甘露日記2000年9月

■2000/09/30 (土) 甘露通信の発送

安心したのだろうか。昨日明古で売れたカーゴ4台分の本の結果が思っていた以上だったため、11時前に家に帰り、日記を書いた後はすぐに眠くなった。今朝起きたのは9時前。子供が学校へ行くときの騒々しさでも目が覚めず、ひさしぶりに熟睡できた。

今日は「甘露通信」の紙版が出来上がったので、その発送作業に一日をあてた。
土曜日に発送して、月曜日から受注する。
気に入っている本には知らず知らずのうちに高い値段が付いているようだ。それは売れ行きが思うようにならないことである日急に気が付くのだが、だとすれば、自分の好きな本ばかり並べていては全く売れない店になってしまう。
「本棚を見ればその人間がわかる」 怖い言葉があったものだ。

■2000/09/29 (金) 寿命の縮む想い

前日作業終了少し前に滑り込ませた車二台分の荷物の内容は、すべて戦記ものだった。何でも神風特別攻撃隊に志願し、任命されたものの出撃することなく終戦を迎えられたのだそうで、お国の為に死ねなかったやり切れない想いがこの本の収集に向けられたと奥様は言っていた。
そんな想いがこもっている本である。「ついついお金を払いすぎてしまった」と神保町へ本を運ぶ途中の渋滞の中でずーっと後悔していた。
昨日はあまり眠れなかった。損をするといってもお支払いした以上の金額を損することはないんだ、と自分に言い聞かせたが、安心できず。ぐったりするほど体は疲れていたのに頭が睡眠しようとしてくれなくて、4時半にはとうとう起き出してしまった。

体を引きずるようにして朝8時に古書会館へ辿り付く。カーゴ4台分の荷物を壁面に8本口にして並べ始める。見ればみるほど「ヤバイ」と思う。たしかになりそうな体裁のものもあるが、全体からすれば多くない。安い本はどんなに積み上げても安い、という市場の鉄則があるのだ。

朝8時から始めた作業は、自分の持ち込んだ荷物の仕分けという意味もあり、誰も手伝おうとはしない。その上出品記号表の係という自分の立場にたびたび仕事を中断され、やっと出品封筒を全て付け終わったのは11時少し前だった。

一新会の大市と祝日休みが重なり二週間あいた明古は、最終的に1450点(!)の出品量。1階には収まりきれず、3階まで満杯になってしまった。こんな沢山の品物にうちの荷物なんか紛れてしまうのではないか、と、また裏へ裏へ気持ちが回りだす。実際、12時を過ぎてご同業のお客様が徐々に入り始めても、うちの本の前は素通りしてしまうような気がする。

食事を摂る間も寿命の縮む想いが体中を這いまわる。1450点の豊富な出品量の中には折角優品がズラリと並んでいるのに目が泳いでしまって集中できず、入札できなかった。

開札時間!札が開いていく。主任が「甘露さん、結構なってるよ」と声を掛けてくれた。そうかぁ、良かった、と少し安心。でもまだ油断は出来ないゾ、と気を引き締める。それが前半をすべて開け終る頃には安堵の溜息に変わった。メインの戦記ものでボーなし。全て売れた。

買ってくれたご同業様に感謝。そしてワタシにチャンスをくれたお客様に感謝感謝である。

■2000/09/28 (木) また仕入れ

仕入れの予定。

本屋にとって仕入れは生命線だ。それはタウンページをご覧になればわかるだろう。仕入れのために大きなスペースを割いて広告を打っている。

何でもご主人が亡くなられて、その蔵書を処分したいという事だ。推定500冊。
朝10時過ぎにお伺いすると、高台のマンションの5階。オートロック仕様の高級マンション。3畳間に本棚がぎっしりで、その中にはびっちりと本が二重に詰まっていた。うあ、これはすごい。500冊?何かの間違いでしょ・・・。一気に血の気が引いた。「うちのナディアに詰めきれん(^^;」

それからはオヤジと二人でひたすら本の評価とヒモ縛り。縛っても縛っても量が減らない。先ほどからお線香の香りがすると思っていたら、立派な花が飾られている。良く見れば亡くなったご主人のものだった。うーん、まだ白木のお位牌があって、お骨もあるなぁ。命日はほんの一週間前。・・・随分早くに思い切られたのだなぁ。ご主人が亡くなって、というこのパターンは珍しいことではないが、一週間というのは初めてだった。

縛り終えたのが2時半過ぎ。代金をお支払いして台車を駆使して1階まで降ろすが、ナディアが一杯になるまで40分。「店に戻ってもう一度来ます」と言い残し、新丸子へ直帰し車庫へ入れる。小杉駅でレンタカーを借り、再びお客様の下へ取って返す。再到着が5時過ぎ。再び積んで、新丸子へ飛ばし、車庫に置いておいたナディアに飛び乗り、レンタカーとナディアの2台で東京古書会館へ乗り付けた。時に7時半過ぎ。

古書会館内では明古経営員の前日仕分けがすでにまとめの段階に入っていた。誰一人見向きもしてくれない中で、車2台分の荷物をひとりで黙々と降ろす。カーゴに載せてみたら4台分あった。どおりで多いわけだ・・・。

すでに代金は支払ってきた。果たして利益は出てくれるのだろうか。

ドキドキの開札日は明日である。(^^;

