悪くなくて、子供たちも残さず食べた。たまにはこういうのもイイよね。

帰りの地下鉄。長女、爆睡(^^;。

■2001/06/23 (土) 友達

長男が欲しいと言っていた「世界遺産大図鑑」というコナンのビデオがついてくる本を昨日買った。

深夜帰宅してからざっと見てみると、面白くて読み込んでしまう。長男の枕元に置いて寝た。時に2時すぎ。朝起きると瞼が重くてなかなか起きられなかった。

意外に本が好きなウチの子供達。TVゲームを置かないせいか、何かに渇望した時に本に手を伸ばすようだ。寝る時には必ず母親に「本を読んでくれ」とねだる。遊んだおもちゃを片付けなくて叱る時「もう本を読んであげませんよ!」というのが親の切り札になっている。本屋の子供が本嫌いでなくて良かった。

10時、長男の友だちから電話が相次いでかかってくる。まだ朝飯を食べ終わったばかりだというのに、女の子二人が呼び鈴を鳴らした。シャッターを開けると挨拶ナシにドカドカ入ってくる。まあ、それにしても近頃の女の子なんだねェ。キャーキャーとウルサイ事(^^;。あと5年もすれば茶髪にしてジョシコーセイになってしまいそうな勢いだ。

月曜に出品する荷物を古書会館まで運ぶ。HIDEさんに遭遇。昨日のことをあれこれ話した。HIDEさん、明日は亀山の空の下だそうだ。頑張ってくださいねー(^^)。

帰ってくると13時。女の子2人は帰っていた。しかし、昼飯を食べ終わるやいなや「さっきの女の子のひとりが来てるわよ」と階下から知らせ。え?という間もなく、ウチの長女と同じ名前の女の子が入ってきた。でも、さっきよりおとなしいなぁ。もうひとりの女の子と一緒じゃないからか、うるささもかなりトーンダウンして長女と一緒に遊んでくれている。へー、変われば変わるもんだなぁ。

■2001/06/22 (金) 明古

金曜、明古。

大市前で、梅雨真っ只中。例年荷物の少ないこの時期ながら900点弱の荷物。

今日はなんと言っても荒木さんのオリジナルプリントが2枚出品された事に尽きる。裏面署名入りの正真正銘。絵柄はかなり過激(^^;。開札直前に封筒を触ると札がパンパンになるまで入っている。なかなか売れないくせに高いんだからなぁ(^^;。

市会終了は16時前。

経営員は、運営部HIDEさんが作成してくれた大市作業日程表を片手に、新人さんたちの不安を解消するべく説明会を開いた。軽くさらっと説明しようと思って始めたものの、やはり細部を再現しようと思うとだんだん説明が長くなる。終わったのは18時少し前だった。

経営員は皆ほとんど用があると帰った。ブー太郎さん、S.K.さん、ワタシで神田駅近くの尾張屋という蕎麦屋であい焼きを肴に酒を飲んだ。もりに熱燗ていうのも初めてだった。

そのあとDニーズでお茶。いや、そうでない人ばかりだったなぁ。ワタシとブー太郎さんはプチパフェ。S.K.さんはジョッキ生。途中参加のOさんは月桂冠の冷。一体どんな奴らのオーダーだ・・・?という怪しい雰囲気ムンムンのまま、ウルトラセブンの話で盛り上がる。話の切れ目を探すのも難しかったが、どうにか終電に間に合った(^^;。

■2001/06/21 (木) 雨日

雨が続いている。

朝飯を食べていると、女房がしきりに外を気にしていた。何?と聞くと、ちょうど目線の先にある電線にスズメが来るというのだ。そういえば最近はカラスばかりでスズメをあまり見ないなぁ。ちょっとは珍しくなったスズメとはいえ、どうして気になるの?「しょっちゅう来るのよ。それでたまに葉っぱとか咥えてくるから・・・。もしかして近くに巣があるんじゃないかと思って。」なるほど。

ウチの店の前はワタシが生まれるずっと前からゴミ集積所である。日の出とともにゴミをあさりにカラスが毎朝やってくる。そんな醜悪なイメージのゴミあさりカラスが毎朝繰り広げる光景に慣れた目には、スズメの姿がとても可愛らしく見えた。

しばらくしてゴミ置き場に立つ電柱の変圧機の陰にスズメの姿が吸い込まれた。あっ!あの中に巣があるんだ!・・・うーむ、盲点だったなぁ。毎朝カラスが押し寄せるゴミ捨て場の真上にあったとは!二匹のスズメが時間をおいて交互に”巣”の中に入る。たまに入ろうとした時に我々に目が合うと知らん振りしてそのまま飛び去る事もあるが。

