甘露日記2002年1月

■2002/01/31 (木) 早いなぁ

もう1月が終わる。

今年もあと11ヶ月で終りだ。ついこのあいだお雑煮を食べたような気がする。時間はホントに加速したなぁ(^^;。

昨日晩飯を食べていたら電話が鳴った。出ると高校時代に入っていたクラブの後輩だった。いやあ、ビックリ。当時のお友達と今でも交流があり、ふとしたきっかけで「皆さんはどうしてるかなぁ」という話になったらしい。忘れかけていた過去からの電話だった。

ワタシも30代になり、子供もまだ小さいから正直今を生きるのが精一杯になっていた。月日の経つのが早く感じるということは、きっと毎日に余裕がないのだ。人が見たら眉間にシワが寄っているのかも知らん(^^;。
そういう毎日を送っているときに、昔ののんびりした時間を一緒に過ごした仲間から電話をもらえるのはうれしい。

高校の頃は地学同好会というのに入っていた。ただし、前にも書いたが生まれ付いての文系頭である。ややこしい計算などは一切出来ない。で、実際の活動はといえば、午後4時からラジオで始まる「気象通報」を聞きながら情報を得て毎日天気図を書いていた。校舎の渡り廊下に設置された雨水を図る枡を回収して簡単な気象観測をしたり。休み中も当番を決めて観測データが途切れないようにしていたから、そういうところは結構まじめだった。文化祭になれば一年間の気象観測データをまとめて発表したり、手作りのプラネタリウムを上映したり。

太陽黒点が活発なときには、昼休みに反射望遠鏡を使って紙に太陽を投影し、黒点をスケッチしたり。たまに高尾の奥の陣馬山まで望遠鏡かついで星を見に行ったり、夏休みには夜に学校へ集まって屋上でペルセウス座流星群の観測をしたり、近郊のキャンプ地で合宿したりと楽しかった(^^)。
文系頭のワタシが会長をするくらいクダケタ組織だったけど、ワタシ以外のメンバーは頭脳優秀で、K大とかT大へ進学してたっけ。

後輩といったってワタシのひとつ学年が下というだけだから、今や彼女も立派な社会人だ。話していると普段は忘れていたいろいろなことが頭を駆け巡った。自転車で通っていたあの頃がワタシの青春だったのかねぇ。随分地味だったが(^^;。

懐かしい思い出があれこれ浮かんでは消えていく。もうあれから15年以上もの時間が経過していた。あの頃の自分は現在の自分の姿をホンのちょっとでも頭に描けていただろうか。そういうことはなぜかハッキリしない。

■2002/01/30 (水) パソコン

思えばパソコンっていろいろと活用している。

なんといってもインターネットの用途は絶対だし、最近じゃデジカメの映像もパソコンなしでは管理できない。VAI○の宣伝を見ればわかるけど、あらゆるメディアが双方向性を持つ時、そのブリッジ役には大抵パソコンが絡んでくる。民生用レベルの製品であればパソコンを介するのが一番手っ取り早いし、安い。何かやってやろう、と思ったとき、ワタシの中ではすでになくてはならない存在と化している。

もともと中学生の頃からパソコンはいじっていた。といっても家は貧乏(^^;だったから高い高いパソコンなんか買ってもらえない。近くのパソコンショップに入り浸り、只でいじらせてもらっていた。ところが生まれ付いての文系頭ではBASICプログラムさえ満足に出来ない。パソコン雑誌に載っているゲームプログラムを入力して遊んでいるのが関の山だった。

高校に入り、子どもの頃から貯めておいたお年玉をはたいて秋葉原へ走った。今は亡きマヤ電気という店で○PSONのHC-20というパソコンを買った。当時で16万以上したはずだ。ハンドヘルドコンピューターという現在のノートパソコンの走りだった。当時のたかが高校生にパソコンを使う用途なんてなにもない。ただいじっていじっていじり倒した記憶しかなかった(^^;。

大学に入ってからは意識的にパソコンと距離を置いた。結局HC-20が16万円もの高いオモチャになってしまったという反省からだ。しかしその間にパソコンは大変な進化を遂げていた。
社会人になって再びパソコンと再会した。務めていた神田の本屋さんでパソコンを使って目録を打ち出す仕事があったからだ。当時はPC-98にMS-DOSでメモリは8MBの時代。それでも一太郎がちゃんと動いた。