■2000/09/27 (水) 目黒線

長い間工事をしているなぁ、一生工事続けるのかなぁ、と思っていた東横線の複々線化は、いつのまにか完了し、昨日から目黒線を介して都営三田線と営団南北線が新丸子まで来るようになった。これで三田線の通る第二の故郷・神保町とわが街新丸子が直通し、乗り換えなしで行き来出来るようになった。革命的な出来事に驚いているのだが、目黒線の三田線経由の電車は約15分に1本しかなく、運賃は片道450円と70円高い。また、途中駅の目黒には魅力的な店がないので、ちょっと使いづらい。結局は渋谷経由の半蔵門線で行く神保町生活が続きそうだ。

ワタシの古本屋生活には一見直接関係ない今回の革命だが、実際にはボディブローのように着実にこの新丸子を変えていくだろう。今回の乗り入れで、大手町が、白金が、麻布十番が、永田町が新丸子まで直接繋がったのである。「東京」がその勢力範囲を多摩川のこちら側まで広げたとも言える。

それがどのような形を伴って我々の前に現れるのか。ここに長く住んでいる人間ならば街の変わりようを皆知っている。そう、東京資本の背の高いマンションが次々に立ち並んだのである。東京から人口の爆発的な流入が始まり、終電で新丸子に下りる人間はもの凄い数となった。駅前のT急ストアは店舗を拡張し、コンビニはその数を増やし続けている。元からある商店街は東京資本のスーパー、コンビニに今にも押しこめられそうだ。押し込められた店は、潰されてきっとマンションに建て変わる。

街が東京に飲み込まれそうになっているのだ。それが良いことなのか悪いことなのかを考えているうちに、駅前は放置自転車であふれかえるようになった。

15年ぶりに新丸子に降りた、というお客様が言った。「新丸子も随分変わりましたね。」確かにそのとおり。15年前には複々線はおろか、高架線にもなっていなかった。武蔵小杉から坂を駆け下り、多摩川鉄橋へ向けて坂を駆け上っていくように線路を引いていた。駅舎も木造で臭い公衆便所がある昔ながらの田舎の駅という風情だったのだ。目黒線の開通は、これからも待ったなしで新丸子を東京のベットタウンへと改造し続けるのだろう。

我々原住民の想いとは全く関係なく・・・。

■2000/09/26 (火) 更新の火曜日

今日は火曜日で、一日店にいる。昨日の中央市で買った品物を整理し、パソコンに入力したあと、またホームページの更新作業に入った。

毎週火曜日という更新のペースが早いか遅いかは自分では判断がつかない。ただ、それ以上はできないということである。たとえば、荒木さんのページの作文は、お気楽に書いているように見えて実は半日作業になっているし、バカばっかり書いているこの日記も実は何度も推敲しているので、実質3時間くらいかかっている。

「こんなくだらない日記に3時間も?」という声が聞こえてきそうだ。そのとおり!こんなバカな日記に3時間もかけて1000字の桝目を埋めているのです(^^;。

閑話休題。子供を小学校に送り出した朝8時からTVKという神奈川テレビで「未来少年コナン」をやっている。もちろん宮崎駿の作品だ。この人のこの頃の作品にハズシはなく、毎日楽しみに見ている。「風の谷のナウシカ」(徳間書店マンガ版)で集大成した世界観が随所に垣間見える。過去に進んだ科学技術が存在したこと。それが元で世界が破滅したこと。その後に生きる人間がどう生きていくのかということ。
過去の遺物であるプラスチックからパンを合成し、停まりかけた原子炉に冷や冷やしながら太陽エネルギーという代換エネルギーを独占しようとするおろかな人間たちと、失われた過去とは全く関係なく力強く生きていこうとする子どもたち、という視点。

ビデオに録画までして家族皆で見ている。とにかく毎日が楽しみなのだ。

■2000/09/25 (月) Webサーファーズ・ガイドブック4000

今日、開札の終わる時間まで秋葉原を散歩したのだが、LAOXの書籍コーナーを覗くと、うちの「KANROKANRO」が紹介された『Webサーファーズ・ガイドブック4000』(エクスメディア刊)が発売されていた。掲載者贈呈本は4000人に贈らなければならないとすれば、うちには来ないだろう。いつから店頭に並んでいたのだろうか。ヒットカウントに多少の影響はあったのだろうか。気になる。

写真入りだったのだが、その写真の文字の配置がうまくいっていない。IEではちゃんと見えるんだけど、ネスケだからかなぁ。
なんにせようまく見えていないみたいなので、みっともないから先ほど作り直した。これでネスケでも問題なく表示されるはずである。

なんせガイドブックに紹介されたんですからねぇ・・・!(^^)

■2000/09/25 (月) 出品

土曜日に仕入れた本は、やっぱり市場に出すことにした。売れないことはないし、自分で売った方が利益率も高くなるのだが、ちょっと量が多すぎて本棚に置ききれない(^^;。

7本、5本、4本、4本と大山が出来上がった。それを古書会館まで運ぶ。朝9時に車で出発したが、到着したのは10時半過ぎ。中原街道がえらく混んでいた。また、先週一新会大市会があったので、嵩張るこういった本を出したい人が駐車場へ入るための順番待ちをしているほど古書会館も混んでいた。

中央市の経営員の方にご迷惑をかけながら、やっとこさ出品作業を終えて今さっき店へ帰ってきたところだ(午後12時)。これから昼飯を食って今度は電車で再び古書会館へ行かなければならない。ボー(取引不成立)になった荷物を水曜日の市会へ出品手続きしなければならないからだ。もちろん入札もさせてもらうが、ボーの品物を片付けるのは気が重い作業なのだ・・・。