最近は軒先が減ったからか、都会化が進んだからか、ツバメも子育てに来なくなってしまった。駅前の時計屋さんには毎年来ていた。直下に落ちる”糞爆弾”に注意する必要があったものの、可愛いしぐさや声に思わずニッコリしながら様子を見ていたものだ。あそこから巣立ったツバメは戻って来れなかったのだろうか。今はもう来ていない。
先日の亀山湖釣行時、市原SAのトイレの庇に何組かのツバメ親子がいた。夜中にもかかわらず親は休まずにエサを子供に運んでいた。ああいう姿を身近に見る事の出来なくなった都会の子供たちは、親がどういう想いで自分たちを育てているのかわからなくなっていないだろうか。先日の新聞には、中学生の子供と接する親は半分も居ず、全く会話も無いと統計を出していた。

都会で必死に生きるスズメたち。彼らの姿が稀にしか見られなくなったように、都会で子育てする人間もまた、本当の意味では少なくなっているような気がしてならない。

変圧器という劣悪な環境ながら、一生懸命面倒をみてくれる親がいるのはきっと幸せなのだろう。ヒナが感電しないで巣立てる事を祈りたい。

■2001/06/19 (火) 競売

先日初めてヤフオクでレンズを落札してから、このオークションという仕組みの面白さに気が付いた。

自分が出品してみたら面白いんじゃないか?と考えたのだ。バス釣りも3年目を迎えて、実際に使わなくなった道具が出てきていた。

そんな時にヤフオクが本人確認を始めた。

アブ・ガルシアというスエーデン製の伝統あるリールを使いこなせず、2つヤフオクに出品した。
すると、思っていた以上の値段になってしまった。中古屋さんに持ち込んだとしてもその額で買い取ってもらえないだろう、と思えるような値段だった。

インターネットの本領発揮だと思った。

今までは売りたい人と買いたい人の間に中間業者が居て、その人を介して両者は出会っていた。インターネット(ヤフオク)はその中間業者を”中抜き”してしまったのである。

本の流通も近年はインターネットにより、あちこちで中抜き現象が起きている。出版社のページにアクセスして注文を出せば、取次、書店を飛ばして一気に読者に届いてしまう。
もっと進めば、著者の出した有料サイトで購読を申し込めば、編集者、出版社、印刷所、製本屋まで一気に飛ばすことになる。かのスティーブン・キングはその方法で短編を一本自分のサイトで”販売”し、50万人から4700万円の販売代金を得た。こうなってくると革命である。本の概念まで変わってしまう。

前提はそう簡単には変わらないはずだ。しかし、常に見つづける努力を怠ってはならないのだろう。未来は明日の連続に紛れて訪れるのだ。

■2001/06/17 (日) 湖上

なにかいろいろなものが溜まっていた。

モノではなくコトが。

そういう時、ワタシは亀山に行く。いつしかバス釣りはワタシの中でそんな存在になっていた。

深夜のドライブで早朝5時から亀山湖のボートに乗り、釣り糸を垂れる。毎度毎度バカやってんなぁ、と思いながらもやめられないのは、そこがひとりになれる空間だからだ。みんなでわいわいと釣りをするのも楽しいが、ひとりで出かけて、終わる時にボート屋のおにいちゃんと今日は釣れたかと二言三言話すのみ。そういう日があっていい。

久留里街道は雨。到着する頃には上がっていたが、どんよりと曇っていて釣りには最高の天気。
亀山湖は先日来の雨により満水だ。これはオーバーハングねらいで爆釣かな?と気楽にセンコーやらPOP-Xで釣りを始めるも、朝一には結局アタリが無かった。パラパラと降っていた雨が止んで明るくなってきた。
ヤバイなと思い始めた10時過ぎにカットテールでアタリをもらう。しかしフッキングミス。合わせが弱かったのか、針先がワームから出ていなかった。
フックの大きさを変えた。しかし、その後2回もアタリをもらいながら手許でばらした。なんだろう?なんでかな?

フックを変えた。そしてワームもバレットに変えた。すると、待望の釣果。島裏のなんでもない場所の岸際に投げたバレットに、陰から飛び出してきたバスが食いついた。33cmとまずまずのサイズ。過去に何度も釣られているワーム好きバスらしく、口があちこちで切れていた。もう14時近かった。

それからは同じ島裏で37cmを最高に釣り続け、時計を見るとすでに17時過ぎ。そろそろ終わりにしなければ、と思いながら、前回38cmを釣った時の仕掛けがそのままになっていた3インチグラブを、目の前を通過しようとしていたデカバスの鼻先に投げた。あっさり無視すると思ったその瞬間、目の前でバスはグラブを咥えたのだ!ラインが勢い良く走り出す。しっかり合わせるとフッキングした。ぐぐぐぐぐ!力強い引っぱり。この感触は今までにないから40アップ、いや、45アップは確実だった。ラインはナイロンだったから走られたら終わりだと思った。だが、その考えが間違っていたのかもしれない。しばらく格闘しているうちにラインがあっさり切れた。
ガッカリしたものの、妙にすっきりした。