店に戻ってから早速パソコンを自費で購入。再びパソコン生活が始まった。インターネットのない時代、ニフティのパソコン通信にのめり込んだ。ワタシのカメラの知識はニフティから得たことがたくさんあり、口コミの情報の有用性を思い知る。
仕事でパソコンを使うようになり、インターネットの普及に伴ってグレードアップを迫られ、今のVAI○で5台目。

にしても一台のパソコンから得る収入は宣伝効果と相俟って今や計り知れない。電話帳広告に年間30万円出すならパソコンを一台買った方が絶対にイイ。

あとはワタシのスキルアップだけだ(^^;。

■2002/01/29 (火) ホームページ更新

実に半年振り。

荒木さんのページに追加した。長いことほって置いたが、最近数人のお客様が注文を入れてくれるようになったので書いてみようという気になれた。ホームページ更新の原動力って実はこんなものです(^^;。

その内容は荒木さんページを読んでいただくとして・・・。

愛書会の荷物を朝一番で郵便局に持っていった。28件分というと本なら山のようになるはずだが、今回は色紙や原稿といった薄いものが中心だから比較的軽くて楽。やはり本は重くてかさばるのよね。つい持って帰りたくないから古書展に出す均一本は安くつけてしまうけど、安い本っていくら売っても経費の足しになりにくい。それだけ経費が高いとも言えるけど、やはり高い本を扱わないと古本屋は商売にはならないという現実を教えているように思う。商売は常に維持費との闘いだ。

ネットに開店しているお店は比較的維持費に無頓着でいられる。実際にウチのホームページ維持費はドメイン費とあわせて年間でも3万円ほど。通信費もフレッツを導入してから安くなって月に約3500円。「日本の古本屋」には月4000円。ネットなら月に1万円もかからないのだ。売り上げている金額を考えるとやはり安い。ただし、ここにはデータ入力やホームページ更新、荷物発送などの”手間”を計上していない。人を雇ってこれらの作業をやってもらうとすれば、まだまだ売り上げが足らない。今のような”面白半分”でホームページの運営も出来なくなるだろう。

ただ、この”面白半分”で仕事をしているからうまく回っているんじゃないか、とワタシは思っている。荒木さんのページにしても、カメラのページにしても、ハッキリ言って商売とは直接関係ない。しかし、そう言って切り捨ててきたのが従来のやり方ではなかったか。
これからは売りたい本をただ大量に並べれば誰かが買ってくれる、なんていう方法では難しい時代がきっと来る。その予感がワタシをホームページ更新に向かわせる。日記に飽きもせず私的なくだらないことを書き続けるのも全くの無駄とは思っていない。そう思わなければイヤな想いをしながら続けるはずがない。書くことでイヤな想いを発散出来ている面もある。とにかく、ホームページを更新し続けることはウチの店の生命線だと思っている。

あー、堅苦しい(^^;。ま。普段からそこまで思いつめてるわけではないです。

常に面白半分の精神。それがすべてサ。

■2002/01/28 (月) JNB

今日は待ちに待った月曜日。中央市会である。

と言いたいのだが、先週の愛書会が残した仕事の為に市場は欠席だ(^^;。午前中S運送さんが愛書会展の荷物を運んでくる。それを3人がかりで2階に上げて、昼飯を挟んでひたすら送り荷物の発送作業。結局丸一日これで潰れてしまった(^^;。晴れていたから写真撮りに行きたかったのになー・・・って、おっと、書きすぎた(^^;。

愛書会の荷物だけで済めばまだいい。インターネット前金分が15件も入り、作業場は大混乱。ちょっとビックリするくらい仕事が目の前に積み上がっている。これをほって置いて市場には行けないんだよね、どうしても(^^;。

拡大の一途のインターネット取引。現在最大のネックは決済方法だと思う。ネットオークションではエスクローサービスなどを導入しているが実際にはほとんど機能していない。要は手数料が高いか安いか、早いか遅いかということがキモなのだ。エスクローはきっと料金設定が高すぎるのだろう。
そこでウチとしてはジャパンネットバンク(JNB)に契約し、郵便振替の弱点である”遅くて面倒”という点を少しでもカバーする事にした。これだとコンビニ(AM/PM)のATMでも振込みが出来、お客様もJNBの口座を持っていればインターネット上で取引すると52円で送金できる。iモードならなんと10円でOKなのだそうだ。