さて、午後の古書会館を終えて今(午後7時)帰ってきた。
結果、出品したものはすべて売れた。なんとか、ね。

お客さまから買ってすぐに市場に売る。右から左、といえばそのとおり。言葉で言ってしまえば一言で済んでしまう仕事だ。しかし、しかしである!実際の仕事量は大の大人が一日かけて仕分けをし、朝の渋滞に巻き込まれながら古書会館まで運び、汗だくになりながら出品して、一日かけて古書会館へへばりつかないと儲けは出ないのです(^^;。3日かけた仕事で利益が出なければ我々は霞を食べて生きていかなければならない。

お客様の「売るときは安いなぁ・・・」というお言葉は、古本屋が過ごしたその後の2日間の過程をご存知ないために出た言葉と断じたい。今、その舞台裏をここでお知らせ申し上げる次第。この拙文でおわかりになりましたでしょうか・・・?(^^;

■2000/09/24 (日) 年に一度のバーベキュー

今日は久しぶりにAPM(明古釣り部)主催で江戸川でハゼ釣りをし、若洲海浜公園でバーベキューをする予定だった。

ところが、朝6時に起きてみると空は真っ暗。ごろごろと雷が混じり、雨も降っている。「こりゃどうかなぁ」と思っていると、HIDE部長からtel。「この状態だと釣り舟は出せないそうなんで、10時半に若洲へ集合デス」という事になった。了解です、と電話を切る。その後は遠くで鳴る雷を聞きながらうとうとしていると、女房が仕掛けた目覚ましが鳴った。ワタシの留守中にうちの母親とおはぎを作ることになっていたからだ。

あまり眠れないながらも意地で寝ているうちにテレビが女子マラソンの中継をはじめた。高橋尚子が金メダルに向けて走っていた。

朝飯を食べ終わると、子供を連れて女房は出かけていった。若洲に10時半集合なので、どうやら女子マラソンの結果は見届けられそうだった。力強く走るシモンの横で軽やかに走る高橋。今にも抜かれそうに見えていたのだが、逆に高橋がスパートした。そのままゴール。女子陸上初の金メダルだという。すごい快挙だ。思わず拍手が出た。
前評判の高い選手がそのまま金メダルを取るのは並大抵のことではない。柔道の田村亮子にしても高橋尚子にしても、すごいの一言だ。

気分良く出発。若洲には首都高新木場を経て一時間足らずで到着。計10人が集合した。キャンプ場という施設にバーベキューの荷物を置いてすぐに海釣り施設へ。

今回の釣果はTOMOMIさんがどこぞからかGETしてきたこませえさを使った”さびき釣り”でどんどん釣れていた。ワタシは底の釣りを狙ったが、ふかせでほっておいたものに1匹ヒットしたのみ。海釣りって難しいねェ。Kくんが今回のトップ。石鯛を4匹、シーバスの小さいのを2匹、カニを2匹など、バラエティに富んだ魚をそろえた。「バス釣りやめて海釣り専門にしたら?」との声が飛ぶ。

バーベキューは焼きそば、てんぷら(えび、いも、なす、レンコンなどどれも美味)、ステーキ、焼肉、野菜焼きなど、食いきれないほど。食べ終わろうかというころ、アトラクションの水掛けがHIDEさんとKくんの間で始まった。(^^;

満腹のうちに5時にお開き。幸せのまま帰路についた。ああ、まだ腹いっぱいだ・・・!

■2000/09/23 (土) 仕入れ2件

世間では祝日らしいが、うちにとってはただの土曜日である。

今日は四畳半の書斎一杯の本を処分したいという方までオヤジと二人で仕入れに行った。到着すると二階の書斎へ通された。お!キリシタンものがある!・・・ありゃ。書入れがありますね(^^;。
結局、買えたのは10本のみ。残念ながら良い本に限って書き入れがあり、金額はどうしても高くできない。お客様はかなり不満そうだったが、書入れはマズイすよ・・・(^^;。

お昼過ぎに店に帰ると、店番をしていた母親が「文学書500冊を売りたいって電話があったわよ!」とうれしいご報告。オヤジがすぐに電話をして訪問することを決めた。途中昼飯をファミレスで食べてから訪れる。ラジオで日本と韓国の野球で負けた事が伝えられた。外は大雨の様相。うーん、本の運び出しは大丈夫か?

今度こそー、と玄関を入る。立ち並ぶダンボール箱の山。近年発行の文学書が多い。程度もすごくきれいなのだけれども、特に最近の作家は引き合いが少なく、すぐに売れなくなってしまうのだ。 申し訳ないのだが、金額は高くならなかった。
大雨のなか、本を車に積み込む。頂いたダンボール箱のおかげで濡れずに済んだ。ありがとうございます。

夜9時前、PK戦の末日本はアメリカに敗れた。ああくやしーい!