釣果5匹。バラシ4匹。全部釣れてりゃア良かったんだけど・・・。今日はイイや。

37cmの面構え
■2001/06/16 (土) 整理

一日店にいた。

いや、正確には丸々一日ではなかったが、何処にも出かけなかったという事だ。

店に戻ってからは木曜日に大量に落札した品物の整理にほぼ一日を当てる。データベースに入力する作業もしなければ完了したことにならないため、時間は倍かかっていく。そして故障したパソコンがまだ戻ってこないため、3階に置いてあるデスクトップパソコンの前にまで持っていかなければならず、手間はさらに倍(^^;。

土曜日で半ドンの長男は友だちを2人も連れてくる。ただでさえ狭い部屋の中。ワタシがパソコンに入力しているそばでドタドタ・キャーキャー走り回る。最初は我慢していた心の広いワタシも、遠慮と言う言葉を知らない彼らの傍若無人な暴れっぷりに一言言葉を浴びせ掛けた。外で遊んで来い!
怒鳴り上げると階段でガチャガチャ遊んでいたお友達二人は、叱られ慣れていないのか、ワタシの顔を見ながら遠巻きにこちらを伺っている。長男もろとも外に追い出すと、部屋はブロックのパーツの破片で満艦飾に散らかっていた。

オヤジは倉庫にある長年の間に積みあがった荷物を整理する、といい、店に来ない。
長男が帰ってきた。お友だちとは遊んだ後そのまま別れたそうだ。恐がられたかな?ひるまず子供には躾を!がワタシのモットーだ。

雷オヤジ2号になってやる!

■2001/06/14 (木) 梅雨

一日雨。梅雨らしい天気。

どうして梅の雨と書いてこの時期の天気のことを指すのだろう。広辞苑を開いたがその答えは無い。

新聞には酸性雨に注意とある。なんでも食用酢と同じph3まで酸性化しているという。ちなみに中性はph7だそうだ。雨が酢のように酸っぱくなってそれで梅雨か、なんて暢気な事は言っていられないようだ。
とにかく雨には気をつけましょう。

古書会館に着いてOさんに会った。大市の備品係Hくんが古書会館の屋上にある物置に一人こもって備品の準備をしていると聞き、行ってみた。ワタシもかつて備品係をして苦労しました。お疲れ様です。
一新会は今期最後のウルトラ市。沢山の荷物が集まっておりました。バンバン入札していたらドカドカ落ちて来て、一旦店に戻ってクルマで品物を取りに行った。まったく、店で売れてないってのに買っちゃうんだから困ったサガだ。ナディアいっぱいの荷物を持ち帰れば20時少し前。ハラ減った・・・。

空から希硫酸の降る東京。・・・なんかヤな感じ。

雨の神保町裏通り
■2001/06/13 (水) 仕入

久しぶりの仕入れ。

目録からのご注文を捌ききれないまま、オヤジの運転するクルマに乗って朝10時前に今日のお宅に到着。オヤジの昔からのお知り合いだ。昨日深夜までかかって荷造りしたのでまぶたが重い。
お引取りして帰路につく。有難うございます。

帰りの道中は足が軽い。クルマが走っているんだから気のせいなのだが、道も空いていたし、そんな気がしたのだ。
10時半に店に戻る。荷物を下ろしてクルマを車庫に入れて帰ってくると昨日の続きの荷造り作業である。途中今日の郵便で追加があり、前金分も含めて荷造りをしていたらあっという間に13時になってしまった。ううう、時間の経過に気が付かなかった。今日は市場へ行けないな・・・(^^;。

結局荷造りは15時半までかかり、そのあとは今日の朝買ってきた荷物を仕分ける事にした。多分高いんじゃないか、とその場では買い入れ値段を判断できず、お預かりしてきたものも含まれていた。

■2001/06/12 (火) ほぼ

「ほぼ日刊イトイ新聞の本」を読み終わった。

インターネットに関わるどころか、パソコンさえ触らない糸井重里さんが、どのようにしてご自分のサイトを立ち上げていったのかが書いてある。現在では1日35万ヒットするその人気サイトには、少なくとも5万人ほどの人が毎日訪れているはずだ。

きっかけは時代の閉塞感だった。世の中にモノが溢れ、もはや安売りでしかその商品を差別化する手立てがなくなっていた。糸井さんはコピーライターというクリエイティブな仕事をしていて、クリエイティブが叩き売られるような状況に危機感を持っていた。「やりたい仕事」が減り、「自分しか出来ない仕事」が世の中から姿を消し始めたのだ。「豊かであると信じていたことが実は貧しい」と思えるような事も味わった。

そんな中、インターネットで「サッカー日本代表を応援するホームページ」に出会った。ここの掲示板にはサッカー好きが集まり、無償で情報をやり取りしあっていた。自分の知っていることをパソコン画面の向こう側で必要としている人がいる。そんな信頼関係が出来上がっていた。「気持ちのいい衝撃があった。」

「クリエイティブが主体となった新しいメディアとしてインターネットが使えそうだ」と糸井さんは悟る。ご自分がそうであるように、タダでも自分のやりたい事をやりたいクリエイターが糸井さんの周囲にはいた。そういう人たちにカチッとした高級な話ではなく、「まかないめし」のようなものを提供してもらえたら・・・。それが大きなコンセプトになった。