昨日ご注文頂いた方から順次このJNB口座をご案内メールに書き込み始めた。すると早速今日JNBご送金第一号様を知らせるメールがJNBから届いた。やはり早い方は早いなぁ。ご送金を確認し、即日発送を済ませた。なんだかあまりにあっけない。なんで早く導入しなかったのだろう。郵便振替の優位性は料金的にも早さ的にも崩れた。わざわざ郵便局の行列に並んで振り込むなんてすぐに廃れて行き、決済専門としてネット銀行がいずれ主流になっていく事は間違いないだろう。

愛書会荷物の荷造りがやっと終わった。全部で28件。これまた伝票書きから荷造り、宛名書きとかあれこれ注意しながらやっていると結構大変なのよー(^^;。
入荷した本をPCに入力していくスピードより売れていくスピードの方が早いこの頃。データ数はたったの1600点を未だに推移(^^;。こんな本屋に付き合っていただいているお客様にはホントに感謝感謝です。

明日は久しぶりに更新しようかしら。

■2002/01/27 (日) 横浜散策

疲れていたのか、起きたら9時。

腕が筋肉痛。昨日の愛書会片付けが原因だろうな。普段の運動不足を実感する。

雨がバチャバチャと降り続いていた。ヤレヤレ、今日は一日ゆっくりしようか。ゴロリと横になってTVを見ていると、子どもたちが「あそぼー!」とツープラトン攻撃を仕掛けてくる(^^;。ロープロープ!今日はお父さん疲れてんだよぉ。タッグを組んでいるはずの女房はニヤニヤしているだけ。そりゃあないよ(^^;。ま。ウィークディはすべて女房が世話しているんだからこれくらいアタリマエか・・・。気持ちを切り替えて子ども二人相手に大フントー。やっつけてるつもりが「きゃはははは。もっともっとー!」と底なしの子どもたち(^^;。もー勘弁してよ。

そうだ、床屋に行ってくるよ。丁度いいイイワケを思い付いた。近所の床屋へ逃れた。でもかれこれ3ヶ月くらい行ってなかったな。気が付かないうちに不精をしているものです。雨は上がっていた。空が早い。

床屋を出ると晴れていた。なんだかなー。これで出かけなければならなくなってしまった。まあ家でゴロゴロしているよりはましか。みなとみらいへ向かう。
息子が誕生日に欲しいと言っていたオモチャがあるのかどうか、みなとみらいのトイザラスへ見に行く事にした。たしかジャックモールにあると聞いていたけど行ったことないなぁ。ワールドポーターズじゃないし、ランドマークプラザに行ってもクイーンズモールへ行っても表示がない。思い切って案内カウンターにいるお姉さんに聞くと、横浜美術館の向こう側だと教えてくれた。陸続きじゃなかったのね。

横浜美術館は今ダヴィンチが来ている。普段はスカスカなのに今日はそれなりに人が居た。NTTドコモのでかいビルを通り過ぎたところにありました。ジャックモール。

倉庫のような安普請のでかい建物に大型店がいくつか入っている。ここのトイザラスもでかいでかい。こんなでかいおもちゃ屋ははじめての子ども二人はすっかり舞い上がっている。娘はセーラームーンのグッズ売り場にあった垂れ流しビデオの前から動こうとしない。「へんしんかっこいー」とかつぶやいたり(^^;。女の子だねェ。

そんなオモチャのテーマパークから何も買わずに出て、高島町駅を目指す。まだ未完成の街並と道路。旧市街へ向かう道が限られているからクルマは大渋滞している。

東急高島町駅はなんと呼び鈴を押さなければ駅員が出てこない”無人駅”だった。

みなとみらい夕景
■2002/01/26 (土) 愛書会

で、今日は愛書会。

今回は当番なのだが、昨日ワタシが明古で一切タッチできなかったこともあり、オヤジがワタシの代わりにずっと帳場に座ってくれた。当番なのになんだかフリーみたいになってしまった。ま、いつもどおりってことです。

午後から雨の予報。暖房ががんがんにかかっている館内は結構暑い。昼飯でパレスサイドピルへ行く道すがらは随分寒く感じた。厚い雲が立ち込めたいやな空模様。共立の女子高生の明るさが逆にまぶしく感じた。早く春が来ないかな。

そんな願いもむなしく、売り上げは全体的に超低空飛行(^^;。とにかく高額品に注文が入らない。それはもう「一体どうしちゃったんだ?」というほど甚だしい。こちらに移ってきて経費が上がった事で悲鳴を上げる人も。沢山いらっしゃってくれているのになぁ。前回比マイナスに終わった。