ふと我に返ると大市の荷物と、午前中の四畳半出身の荷物、そしてダンボール箱が店を占拠していた。

■2000/09/22 (金) 大市後

一新会大市が終わった。ワタシは今日午前中に車を飛ばして古書会館へと大市で落札した荷物を引き取りに行って来た。

到着すると駐車場は満車。会館前のパーキングメーターがたまたま空いていたので、そこに止め、300円を支払った。
昨日一緒に働いた皆さんが、連日の疲れも見せずまめまめしく働いていた。ワタシはその間をぬってヌキを片手に自分の品物を宝捜しする。2階の品物、階段の14本口、1階で泣き別れた4本、見つからない荒木さんの口、など、意外に時間がかかり、パーキングメーターが丁度時間切れを示す頃、すべて見つけることが出来た。総額○○万円。出品して売った金額とほぼ同じ額である。交換会とはよく言ったものだ。

帰り際、神田のG堂書店さんに会った。「日記読んでるよ」とのお言葉。「あの日記はおもしろいね。ホームページの中で一番なんじゃない?」うーん、誉めすぎでは・・・?でもうれしいです。今日も2項目書いてしまったくらい、自分でもはまって書いている日記であります。これからもがんばって書かなくては・・・!

店に帰ってからはひたすら本の整理。お客のいない店内で、オヤジとワタシが久しぶりに店を占拠し、静かな時間が流れていく中、ただただ本を繰る姿があった。乾いた砂漠に降った雨がすっとしみ込んでいくように、作業はすらすらと面白いように進んでいく。

■2000/09/22 (金) 一新会大市会その3

昨日の開札日の興奮もさめやらぬ今日は、古書会館全館を使っての宝捜しの日となる。今回も東京以外の本屋さんが多量の品物を落札していたが、安心して買えるのは、市場が責任を持ってその品物を店まで梱包・発送をしてくれるからなのである。ありがたい!

経営員が二人一組となってヌキ(買上品明細)を片手に品物をチェックして揃えていく。1階、ガイモノ、2階、階段、3階と、あちこちに散らばった品物を集めるのは意外に手間のかかる作業だ。
「あと最後の一つ、これがどーしても見つからない」となれば、4階に上がって昨日開札された封筒を見に行く。フロアごとに使ったペンの色を変えてある(1階は黒、2階は青、3階は紫など)ので、何階にあった品物かがここで特定でき、目的の品物を探す一助となる。
それでもわからない時には本部へ行って「○○という本が見つかりません!気が付いた方はお知らせください。」とマイクでアナウンスしてもらう。結構これですぐに見つかったりする。探してた本が出た時にはやっぱりうれしい。ワタシが勝手に「宝捜し」とつけたが、この作業が嫌いな人にはそんな気分にはなれないかもしれないので、念のため(^^;。

集まった品物は梱包専門の業者が梱包し、発送されていく。明日は大市会場を舞台屋さんが解体し、元の通常市会に現状復帰させるというわけ。これだけの作業を終えなければ大市会は終わらないのですね。

■2000/09/21 (木) 一新会大市会その2

一新会大市会の今日が開札日である。一日で古書会館に一杯の品物(5千点あまり)を一気に開札するのである。神田中の古本屋さんの若手が動員され、つつがなく終了した。
なんと言っても3階を占拠した幅物の一口が大きかったように思う。例年はワタシは呼ばれないのだが、その一口があったためにお声がかかったようなものだ。普段明治古典会でよく扱う品物の種類だものね。

それはさておき、好もしい一口が出ており、うちも欲しいので、精一杯入札したのだが、結果は惨敗。どれもうちの札をあたま一つ超えられていた。この世界、一番高い札を書いた人にのみ品物が下賜され、2番を書いた人には銀メダルは出ないのである。もっとも、一番には金メダルは出ず、品物と一緒に請求書が回ってくるのだが・・・(^^;。それにしても高いなぁ・・・。あれじゃ買っても利益が薄くて面白くないよ。

よく、大市は売るためにある、という事を聞く。あれだけ大勢のご同業が集まってくる市で見落としというのはなかなかない。そのため、欲しい本は皆同じという法則から珍しい本だけいつもよりグンと高い相場がつくのだ。大市は出したほうが得、というのはこのあたりのことを言う。
それなら、とウチも出品したのだが、ビックリするような高値になることはなかった。ありふれているのかもしれない。でももっと高くなってもいいじゃないか、と思う。どうして大市というのは買うときには高くて、売る時にはこんなにも安いのだろう。

カメラの口も荒木の口もめでたく売れた。あの大荷物を持って帰らなくていいかわりに、かなり損をした・・・(^^;。

■2000/09/20 (水) 一新会大市会

今日は一新会大市の下見日。今年は3階会場を幅物500点が占拠するという異例の大幅出品増。そのため、普段3階に展示されるサブカルものが2階に下りるなど、ドミノ式に品物が移動し、全体として品物が多いな、という印象。

実際に一点一点見始めると優品が多く、知らず知らずに入札に時間がかかる。途中からオヤジと合流し、2階にある一点ものをゆっくりと見ながら入札していく。
落札しようと思って入札していると、4枚札(10万円以上)を書くことが多かった。こんなところからもいい本が多いと実感する。今日一日で一体いくら入札しただろう。500万円くらい札だけは入れたんじゃないかしら。
もし万一、全部落札してしまえば青ざめるしかないのだが、絶対にそんなことにはならない。それぞれの本にはなんとなく相場らしきものがあるのだが、その相場以上に入札してくるだけの事情を背負った人がいつも必ず出るのである。うちのように、買ってすぐ納品!という予定のない者の札は敗れることとなる。結局は点数にして1/5以下、金額にして1/6以下で収まるのが、いつものペースである。