始めると予想を遥かに越える反響が読者から次々と寄せられた。日常は多忙を極めたが、頂いたメールを読むことが励みになった。「ほぼ日刊」と言いながら毎日更新を守った。毎日が徹夜となった。そしてサイト運営は無料を貫いた。

「多忙は怠惰の隠れ蓑」これは糸井さんの高校時代の先生が教えてくれた言葉なのだそうだ。クリエイティブは忙しいからといってやりたい仕事を停滞させてはいけない。この言葉を使った糸井さんの気持ちがうかがえる。

オリジナルグッズの開発・販売を経て、画面の向こう側にいる人たちを実感する糸井さん。1日に5万人というのは「ほぼ日」にとって大事なインフラなんだ、と気が付くに至る。その人たちに何か意見を聞ければ、その答えを集計する事は大きな力となるのだ。

やはり「クリエイティブ」な人は熱い!いろんな力をもらった気がした。

■2001/06/12 (火) 枠組

昨日から目録によるご注文を受け、在庫チェックに忙しい。

売れる本、売れにくい本というものが、ご注文を受けることではっきりしていく訳だが、かといってそれがそのまま良い本悪い本という評価に直結することは無いはずだ。

本を仕入れる時、ご注文下さる人の顔が思い浮かぶような本なら良いのだが、そういう本ほど市場ではビックリするほど高い。
売れると思って高く仕入れてもご注文を頂けないケースが次第に増えてきている。
買わない人が嘆く「本は高くなった」。売る人が嘆く「本は安くなった」。このズレは何処から来るのだろう。毎日200点もの新刊が出版されている。我々古書店にまで辿り付ける本はそのうち何点も無い。残るべき良い本には制作費がかかる。それが定価に反映されるのはある程度仕方が無い。数をこなせる本(ベストセラー)ならばそういう不満もわかる気はするが。
しかし、こういう想いを抱く両者の状況が続く限り、買う人と売る人の間にある大きな溝は埋まっていかないのかもしれない。

この間の日曜日に山梨の道を走っていて、本屋さんがほとんど無いことに気が付いた。よく目に付くのはコンビニだった。これは房総の山中にある亀山湖へ行く道中もそういう印象を持っている。コンビニが銀行を始めたり、本の受注も含んだ通販の受注を始められたのは、この全国に散らばった支店と流通というインフラがあるからである。すでにコンビニは書店を脅かすほど書籍類を売上げている。さらにインターネットを使った通販が伸びてくれば、いずれ本は化粧品や栄養ドリンクのようにコンビニで買うことがスタンダードになっていくのかもしれない。
既存の枠組はこうして急速に崩壊し続けている。

新しいアイデア無くしてこれからの時代は生きていけないと言われているようだ。拙いな。

■2001/06/11 (月) 曇天

朝のうちは晴れていた。

窓を開けると意外にカラッとした風が入ってくる。こういう陽気のまま梅雨が過ぎるならこの季節も悪くない。

今日から甘露通信紙版の受注。いつもありがとうございます。

■2001/06/10 (日) さくらんぼと蕎麦

明古さくらんぼ狩りツアー当日。

朝5時半に起床。金曜よりも早い。窓を開けるとどんよりと曇り空で肌寒い。

昨日のうちに明日はドライブだよ、と言っておいたから子供たちもすぐに起きた。軽くパンを食べてから着替えして出かける準備。クルマに乗るとなると子供たちも期待するのか、動作が機敏だ。

「早く早く」とせっつかれ、出発は予定よりも早い7:40。首都高荏原から新宿廻りで中央道。一路甲府昭和ICを目指す。最初は調子がいい子供たちも30分ほどで飽き始める。新宿を通過する頃には「まだ?」とか言い出す始末。旅は始まったばかりですゾよ。

トイレの近い子供が二人も乗っている以上、休憩は絶対に必要だ。八王子の手前にある石川PAで休憩。「なんか気持ち悪い」と女房。子供たちはまだ元気で売店のアメリカンドックをねだった。生茶一缶。

クルマが大月の山越えするあたりまでは二人とも面白そうにしていたが、途中飽きて本を見始めた時から調子が急降下。勝沼あたりで長女が、甲府昭和ICを出たあたりで長男が吐いた。さっき食べたアメリカンドックと生茶が出てきた(^^;。

高速を走っている時にHIDEさんからTEL。もう韮崎から農園を目指しているという。早いなぁ。ブー太郎さんは開館の10時前なのに奥様を連れて山梨文学館に向ったそうな。電話を切ったら空はいつしか晴れていた。

カーナビに覚えさせた住所を頼りに進むが迷ってしまった。同じ番地まで連れて行ってもらったがそれらしい農園はない。あたりはさくらんぼ農園だらけなのである。仕方なくもらっておいた案内図を見て道を辿りなおす。おお、わかりやすい。最初からこの地図を使えばよかった(^^;。それにしても細い道だなぁ。軽トラックが行き交うのに丁度いいくらいの道幅しかない所をくねくねと入っていった場所に「マルタカラ農園」はあった。なんだ。こりゃあカーナビじゃあ無理です(^^;。