終わってみればウチは前回以上の売り上げ。均一本が半分も売れてくれていた。ありがとうございました。

■2002/01/25 (金) 特選市

金曜、明古。

今日も経営員が二人欠席。身体をこわした者と諸事情によりやむを得ずの者。毎週明古は面白いから早く身体を治してなっ。

さて、朝から閑散とした雰囲気だったが、それも10時まで。続々と入荷ラッシュが始まった。先週に続きまたしてもカーゴ一台分戦前詩集の口が入る。これまた粒揃い。こういう名品が何の予告もなくパッと出てくるのが明古のすごいところだ。「マヴォ」が2冊。「幻(マヴォロシ)からマヴォって名付けられたんだよ」なんて声がどこからともなく・・・。とにかくそれくらい珍しい雑誌だ。いったいどれくらいの値段になるのだろうか。当然のようにマヴォは最終赤毛氈に座った。

出品点数は900点弱。でも本口がたくさん立ち上がるわけでもなく、地方荷の黒っぽい本がそこかしこにちりばめられていて、これぞ明古の特選市という雰囲気。優品は好事家を引き寄せる。12時をすぎて会場には入札に来る人が溢れんばかりだ。そんな雰囲気に酔ったか、ワタシの入札する札もうわずりがち(^^;。

開札開始。横尾忠則の色紙を落札。ほかにも棟方志功の署名本や限定版の本をいくつか。いずれも署名入り。やはり署名本はポテンシャルが高いような気がするから。さて、最終台が近づいてきた。

先週の「蒼ざめた童貞狂」もすごかったが、この「マヴォ」はそのさらに上を行く。表紙からして題字の方向と発行者の文字方向が逆になっていて、扉頁の題字も逆。しかし写真は正方向だが、写っている人間が逆立ちしているという、なんともすごい感覚(^^;。表紙に糸で繋がったハートマークの紙片がぶら下がっていたり、赤い紙で糊付けされた髪の毛(のような数本の毛の束)が覗いていたり、途中頁が新聞を切り抜いて綴じられているところあり、とおおよそ普通の感覚で作られた雑誌ではない。
奇を衒ったというよりも、時代の混沌とした雰囲気をどうやったら表現できるのか、もがいているように感じられた。

しかし惜しいかな、出品者との折り合いが付かず、今回「マヴォ」には価格は付かなかった。次はどんな場面で出現するのだろうか。

市会終了後、2月中旬に予定されている中央市会大市会のシフトを決定。ワタシは開札日に出席する事に。
後、近所の中華で食事会。出席6名。一時は11人もいた経営員なのに、なんだか随分こじんまりしてしまったなぁ。

いやいや、心配ご無用。近々一人経営員が新加入する予定也。

■2002/01/24 (木) 並べの日

今日も前金を多数頂き、発送作業をしていたら市場へ向かうのが13時(^^;。

最近はこればっかりだなぁ。どこかでサイクルを変えないと。市場に着いた頃には開札が半ばまで終わっていた(^^;。
入札する気力が失せ、しばらく佇んでいるうちに写真が撮りたくなってきた。随分唐突だが、ワタシの写欲なんていつでも唐突に出てくるものなんですよ。

M6にはあの日以来ズミクロン35mmが付けっぱなし。ネオパンプレスト400を込めて神田界隈を写真散歩。いや、これが最近また楽しみになっていたりする。生活のスパイスですな。
竹橋を出てとりあえず秋葉原方向を目指して歩き出す。錦町郵便局の隣にあるレトロなお店が好きでよく前を通る。必ず100円コーヒーを買って飲む。今日はカプチーノ(^^;。そのまま電大前を通過して靖国通り。季節が良くなったら角のルアーショップに寄ったり。
お。小川町交差点の洋品店は変な看板を取り払ったねっ♪。実は心配していたんだよ。東海銀行がUFJ銀行になり、同じ小川町の至近距離に2店舗。どっちか潰されるな、きっと。顔のYシャツは今日も元気に営業中。よく考えたらここは地下鉄駅前の一等地なのよね。

淡路町トライアングルの一角はまだレトロな建物が現役でがんばっている。洋食屋さんに甘味屋さんと、鳥鍋、鮟鱇鍋、うなぎの寝床という鰻屋もある。藪は休業中だった。交通博物館から万世橋。旧万世橋駅だったこの場所は赤レンガの遺構が神田川沿いに今も残る。ラオックスデジタル館。ADSLのパンフレットを見る。月に約3000円か。そろそろかもな。