さて、明日はどうなるだろうか・・・。ワタシは開札要員として一日全国のご同業が入札した札を見ることができるのだ。役得?いえいえこれが明日のワタシの仕事です。

先ほどサッカーのブラジル戦が終わった。サッカーはよく戦争にたとえられるが、ブラジルは組織的にファールを連発。ジャンプした日本選手の襟首を後ろからつかんで背中から落とすような実弾ファールを何発も放ち、日本選手を2人怪我で退場させた。邪魔な選手はファールで潰すのがブラジル流ということか。フェアに闘っているだけではやはりブラジルには及ばないようだ。でも、ファールで潰すという戦術をブラジルに取らせたということは、それだけ日本が強くなってきたということなのだろーか? とりあえず、決勝に進めたことを喜びたい。

■2000/09/19 (火) ヒマにまかせて

こう何日も市場のない日が続くと、やるべきこともなくなってくる。本当は今日するはずだったページの更新も、昨日の深夜のうちに終えてしまった。今日はホームページの改良についてあれこれと考えている。

その一つがフォームの導入。ページ画面を分割し、menu一覧を表示することで全コンテンツへすぐに移動できるようにするもの。これはどう考えても便利な気がする。
しかし、トップページから一気に行けないページ(荒木さんをはじめとしたKANROKANROページのコンテンツ)の扱いをどうするか、という問題を自分の中で解決してからでないと手をつけられないことに気が付いた。
つまり、甘露書房ホームページは、あくまでも書籍販売のためにあるわけで、KANROKANROはその”おまけ”に過ぎないということ。

実際にはそのでっかい”おまけ”ページの方が作っていて何倍も楽しいし、1日300ものヒットを呼んでいるのだが、それはそれである。原則は変えられない。
ワタシの個人ページとしてのKANROKANROページを甘露書房ホームページと同列にすることはできない。

結局は何をするでもなく、ヒマな午後の時間はゆるゆると過ぎていくのだった・・・。

■2000/09/18 (月) 市場のない月曜日

今日は一新会大市の準備のため、中央市会はない。そのため、月曜日だというのに一日店にいる事になってしまった。

この一週間もの長期にわたってサーバーの調子が悪いということでデータのアップデートを禁止されていた日本の古本屋に、一週間ぶりでデータを注入した。すぐにご注文を頂いた。やはりデータは更新しつづけなければいけない様子。

■2000/09/17 (日) 雨の日曜日

昨日の柔道は感動した。田村亮子が見事に勝って八年越しの夢をかなえ、金メダルを取ったのだ。試合後の笑顔と涙。普通に暮らしている人にあんな見事な表情をできる機会はない。努力と根性で結果を出した彼女を大いに称えたい。

さて、今日は台風のため、せっかくのお出かけも中止となった。

朝からTVでオリンピックを見る。日本とは対照的な抜けるような青空の下、松坂が力投していた。アメリカとの試合は息詰まる投手戦となった。何度かチャンスを作るものの、松中も中村もヒットが出ない。やはり実力の差を感じた。結果は延長13回サヨナラ負けしてしまった。

その後もだらだらと一日を過ごす。子供にせがまれカルタをやったり、TVゲームをやったり・・・。
雨さえ降らなきゃねェ。

■2000/09/16 (土) 雨の土曜日

明古のなかった翌日の土曜日ほどやることのない日はない。おまけに巷ではオリンピックが始まっていて、お客様も本どころではあるまい。当然ながらワタシもTVを見ているが、確かに面白い。

午前中のトライアスロンはかなり長いこと見てしまった。普通の人で泳いだ後自転車に乗って、そのあとでまた走るなんて誰がするんだろうか。この競技を考えた人はサディストである。それを五輪の正式種目に押した人はかなりのサディストで、TVの前で面白がって見ている全員は一番のサディストだ。

よくもまあ、1.5kmも泳いで、自転車で40kmも走ってからマラソンをするよなぁ。しかし、走っている彼女たちの表情は素晴らしかった。あのサディスティックな競技に耐えられるなら人生の節目くらい簡単に乗り越えられるだろう。彼女たちもまた、自分の肉体に対してのサディストである。
トライアスロンの金メダルを手にしたスイスのマクマホンには「鉄の女王」という称号が贈られた。言い得て妙と感心した。

午後はお茶の合間に男子体操を見た。鉄棒にしろ床運動にしろ、人間技とは思えない。たった棒が一本あるだけで、床があるだけで、人間はああまで自由に動けるものか!

これから田村亮子の柔道が決勝する。大雨で店は早仕舞い。見逃さないようにしなければ!

■2000/09/15 (金) 祝日の午後

祝日である。市場はそのためにお休み。

今日は午前中に一新会大市会への出品のため、古書会館まで車を飛ばした。雨が降ったり止んだり照ったりと気まぐれな天気。
トランクに一杯で27点。荒木もの4本、カメラもの3本も思い切って出した。高くなってくれよ、と思いつつ。

午後からは先日の愛書会展の名簿整理。これが毎回毎回ホネの折れる作業なのだ。

■2000/09/14 (木) もうすぐ一新会大市会

年に何度か大市会が東京古書会館で開かれる。

明日の金曜日は祝日で明治古典会がない。で、明日から一新会大市会の準備に入る。今回が50周年記念ということで、東京ドームホテルでのレセプションまで用意され、華やかさが添えられる。

ワタシは開札の当日にお手伝いさせていただくことになっているが、それ以外は丸々一週間市場がないのだ。今日は大市に出品する品物の準備に追われている。荒木経惟、カメラ関係書のダブリ分は出品してしまうつもりだ。どうしても市場で本を買うと、欲しくない本もだんだん溜まっていってしまうのだ。半期に一度の在庫整理というやつだ。