到着するとHIDEさんのクルマしか来てなかった。皆迷っているのかな?すると、Oさんご夫妻、ブー太郎さんご夫妻、Rくんは一人バイクで、Kくんご一家が次々到着。・・・あれ?Kさんは?甲府昭和IC出口で渋滞にはまってしまっていると電話で連絡があった。

マルタカラ農園

11:15。一組のご家族を置いたまま(^^;、さくらんぼ狩りスタート。農園の方からもぎ方のルールを聞く。聞きながらニヤニヤする人が数名有り。ネプチューンのホリケンにバリ似の人だったのだ。真面目に説明してもらいながら、いつボケてくれるのか期待しているワタシたち・・・(^^;。コラコラ、テレビの見過ぎですよ!

40分間食べ放題で大人一人2000円。ビニールハウスではなく、ビニール屋根にネットが張られている。

そのため、風も通って快適だ。そーいう施設にさくらんぼの木が何本も植えられ、実がなっている。シーズンだけにだんだん手近なところから採られてなくなっていたので、踏み台を使って上のほうにあるなるべく赤い実を取って食べると、甘くてうまい!砂糖の甘さとは次元の違う酸味の混じったさわやかな甘味が味わえる。調子に乗ってパクパクと次々にもいでは食べる。うーん、こりゃいくらでも入るなぁ。

最初「食べたくない」なんて言っていた長男も、食べてみてうまいことがわかったのか、積極的に取って食べている。長女にはこういう味はわからないのか、酸味ばかり気になっておいしく食べられないようだった。

開始から10分くらいでKさんがお子様と一緒に到着。何とか間に合いましたね!よかったよかった。肩からはコンタックスG2にビオゴン28mmが決まっている。ワタシも対抗してペンタックスLXにこの間買った28mmF2.8を付けてスナップを撮る。食べるのと一緒で大忙しだ(^^;。

食べられないものの、さくらんぼをもぐのが楽しいウチの長女。下のほうの枝に付いている実をもいではブー太郎さんの奥様に渡して喜んでいる。こうなると止めてもやめない困った性格は暴走しはじめる。親子というのはこういうヘンなところばっかり似てしまうらしい。

Kくんとこのふくよかなお子さんは今日も笑顔全開。みんなから可愛い可愛いとあやされて人気者だった。Rくんとワタシと彼女が並んでデブ3人とはレクリエーション部部長のHIDEさん。今日からイジリーHIDEに改名っ(^^;!
先日原宿のカリスマ美容師に夫婦してヘアメイクしてもらったこちらのご夫婦は今日から何処ゾへ家族旅行なんだって!いいなぁ。

終了時間が近づいた。お土産販売コーナーには摘まれたさくらんぼが並んでいる。かなりおいしかったのでお土産も買う事にした。2パックで1000円。安いよね、きっと。
終了時間になったので、全員の集合写真をホリケンさんにお願いしてLXで撮ってもらった。最後までボケることのない真面目な方でした(^^;。時に12時ちょうど。

そのあとは、韮崎の先にあるそば打ち体験の出来る施設へ移動することになった。これが昼食である。クルマとバイクで計7台が連なって移動するのは無理だろうから、地図をよく見て14時までに辿りついて下さい、ということで一時解散。
県外ナンバーのクルマで混雑する一般道を明野村目指して走った。

道中はいわゆる東京以外の道、という雰囲気が濃厚。

でも、河口湖あたりでもそうだし、白樺湖あたりでもそうだったように、田舎によくある風景に見えた。このあたりで商売しようと思ったら何が良いだろう。観光と農業以外の産業が想像出来ない事情をロードサイドの建物が語りかける。都市で生まれ、都市で育ってしまったワタシの率直な感想だ。

ワイナリーの看板とラブホテルが目立った道の先に「体験工房あけの」の他、「山梨県フラワーセンター」「ふるさと太陽館」などの複合施設が忽然と姿を現した。一時は全国で一番豊かな県と言われた山梨は健在、といった大きなハコモノ施設だった。段々畑のように山の斜面を利用して作られた駐車場は400台収納が可能という。しかし利用車は我々を含めてわずか20台ほどだった。

広大な駐車場

薬膳料理を出す食堂の1階が、蕎麦打ち体験のできる「体験工房あけの」で、かなりの人で賑わっている。予約した14時にはまだ時間があり、明るいベランダで風にあたりながら待つことになった。
先週万馬券を当てたギャンブル部部長HIDEさんはiモードで馬券購入に忙しい。その傍らで乳飲み子を抱えたご夫婦もまた、競馬新聞を広げている。オイオイ・・・(^^;。
Kさんのお子さんとうちの子達で、カードのコレクション披露合戦が始まった。方やポケモンカード、方や使用済みパスネットカード(^^;。どっちがウチの子のコレクションでしょうか・・・ってバレバレ(^^;。

蕎麦打ち道具

時間になって入場。皆エプロンを付けて3組に分かれる。明野村の主婦の方から手ほどきを受けながらの蕎麦打ちである。蕎麦粉に水を含ませ、捏ねて丸めて伸ばして切って・・・。単純なようでいてなかなかうまく行かない。その様子をKさんとワタシの写真部二人がバシャバシャと撮る。皆の真剣な表情がイイね(^^)!