道路を豪快に跨ぐ総武線の鉄橋。昌平橋を渡って中央線沿いにお茶の水の坂を上る。夕日がきれいに順天堂を照らしていた。雑然とした駅前をスナップ。意外に駅前って古い町並みが残っているもの。こういう雑踏にレンズを向けるのは好きだ。そのあと駿河台下へ降りていき、靖国通りの古書店街を歩いて専修大前まで。日本教育会館へ到着は16:50。ピタリだった。

17:30から陳列台の並べ作業開始。そのまま陳列作業。途中、今回当番の方々と打ち合わせ。陳列作業が終わり次第、皆さん流れ解散となる。当番は最後に鍵を閉める役目があるため、早く終わっても帰れない(^^;。
規定により20時に追い出された。近くの中華でオヤジと会食。明日の事などを話す。ワタシは五目焼きそば。オヤジは肉そば。

帰宅21時半。

■2002/01/23 (水) 電車の中で

前金の荷造り、発送を終えてから市場へ向かう。

自由が丘で急行に乗り換え、渋谷を急ぐ。すでに時間は13時15分。明らかに資料会に遅刻だ。心はあせったが電車はあせってはいけない。間に合わないなら間に合わないとあきらめ、少し気持ちをゆったり持つ事にした。

学芸大学駅でドアが開く。すると、ドアの前で待っていた女の子が乗車してきた。スラリと背の高い茶髪の子だった。彼女の胸の位置で大事そうに両手で抱えられている本が目に入った。黄色いカバーに見覚えがある。!ん!あれは「石神井書林日録」じゃないか!電車が動き出す。彼女は少し混んだ車内で本を広げた。ガタンガタンと電車が揺れるたびにページを繰った。ついまじまじとそのお顔を見てしまった。こんな変態オヤジに見られているなんて全く気付くことなく、彼女は石神井さんの描き出す本の世界に浸っていた。そんな様子を見ていたら本を持たずに飛び出してきた自分が恥ずかしくなった。彼女は渋谷で降りて行った。なんともいえない余韻が残った。

市場に到着して間に合わず。数点入札するも難しそう(^^;。月曜日に売れた本の代金を受け取り、すぐに帰路についた。

帰りの電車はすいていた。本を持ってこなかった事を後悔していると、少し甲高い声をした還暦くらいの女性二人の会話が聞かずとも耳に入ってきた。「アナタの人生で一番良かったって思い出せる時期っていつごろかしら?」「そうね、やっぱり女学生だったころかしらね。就職決まった事がすごくうれしかったのを覚えてるわ。」「結婚してからは?」「そりゃ最初はいいものよ。でもやっぱり結婚って現実なのよね。毎日毎日ご飯を作って・・・」「オトコの人は外に出て仕事しているからまだイイわよね。」「でも外で仕事をしてる人って退職してからが長いから・・・」「そうね、仕事が終わってからが大変よね。地位も名誉も関係なくなっちゃうから。」
ガラガラの車内で揺られながら、会話がこんな感じで延々と続く・・・。

「地位も名誉も」というクダリに話が流れていったときには一人の男としてちょっとメゲた(^^;。やっぱり男は女の人には勝てないね、絶対に。どう考えても生活本能は女の人の方が勝っている。男の方が”エライ”と、もし言えるとしたら、それは女の人から信認を得てはじめて許される言葉ではないだろうか。女の人に支えてもらってやっと男は立ち上がれるのだ。

東横線車内風景二題。

■2002/01/22 (火) 個人と商売

店はさっぱり。

先物取引のセールスしか来ない(^^;。その代わりにインターネットでの注文がここのところかなり増えている。有難い。ありがとうございます。

夕刊を読むとこんな記事があった。「子どもの夢食いつぶし。ジブリ美術館人気悪ノリ」
何の事かと思っていたら、府中市在住の主婦(33)が三鷹のジブリ美術館の入場券を自宅近くのコンビニで大量に購入し(106枚106,000円相当)、ネットオークションで転売していた咎により逮捕されたというものだった。東京都迷惑防止条例違反(ダフ屋行為)により逮捕されたとのこと。同容疑者は容疑を認め、「個人の利益のために子どもの夢を食いつぶすようなことをしてしまった」と反省しているらしい。