思うような金額にならないことは覚悟している。とにかく今後も目当ての本が市場に出品された時、在庫が溢れていると札も書けなくなってしまうので、そのために、と書いておきます。

■2000/09/13 (水) 資料会

毎週水曜日は資料会の日である。

今日は目録も発行されるほど一口の出品があった。歌舞伎関係、国文学関係、俳句関係。この俳句関係にオヤジは反応して、珍しく古書会館まで足を運んだ。
結果は散々・・・。やはり高いなぁ。

そこで早稲田の現世さんから、10月から始まる早稲田青空古本祭の目録「古本共和国」を一部頂いた。ありがとうございます。今回は古本屋の女房という特集で、いろいろ本屋さんの奥様が寄稿されている。
古書目録も毎年掲載されていて、読んで、見て楽しめると評判の合同目録なのだ。

その中の一店、A書店さんに荒木経惟の「ノスタルジアの夜」が出品されていた。値段は驚くなかれ2500円!! 見るなり受話器を引っつかみ、ダイヤルしたが、「売れちゃったよぉー」とのこと・・・。すでに2週間前にお客様へ発送されていたらしい。それじゃあねぇ・・・。

そううまい話はころがってませんて。

■2000/09/12 (火) 誕生日

今日はワタシの32回目の誕生日である。30になるときにはなにか抵抗のようなものを少しは感じたが、それを超えてしまった今は、特に思うことはない。ひとつの通過点くらいにしか考えられない。
人生には節目が必要だが、それは忘れた頃にやってくるくらいが丁度いい。冷や汗をかくような事を年に何度も体験したくはない。

誕生日が本当にうれしかったのは小学生のころだったかもしれない。母親の作ってくれたごま塩のまぶされた赤飯は、今日が特別な日だという気分を盛り上げてくれた。いつもなら食べ終わったらご馳走さま、なのに、この日はまだケーキという続きもある。おなかいっぱい食べ終われば、誕生日のプレゼントに買ってもらったおもちゃで遊ぶ。その日はいつも店は休み(当時”2”のつく日を定休日としていた)で、両親はもちろん、健在だった祖父母も一緒に誕生会に加わってくれたのだ。写真に残っているワタシの表情は家族の中心にいる満足感に満ちていた。そんな年に一度のゼータクな時間は確かにうれしかった。

家族にちやほやされるのが照れるようになったからか、どこかで疎ましくなったからか、中学に上がった頃からはそんな大袈裟は好まなくなった。祖父が亡くなったのは、ワタシがなんの裏付けもなく生意気だったそんな頃だった。誕生日の記憶は思い出となり、写真から記憶を辿るしか術はなくなった。

甘露書房の初代だった祖父はアナーキストで、戦後、神田の露店として古書売買を始めたと聞く。”神田”の”露店”を縮めてカンロと名付けたなんて気が利いている。この業界に入って、本名ではなく「甘露」と呼ばれるようになった事は、自分なりに感じるところがある。
うちのオヤジも「甘露」と呼ばれている。その呼び名がいつか「甘露のオヤジさん」となった日、ワタシは本当に甘露書房を継いで「甘露」になったことになるのだろう。

その日は後何回誕生日を迎えれば来るのか?待ち遠しいような、来て欲しくないような、そんな複雑な気持ちだ。

小さい頃からオヤジは目標だった。その想いは同じ仕事をしていくことに決めてからさらに強くなった。どうすればオヤジを超えられるか、を日々模索しているおかげで”自分”を維持できている部分がある。
その目標がなくなる日はいつか必ず来る。目標という精神的な支えを失った時に自分の真価が問われることになる。

武者振い、である。

■2000/09/11 (月) 神奈川優良書市会

バス釣りのあとはやはり寝不足に苦しめられる。

今日は神奈川古書会館(東横線反町)で秋の優良書市会が開催された。開場の9時と同時に入場し、入札を済ませた。空は今にも泣き出しそうだと思っていたら、10時前には土砂降りの大雨。反町までの道のりを長く感じた。

店に帰りつくころもまだ大雨状態。今日は愛書会展の荷物が店に帰ってくるのだ。さっきから天気の様子を見ながら気が気じゃない様子のオヤジ。雨もずーっとザーザーと降りっ放しではなく、時折小止みになる。あ。また弱くなってきた、と思っていた矢先に運送屋さんのトラックが到着した。「実は15分くらい待機していたんですよ」なるほど、道理でいいタイミングなわけだ。小止みの間に何とか荷物を降ろしきれた。これを2階に上げる作業は親子3人ががりである。うーむ、微笑ましい。(^^;

午後は東京の中央市会を休んで、愛書会展の荷造りに当てた。
寝不足がたたり、パソコンで打ち込む手許が怪しい。タイプミスを連発し、仕事のペースが著しく遅くなってしまった。

先ほど神奈川古書会館へ今日の市会の清算に行って来たオヤジが帰宅。「たった○○万円しか落ちなかったよ・・・」と愚痴る。いえいえ、無理して買ったって売れなければ何にもなりませんヨ。

■2000/09/10 (日) バス釣り

明古あけの疲れも取れないうちに愛書会があり、次の日は休めばイイのにバス釣りに行って来た。

午前2時起きで、3時に新丸子を出発。どうやら車庫出しの時にお向かいのお家にはちょっとうるさいらしい。さもありなん。いつもすいません。

首都高湾岸線から京葉道、館山道を乗り継いで、約1時間半で亀山湖に到着。もちろん深夜だからこの時間で行けるのであって、昼間なら倍以上かかるだろう。近くの道をトラクターが走っているのを見たことがある。千葉県は実は農業王国なのだ。