出来栄えは?

茹でて食べて大満足のうちに今日のレクは終了となった。お疲れ様でした。最初は嫌いだと言っていた蕎麦も、自分で作ったから長男もおいしく食べられたようだった。

あとは19時キックオフのコンフェデ杯の決勝戦を見られれば満点。しかし電波が弱くて結局八王子まで満足に見られなかった。中央道はお約束の大渋滞。途中談合坂SAなどで2回も休みを入れた。現地解散したはずのKさん、Oさん、HIDEさんのクルマと同じPAでニアミス(^^;。

高井戸で降りてロイヤルホストに入り食事をして出た時には、すべてが終わっていた。日本は準優勝だった。

クルマを車庫入れして22時。いやぁーおつかれさまでした。

■2001/06/09 (土) 快晴

朝起きると快晴の空。

昨日帰りのタクシーではちょっと雨交じりだったのに、湿度の低いカラッとした陽気だ。

古書会館には11時過ぎに到着。Rくんが昨日出品の荷物を引き取りに来ていた。そうそう、明日は明古のさくらんぼ狩りツアーである。

帰ってきてから前金のご入金分の荷造りと、今朝ご注文いただいた分のメール書き。突然お電話で箱いっぱい分のご注文も入りてんやわんや。いつもありがとうございます。

荷造りを終えて降りると、ちょうどオヤジが自宅から突然70冊売れてストックがカラになった均一向けの本をクルマで運んできた。隣駅の郵便局まで送ってもらう。帰ってきてまた荷造り。甘露通信の発送。本の買取で持ち込む方が2件あって、評価する。やれ、忙しや。

■2001/06/08 (金) 深夜

朝6:20起き。ちょい寝坊。

大急ぎで身支度して東横線に飛び乗る。車中の読書は「ほぼ日刊イトイ新聞の本」である。これは面白い。

いつもの電車に乗れたので、時間通りに古書会館到着。一人修行僧がいるなぁ、と思ったらYくんだった。バリカン刈りの丸坊主。
地方荷は75箱と多いものの、持ちこみの荷が少なくて総出品点数は800点ほど。楽々の量だった。久しぶりにオヤジが入札に来た。ワタシは筒井康隆の原稿など、オヤジは木俣修の色紙や伊藤聖の原稿など。二人でかなり買い込む。店で売れてないのに大丈夫?(^^;

市会終了後にワタシとOさんは運営部の方々と大市の運営会議に。他の経営員は大市の刷物を貼り付ける台紙作り。

7時過ぎ。近くの飲み屋へ。新人さん含む10人の大所帯。HIDEさんヤフオクで落札したシグマリオンを持ってくる。カッコイイなぁ。
見渡せばホームページ所有率高し。みんなこれからの古本屋だなぁと思う。

■2001/06/07 (木) 豪雨

昨日は入梅で、店の売上はゼロ。

開店以来55年目にして初めての事態だそうだ(^^;。

朝から晴れていた。今日もちょっと早めに古書会館へ。一新会のIさんにご挨拶。Oさんは午前中出だったそうで、お父さんの姿はあったがご本人はきっとお店番をしているのだろう。
代わりにブー太郎さんに会ったので、大市の話を含めて明古のことをあれこれと話す。最近寄ると触ると明古の話だ。でも、大市前の主任副主任はそういう精神状態になるんですよー(^^;。

帰り際、渋谷で昨日ヤフオクで買ったレンズの為にフードとレンズキャップを買っておく。フィルターは新品だと1200円もして馬鹿馬鹿しいので、こんど中古屋さんに行ったときに買うことにした。中古だと300円くらいだ。

ケータイが鳴った。HIDEさんから今度の日曜日の明古さくらんぼ狩りツアーの連絡だった。どうやら雨になりそうな日曜日。昼食はお弁当ではなく自分で打った蕎麦を食べられるところが見つかったので、そこにしましょう、というお知らせだった。なるほど、いいかも。

新丸子に着くと空の色がおかしい。こりゃ一雨来るなぁ。店に戻ると町会の配り物が来ていた。
明日は明古で配れないので早速班長さん6人の元へ出る。しばらくして雨が落ちてきた。空は真っ暗だった。2軒終わったところでザーザーと降り出し、全て終える頃にはドジャーッと集中豪雨状態。履いていたGパンはビショビショ。靴には水が入り足がニチャニチャした。新丸子駅のコンコースでは突然の豪雨に立ち往生した人が多数。
女房はこの雨の中、時間だからと友達の家に遊びに行った長男を迎えに行くという。なんと無謀な・・・(^^;。こんなことになる前に電話で帰って来いと言えばよかったじゃないか、と言ったところで後の祭り。長靴にスカートというフツーのカッコで集中豪雨の中を出かけていった。