ここのところネットオークションは何かと新聞ネタになる。先日はステッカーがオークションによって売買されて信用を傷つけられた、とセコムが怒っていたっけ。そりゃあそうだ。

ネットオークションは取引が成立するまでは匿名である。成立しなければ氏名を明かすこともない。それでか、何か問題を起こしたとしてもすぐに身を引けば”大丈夫なんじゃないか?”という気分になれるようだ。この妙な匿名性がこうした行為を生むのかも。
「チケットの転売がダメならチケットショップがオークションに加盟してるのもダメじゃないか」という文句が出てきそうだが、彼らは転売する資格を公安委員会からあらかじめ取っている。資格を取って商売として始めるなら何ら問題はない。事業者はちゃんと登録した上に事業税を納めている。その税を免れて匿名で商売しようというのはやはり法律違反なのだな。もちろん古本屋は古物営業の許可を地元公安委員会から取っています。

なんて書いてくると、ネットオークションの存在自体がぐらついてしまいそうだが、ワタシだってネットオークションを利用する。でも特定の個人が高額商品を平気で大量に取引しているようだし、そういう人の事業税や消費税などの扱いはどうなっているのか良くわからない部分もある。中にはマイナス評価覚悟で高額商品ばかり売っている人を掴まえて「ちゃんと税金払え!」なんてバトルしている例もあった(^^;。なんだかわかりづらい。

「美術館に本当に来たい人が入場券を買えるようになってほしい」ジブリ美術館の館長である宮崎吾朗氏のコメントだ。
でも、入場が難しいからダフ屋が出るんだよねぇ・・・(^^;。

■2002/01/21 (月) 大雨

朝寝坊。

起きたのは8時半だった。やはり疲れていたのかね。娘は起きて開口一番「昨日はおもちろかった!」そうかいそうかい。疲れた甲斐があったってものだよ。
外を見ればジャバジャバと雨が降っている。昨日あんなに良い天気だったのが信じられないほど。なんにしても昨日が雨じゃなくて良かった。

先週の土曜日に出品しておいた本が今日開札される。さて、どうなるか。朝から荷造りを10件ほどこなし、終わったのは12時過ぎ。その後また郵便が前金を持って来てくれた。その荷造りまで終わらせて店を出たのが13時過ぎ。雨は降り続いていた。

市場到着は14時少し前。いやあ、やはり先週が成人の日で休みだったからすごい本の量だ。これじゃあウチの本なんか霞んでしまうなぁ。
入札後、使っているパソコンソフトの不具合を直してもらうため、S書店さんへ。さっきよりも雨が強くなってきたと思ったら風が吹き上げる。おまけにカミナリが鳴った(^^;。コラコラ、季節を間違えてるんじゃないの?

修正ソフトを頂き、お暇するころにはまるで暴風雨のような情況だった。土砂降りの中、とりあえず神保町駅前のアーケードに身を寄せた。雨宿りしていると急ぎ足で目の前を通過していく人、人、人。随分忙しいんですねぇ。雨宿りするヒマもないと見える。自販機でコーヒーを買って飲みながらしばし雨模様を眺めた。落ちてきた雨は道路を走り、ついには行き所を失って路面に溜まり始める。交差点を行き交うクルマが上げる水しぶきと引き波。波?そう、溜まった雨水が寄せては返すを繰り返し、まるで歩道が波打ち際のようになっていたのだった(^^;。わざわざこんなときに急がなくっても、ねぇ。

しばらくして小降りに変わった。そう、こんな雨はすぐに収まるのだ。すかさず本屋へ移動。見ていたらライカ通信のバックナンバーをついつい買ってしまった。ズミクロンの解説があったから欲しくなってしまった。
本屋に入れば古本屋もただの本(情報誌?)好きになる。こんな雨の中、少ないながらも本屋で雨宿りとしゃれ込む人たちは、十中八九本好きであろうな(^^;。

さて、出品した荷物は16点中2点売れず。売れた本も浮き沈みが激しいなぁ。良い本と駄目な本の価格差が大きいのである。いや、売れてくれたのだから文句を言えないのだけどね(^^;。

帰る頃には雨は止んでいた。あの土砂降りは一体なんだったんだろう?