そんな農業王国の山の中に東京から来たヤローどもが朝もはよから集う亀山湖。やはりどこか異常かもしれない。こんな趣味を家族が理解してくれているだけありがたいと思わなければならない。

釣果は、バス4匹(最大32cm)ギル2匹(最大22cm)
この夏は亀山でボーズなし。ワタシが上達した?いえいえ、これもひとえにバスの食い気のおかげです。

■2000/09/09 (土) 愛書会2日目

明古あけの眠い目をこすりながら10時前に古書会館へ行く。
その日は何をするでもない店番の一日である。
帳場に立ち、お会計作業。売れて開いた場所の整頓。そして、3時過ぎから伝票の計算。この計算作業がなければ一日が長くて仕方ないと思ってしまう。やはり店番は辛い作業だ。

5時閉場間際にN書店さんがご注文の品を引き取りに来た。どうやらもう引き取ったと勘違いされていたらしい。ワタシが直接電話をしてきてもらったのだが、ついでだかお詫びだか、他にも何冊か本をお買い上げいただいた。ありがたい・・・。

5時に閉場し、会場を撤去作業。月曜日からは何事のなかったかのように2階は中央市会の荷物で満たされるのだ。

次回愛書会展は11月3、4日となります。

■2000/09/08 (金) 明古

金曜は明古。

神田のG堂書店さんに呼び止められた。曰く「甘露さんのホームページのアドレスが荒木さんのことを特集した雑誌に載ってたよ。」え?本当っスか?その雑誌って何です?「荒木さんが”TC-1”を持った表紙のアレ」え?アレですか?たしかその雑誌ワタシも手に取ったはず・・・。で、見せていただくと、確かに載っていたがページの端にちょこんと書いてあった。あ。確かに載ってますね。「でしょ?もう気が付いていたと思ってたよ」いやぁー、でもこれじゃワタシは気が付かないですね・・・。「あ、そう?オレなんかはむしろこんな感じのほうが逆に目に付くけどね」ううむ、さすが目の付け所が違いますねェ。やはりワタシはマニアにゃなれないようで・・・。(^^;

今日は山高登氏の多色摺り版画と、田中冬ニ氏の色紙を買うことが出来た。次回愛書会展で目録に載せることとなります。どうかご期待のほどを!

そうそう、今日は二週連続でやった事故連続記録を断ち切ることも出来た。その点は良かったと言っておきたい・・・。

■2000/09/07 (木) 愛書会並べの日

今日は愛書会展の並べの日。うちとしては約2ヶ月に一度の東京での商売である。

古書会館の2階は、普段市場が開かれているのだが、毎週木曜日には大きな立て掛け台がズラリと整列し、そこに所狭しと本が並べられ、明日の初日に備える。

今回もいろいろとご注文を頂けた。問題は、どうしても欲しい本というのは皆さん同じなのか、ご注文がダブることである。この抽選作業が毎回ホネなのだ。(^^;

明日、ワタシは明古なので1階会場をうろうろすることになる。そのため、2階の愛書会展はオヤジの担当である。

とにかく、量が売れてくれれば成功だ。金額がいくかどうかはこの際二の次なのである。

■2000/09/06 (水) i-modeページ続編

雨がパラつく不安定な天気が続いている。

先日公開したi-modeページの出来を気にしている。昨日は荒木さんのページの更新に気を取られて手を付けず仕舞だったためだ。
コンテンツをどうするか。まず、甘露通信の処理をどうにかしなければならないと思ったが、何をどう見せるか、で行き詰まっている。今度i-modeページのうまい作り方の本でも一冊買ってみようか?とも考えているが、書店でさらっと見たところ、目新しい記事は出ていなかった。結局は作り手のセンスがダイレクトに出てしまうようだ。ううむ、難しい。

で、立ち読みした本に載っていたi-mode用の掲示板を早速設定したが、よく考えたら表のページで掲示板の書き込みがさっぱりなのに、i-modeだから書き込んでくれる人が来る、というのは考えが甘い。30日間書き込みがなければ自動的に消去されるそうだ。手間要らずなのね・・・。

さて、昨日の夜は愛書会の荷物を2階から1階に下ろす作業をした。ダンボール箱13個(これはたいしたことない)と、均一本45本(これは結構キツイ)。雨で涼しかったのは幸いだった(^^;。

■2000/09/05 (火) i-modeページ

昨日、秋葉原で『iどーも!』という人を食ったような名前のi-mode用のホームページを作成するソフトを買った。『iホタル』など定評のあるソフトは高かったのだ。早速閉店後、深夜までかかって一応それなりに形を整えた。だが、i-modeとはケータイであるから、表示できる文字数などに厳しい制限がある。甘露通信という在庫目録と日記のページにはそのままダイレクトでリンクしてしまったが、本当はもう少しi-modeならではの表現で書くべきではないか、とも思っている。

i-modeはHTML言語のバージョンが低いようで、使えるタグも少なく、見せ方に工夫が必要なのだ。

少なくとも在庫目録は、見せ方や載せる本の種類などにも工夫した方が良いように思う。今のままではただの電話帳広告と何ら変わりない内容しかない。それで良いともいえるが、せっかくだから、と思う。

それよりも大きな問題は、ワタシがcdmaOneのユーザーで、i-modeを使っていないということなのだ。なんとか見えるのだが、HTML言語の規格が違うためか、i-modeで機能するタグが機能しない場面がある。今度年間割引が期限を迎えたらi-modeに変更しようかな。