店にお客は皆無。昨日に続いて連続記録を作りそうであるが、今日は午前中に少し売れていた。なんとか。

豪雨の中、駅で立ち往生な人たち
■2001/06/06 (水) 入梅

朝起きたら雨。

TVをつけたら今日から梅雨だそうだ。(^^;。

一口入ってにぎわう会場。入札を済ませてから3階の会計で月曜日に出品した荷物の清算。

このあいだ買ったビデオに合わせてクリーニングテープも新調しよう、と考えていたので、渋谷で買った。ついでにDVDコーナーを見るとソフトの売り場面積が大幅に拡張されていてビックリ。「巨人の星」が限定生産で売り出されており、かなりグラグラ来た。うーん、見たいなぁ・・・。でも買わなかった。

店に帰ってくると、ヤフオクで落札して月曜日に送金したレンズが着払いで届いていた。状態もよく、早速LXに付けてみる。レンズキャップは付いてなかったから、明日フードとともに買ってこよう。

メールチェックをしてみるとご注文のメールに混ざって「高値更新」のお知らせが入っており、くやしいので入札し返す。これもあと5時間ほどで決着がつく。でも、今度入札し返されたらあきらめようとは思っている。しっかし、この「高値更新」のお知らせメールってのは親切なようでいてエグイね(^^;。

土曜日に発送予定の甘露通信紙版。その準備に手間取る。

PCがないってのは不便ですなぁ。

入梅。渋谷に咲いた傘の花。
■2001/06/05 (火) 奇跡

メルマガを発行した後、外でなにやらごそごそとやっている人有り。

チラッと覗くと、均一台を熱心にご覧になっている方が一人いらっしゃった。すでに10冊ほど積み上がっている。うむ!素晴らしい!空いた棚に詰める本を物色し始める。

しばらくパソコンに向っていると、タバコの香りが店内に漂ってきた。きっと均一を見ている方が見ながら吸っておられるのだろう。外であれば別段構わない。ただ、店内で吸われては困るなぁとは思っていた。チラッと様子を伺うとすでに本は40冊くらい積み上がっている。目を剥いた。

電話がかかってきてしばらく様子を見ることが出来なかった。電話が終わった頃を見計らってか、外のお客様から声を掛けられた。「すいませーん、これだけ買いたいんですけど。」ソフトでいてハリのある声だった。あわてて出ていくと70冊ほどの本が3列に積まれていた。おお!コリャすごい!

「申し訳ないんですけど、今お金をお支払いしますが、ちょっとこれから出かけなければならないので、持っていけるだけ今日持っていって、あとは土曜日に取りに来ますから取って置いていただけますか?」といわれた。量が量である。持って行って頂けるなら何も問題は無い。承知致しました、と申し上げた。値札を剥がす間にもタバコを吸いながら「こんな良い本が100円なんて・・・」と呟かれる。計算すると8500円(!)にもなった。最高記録ではないかしら。

値札を剥がす間に近所の図書館の先生もいらっしゃり、玄関先で繰り広げられる光景を前にしてやはり目を丸くされている。あまりに沢山の量だったので500円おまけして8000円に消費税をお支払い頂き、その方はお帰りになった。あとで、図書館の先生は置いていかれた本の背を見て「あの人は賢者じゃないのかしら・・・」と呟いた。伸び放題に伸びたという感じの髪形にヒゲ。胸ポケットにはECHOタバコとPHS。穏やかな話し方。彫りの深い表情。確かに渋い。その姿は目に焼きついた。

あとで先生にお話を伺うと、図書館でさえ本を捨てることが話題になるという。我々も結局は本を「区別」していい本とダメな本を選り分けている。もっともこの作業とて、賢者であるこのお客様にしてみれば宝である本をなぜ捨てる、とお叱りを受けそうだ(^^;。でも一人の本屋で出来ることには自ずと限界というものがあるんですよ。

70冊もの均一本が売れた午後の奇跡。

■2001/06/04 (月) なんかいろいろ

昨日の夜、HIDEさんからTEL。

なんと、安田記念(競馬)で万馬券を当てたというご報告だった。すごいすごい!おめでとうございます!