神保町交差点、午後3時半
■2002/01/20 (日) 東京ディズニーランド

最近すいてるらしい。

そんな噂を聞き、娘をまだ連れて行った事がなかったTDLへ出かけた。昨日の夜は楽しみでなかなか寝付けなかった娘。それでも7時過ぎに「今日はミッキーに会いに行くんでしょ」と揺り起こすとスッと起き上がった。スゴイね。

舞浜到着は10時少し前。なんと、前に来たときとは駅前の様子が全く違っていた。左手にはイクスピアリとTDS。モノレールが走っており、なんだか別世界。切符売り場の行列も全く無くすぐ入場。ホントにすいてるんだナ。入場料は3人分15000円。入場してすぐにミッキーを見つけたが傍らに大行列。なんと一緒に写真を撮る行列だった!整理する係員は見当たらない。行儀の良い日本人の”行列”はこういう場所でもキッチリ出るんだね。

まずはトゥーンタウンへ。息子と一緒にジェットコースターに乗り、ジョリートロリーへ。ここも当初はすごい人気だったが、今日は人が少ない。降りたら子供たちが「腹減った」と言い出す。11時過ぎ。早めの食事にしますか。

ファンタジーランドにあるレストランに入る。カツレツとチキンとお子様ランチで4000円超(高い(^^;)。席に着いた直後にジュースをひっくり返す(^^;。こぼれたジュースを片付けるホール係の女の子。別の席を案内してくれた。申し訳ない。
午後は腹ごなしにゆるいイッツ・ア・スモールワールドに入るが、娘が途中で泣き出す(^^;。人形のどこが怖いのか?ライトが下から当たってたから?すかさず大好きなメリーゴーランドでご機嫌直し。やれやれ。それからも何度か”暗い”と泣き出すアトラクション有。そのたびにアリスのティーパーティーやダンボに付き合わされた。活発な娘の意外な弱点発見。

チケットがパスのみの販売になったため、アトラクション入場口でのパスの確認作業がなくなった。また、ファストパスという制度が導入され、待ち時間を短くできる工夫もあった。しかし、ビッグサンダーもスプラッシュもスペースマウンテンもみんな5分待ち状態のガラガラでは、その有難みを味わう事ができなかった。すいてたので一通り乗れてしまった。

19時過ぎ、”怖い”と泣き出さないか心配したスターツアーズが「面白かった」と言った娘に安心してから、お土産を買ってゲートを出た。すぐに「お腹すいた」口撃開始(^^;。イクスピアリ1階の軽食を食べた。坦坦麺は胡麻の風味が利いてなかなか。

帰宅22時。あー疲れた。

夕闇のシンデレラ城
■2002/01/19 (土) 愛書会が近い

来週の金曜日から愛書会展だ。

今回は運悪く約一年に一度回ってくる当番(^^;。古書展の運営は一見単純なようでいて、実はかなり複雑だ。参加する古書店が多ければより複雑さが増す。

当番の仕事は前回11月の愛書会展から始まる。日時は古書組合の古書展会議で一年のスケジュールが決定しているのでイジリようがないが、展示台の割り振りをくじ引きで決め、発行する古書目録のページ割りを皆さんにお伺いする。次に目録原稿締切日、ポスターと目録の出来上がり日を決定し、それを葉書で同人の皆様へお知らせするのも当番の仕事。足りない備品があれば調達するよう手配もする。

前回から会場が教育会館に移ったので、台の割り振り図を新しく作り直した。お知らせの葉書印刷もついでにやった。ある同人さんの休会と新会員の入会があったので一覧表も打ち出した。なんだかんだとやる事がある。

去年のクリスマス大市のあとに印刷屋さんへ入稿しておいたものが、先日15日に出来上がり、各店が申告した部数を整える。
あとは当日、教育会館へ到着してから会員の皆さんを仕切って会場設営と荷物搬入の段取りをし、当日はレジに張り付いてお金の出納長の役目もこなす。お茶の時間になればお茶の手配。お茶菓子を買いに走るのも当番の仕事。会期終了して会場片付けが終わったあとも、そろばんはじいて皆さんの売り上げを計算して明細を書いてお金をお渡しするのまでが当番の仕事だ(^^;。あー書くのも疲れた。

売り上げは帳場で本から切り離す値札を集計する事でわかるのだが、送りになってしまった荷物だと実際には現金をやり取りしていないのに売り上げとして計上しなければならなくなるため、金券を切る事になる。売掛金ということだ。金券で入れた売り上げはその日の実際の売り上げから引かれるのだが、そういう要素も慣れてきたつもりだけれどもなんとなく頭にひっかかってくる(^^;。お近くの方にはなるべく来会してもらいたいと思うのはこういうことがあるからなんです。