■2000/09/04 (月) もうすぐ愛書会

今週の金、土曜日の2日間、駿河台下の東京古書会館の2階で愛書会展が開催される。すでに目録は1週間前に発送され、目録による受注も最終段階を迎えている。

開催は金曜日だが、荷物の運びは水曜日に運送屋さんが取りにくるため、すでに荷物の大方は仕上げておかなければならない。今回は均一品を大幅に入れ替えたため、ちょっとまだ品物が足らない。今日明日中に用立てる必要がある。

この愛書会展は2ヶ月に一度開催されるのだが、古書会館ではほぼ毎週他の会も古書展を開いている。毎回毎回参加される方は大変だろう。うちは2ヶ月に一度が限度かも。

近い将来、古書会館は老朽化のため、立て直される予定らしい。そうなると古書展の開催は中断されることになる。そのXデーは何時来るのか・・・。いまからちょっと内心ひやひやしているのだ。

■2000/09/03 (日) 江ノ島

今日は日曜日。休みとなればバス釣りばかり行っているワタシも、今日はどこかへ子供たちを連れて行かなければ、と思い、江ノ島へ出掛けた。

車で行かないとなると結構どうやって行こうかと悩むほど、江ノ島へのルートは結構ある。登戸まで南武線で、そこから小田急で片瀬江ノ島まで行くルートにした。片道一時間半で、640円なり。

当初は江ノ島水族館へ行こうと思っていたのだが、出発が11時半ではどうしようもない。水族館は取りやめにし、江ノ島の展望台を目指すことにした。

江ノ島弁天は古くから信仰を集めている。島の入り口には鳥居があり、文政4年に新吉原が寄進したもののようだ。相当年季が入っている。参道には土産物屋が軒を連ねるが、様子を見ているとどこも苦戦の様子。猫(すべて捨て猫らしい)ばかりが目立った。

エスカーという頂上までのエスカレーターは330円。何故かいつもこれに乗ってしまう。明治製菓の看板が目印で、この島全体が明治によって広告的に買い占められているらしく、カールおじさんで満ちている。

頂上には植物園と展望タワー。両方の入場料は480円。このタワーからの眺めは最高で、どの展望台からの眺望よりも気に入っている。眼前に広がる相模湾と、霞たなびく富士山は圧巻だ。風が強くて、地上で感じた暑さはなく、まさに別世界である。

子供にせがまれ、展望タワー下のゴーカートに乗る。子供とふたりで乗って二周で500円。当然ながらたいしたコースではないのだが、子供は喜んでいた。意外に次々大人も乗っている。こんなたそがれた施設というのも味だ。

帰りに参道でみやげ物を買う。塩味の江ノ島羊羹500円なり。明日のおやつの楽しみまで出来た。充実日なり。

■2000/09/02 (土) 暑っ!

もう気が付けば9月である。どうも感覚的に正月が真冬という記憶があるために、暑い間は今年もまだまだあとがある、なんて考えてしまうが、たった4ヶ月で紅白歌合戦はやってくる。暑さで頭のネジが緩んでいるのだろうか・・・。それにしても今日は暑すぎるだろ!
「今年最高気温」という言葉が夕刊紙上で踊っている。わかっているんなら少し気温を下げてくれ!と言いたいくらいだ。

最近「ショッピングモール」へのお誘いのメールを多数頂く。それじゃあ、すぐ加盟します、とならないのには訳がある。そもそもインターネットで商売になるのは、容易く大量に仕入れられる商品を受注するものが多い。不特定多数の人から大量に受注できるだけの商品としての余裕が必要なのだ。
うちのように中古品でその一冊が売れたらあとは在庫が無い、という商品では、1件の受注にしか応じられないことになる。これでは月に2,3万円の登録料は経費のかけすぎになってしまうのだ。

infoseekで「ショッピングモール」と検索をかけて、引っかかってくるサイトの多さにひっくり返った・・・。これじゃ、加盟しても何にもならんわ。

■2000/09/01 (金) オー、コワ

昨日の日記で「何かが起こる」と書いたら、本当に起こってしまった・・・。

いわゆる”事故”であります。

事故といっても、明治古典会内での事故というのは、けが人が出るわけではありません。

今日は封筒の書き間違い。実際に落とした人とは違う人の名前を封筒に書いてしまったわけです。誰がやったかって?そりゃ、ここに書くくらいですから、ワタシがやってしまったのです。(^^;

事故を発見したら、落ち込んでいるだけでは何にもなりません。自分で解決するためにも率先した初動捜査が大切です(実際には発見ではなくて、申告をもらったのですが・・・)。

封筒を見ても何にも印象がない。としたら、現在会場に残っている荷物のなかに該当する荷物が残っていないか、を捜査します。今日は運良く、その品物はすぐ見つかりました。ああ。よかった。

ここで買った人が会場から持って帰ってしまうと(その人にはほとんど罪はないのですが)事故は不可逆性の高い本当の”事故”に出世します。もって帰った人がうちでヌキ(落札品明細)と付け合せして運良くそのことに気が付かなければその件は迷宮入りです。

なんで文章が変に”ですます調”になっているかといえば、二週連続でやっちまったからです。どうにか二週連続で解決しましたが・・・。

たたりなんて軽々しく言うと、本当にそうなりますので、気をつけましょうね。オー、コワ。

2000年09月30日 | Posted in 甘露日記 | | Comments Closed 

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