朝から慌しい。朝メールチェックするとご注文のメールに混じって、昨日ヤフオクで落札したお取引メールが入っていた。早速送金する旨を先様にお伝えする。開店後はすぐに前金ご入金分の荷造り。売り切れ本のチェック。そして甘露通信紙版の打ち出しを同時進行でこなし、昼めし抜きで古書会館へ直行。1時にOさんと待ち合わせで、七夕大市に必要な各会経営員のお手伝いを依頼するためである。主任のRちゃんに5人要請の旨をお願いする。その傍らで管理人さんと受付のNさんに6月30日(土)に出勤する必要があるの?と聞かれる。ブー太郎さんによれば、去年も頼んだ覚えはないけど、一応運営の人からお二人に話を降ろした方がいいだろうとの事。そうだね。

その後印刷屋さんへ甘露通信の原稿を持ち込む。

3階で会員さんが目録の校正をしている中、Rくんを頭に3人が大市の刷り物コーナーで使用する台紙切り作業のため動いていた。お疲れ様です。
買った品物を一渡り検品してからデイパックと手提げに詰める。これがまた重いんだ・・・(^^;。

飯田橋そばの首都高。
■2001/06/03 (日) 運動会

今日は長男の運動会。

女房はPTAの学年長だから運動会では仕事があった。朝6時起きでお弁当作りを始めていた。お母さんって大変だなぁ。長男は8時に体操着で学校へ向かった。

我々も簡単に朝食を済ませ、学校へ向かう。カメラはペンタックスLXにゾナー135mm、あとデジカメを用意した。9時過ぎに到着すると、もう応援合戦が始まっていた。

すごくイイ天気。日差しが強い。見物に来ている人たちもほとんどTシャツ姿だ。少ない日陰を求めて皆敷物を敷いて座っている。運動会自体は確かにそんなに面白いものではない。演技する子供たちの動きもどこか真剣さに欠け、見ごたえのあるのはリレーなど限られた種目だけ。幼稚園の運動会の方が良かった(^^;。

50m走や80m走で自分の子供が走るとなればビデオとカメラの砲列がゴール前にズラリと並ぶ。みなさn場所取りがうまい。ウチの子は2年生。50m走が始まった時にはうまくゴール前に潜りこめなかったが、自分の子が走り終わるとすぐに退く人がほとんどで、11レース目のウチの子の走りをなんとかLXで記録できた。「リレー選手がいるからムリだよ」と言っていただけに6人中4位。もっとがんばりましょう。

綱引きの前に学年長である女房は出る人のリストを片手に点呼を取ることで忙しい。先生で仕切る人が一人しかいない。PTAの学年委員長さんも慣れない様子で、どこにどう並んだらいいのかを集まった120人のお父さんお母さんに指示しきれない。入場門からトラック内に入ってからも、入場経路を示せずに皆マゴマゴさせられた。ワタシも女房も参加したので、長女の子守りのため母親に来てもらった。

一学年男女10人づつの混合チーム。最初の一戦で我々2年生チームは敗退し、あっさり競技終了。筋肉痛にならずに済んだ。トーナメントを制したのは5年生チーム。なんでも男が前の方に固まったチームが強かったらしい。みんな頑張ってます!

お弁当の時間にお茶が切れ、ペットボトルを買いに出る。体育館は開放され、中で昼食を摂る家族が結構いた。日陰だから快適なのだろう。集中豪雨かなにかで非難した状況みたい、と思った。確かに外は紫外線の嵐だ。

午後の最初には応援合戦と、生徒全員によるパラパラが披露される。曲は4月まで「名探偵コナン」のオープニング曲「恋はスリル、ショック、サスペンス」だったから驚いた。全校生徒がそれに合わせてフラフラと踊っている。うーん、これでいいのかなぁ(^^;。

長男が出た午後のダンスを見て早々に帰ってきた。女房は後片付けの責任者なので帰れない。

昼寝。窓を開けると風はカラッとして涼しかった。

昼休みの入場門
■2001/06/02 (土) また土曜か・・・

昨日は午前様直前に帰宅した。

10時過ぎに月曜日の出品物を市場に出しに行った。今度建て直すことになった古書会館では、この一週間地下をボーリングする作業が行なわれていて、荷捌き場は出品しにきたクルマで大混雑。ウチも少し離れた場所から運び入れた。

お持込で良書の仕入れ有り。キレイに保存してくださっていると、こちらもうれしいです。ありがとうございました。

■2001/06/01 (金) 明古に新人が

今日から6月だ。

明古の経営員として新人が入ってきた。早稲田のIさんである。どうかよろしくお願いします。

さて、朝8時に全員集合。5月に腰を痛めて欠席していたYくんも今日から復帰。先週と違って荷物は少な目ながら仕分けが2件3件と入ってくる。地方荷も当日着の荷物が2割ほど追加された。
ウチも50点ほど荷物を持ち込んでいた。署名本中心の口である。クルマいっぱいほどの量あった。

4時半終了。ウチのクルマいっぱいの荷物は一点以外すべて売れてしまった。

仕事のあとは歓迎会。事業部のTさん、来期から事業部のHIDEさんとともに神保町交叉点を渡ったところにある「U福」へ。ここは予約を取らないと金曜日は絶対に入れない人気店。めしもうまい。
そこを規定の2時間で追い出されたので、「Mの木」へ移動。終了は11時少し前。

来週の一週間は、明古大市当日のお手伝いに出ていただくためのお願いに各会経営員の皆様へお願いしに行く。Oさんと1時に待ち合わせだ。

2001年06月30日 | Posted in 甘露日記 | | Comments Closed 

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