今日は来週水曜日の荷物搬出に備えて大量に集まった均一本を縛る作業をした。前回終わってから売れ残った本を一掃し、新たに追加した本ばかりになった。

全部売れてくれてもおかしくないんだけど、そううまくいくはずないよなぁ(^^;。

■2002/01/18 (金) 明古勉強会

久しぶりに寒い日の明古。

朝、竹橋駅の出口を出ると寒さでブルッと震えた。

地方荷が20箱送られてきた以外は入荷もなく、少ない立ち上がりだった。今日は経営員のYくんが風邪でお休み。インフルエンザが流行しているらしいので気をつけたい。
9時少し前にカーゴ4台分の荷物が入荷。大ぶりの揃い物中心。しかし質が良く、状態も良い。9時からのお茶のあと、その荷物の仕分けにかかる。

今日はこれくらいかな?と思いかけたとき、カーゴ一台分の要仕分荷が舞い込んだ。箱を開けてビックリ。昭和初年の詩集の口だった。これはスゴイ。このあいだ読んだ石神井書林さんの日記の中で登場した詩集のオリジナルがここにある。瀟洒な装丁の本から、詩人の想いをありったけぶちまけたような本まで様々。仕分けする会員さんの顔もほころぶ。赤毛氈に載せる本がこうして揃った。

それでも荷物は少ない。開札が始まるとあっという間に前半が終わってしまった。後半の1点もの中心のセクションに移ってからは、札の多さから詩集一口の人気ぶりがわかった。
赤毛氈に乗った「詩集蒼ざめた童貞狂」。活字の組み方のものすごさ。詩の中に詩人の頭の中を駆け巡っている情景が”右に倒れたり””左に傾いだりした”勢いのある活字の並べ方で著されていた。まさに「”活”きた”字”」としての面目躍如たる活字本。納得の高値。この勢いを復刻版では到底表現できまい。現代人がとても到達できない極致にこの本は存在する。

15時半に市会は終了。16時半から明古公開講座が秦川堂書店永森譲氏を講師にお迎えして開講。「絵葉書にみる近代世相史」と題して、明治33年に私製葉書が解禁されてから花開いた絵葉書の世界についての解説をしていただいた。
エンボス処理によって豪華に装飾されたデザイン絵葉書から、都市の名所をコロタイプ写真で紹介したものなどまで。記念絵葉書として売り出されたものを買い求める人で大行列ができるほど、TVのない当時の絵葉書はビジュアル系情報を流布させる格好の方法だったようだ。

講義終了後、会場を元に戻し、近くの店で懇親会。
21時頃にお開きとなり、TさんとOさん、Rくんとワタシの4人は小川町ジョナでKさんと待ち合わせ。いつものように終電まで。

帰宅後、ご注文のメールにお返事。金曜のメールには深夜のタイムスタンプ(^^;。

そーいや、現代は絵葉書からeメールへ移行してしまったなぁ。

靖国通りの雪だるま
■2002/01/17 (木) 梱包財

昨日買ってきた本は整理し終えた。

今日は11時過ぎに郵便が前金のお知らせを11万円分持ってきたので大騒ぎ。荷造りをバタバタやっているうちに時間がドンドン過ぎていった。
最後の一つを終えると、使っている巻きダンボールがなくなってしまった。ウチは本の梱包に1m幅の巻きダンボールを切って使っている。これだと梱包財としては破格の安さで済むし、紙資源の節約にもなる。

いろいろな梱包屋さんの巻きダンボールを使ったが、品質も値段もまちまちなのが困る(^^;。硬いのは出来上がった荷物が厳重に見えていいが、重いので余計な郵便料金がかかってしまい、不経済だ。ウチは三宿にある梱包屋さんが扱っている巻きダンボールを常用している。ここのは軽くて工作が楽で、なおかつどこよりも安いという三拍子が揃っている。

なぜ三宿なのか。それは三軒茶屋にある紙屋さんに包装用クラフト紙を買いに行っているためだ。オヤジがその近所にあるここを見つけたらしい。なぜ三軒茶屋の紙屋さんなのかは不明。どうせ安いとかそんな単純な理由だろうな(^^;。

そんなわけで、今日は市場を休んで三軒茶屋と三宿回りに出発。環七から246へ入り、すぐに三茶へ到着。道はすいていた。この紙屋さんは最近改装して文房具と包装用品屋さんになっていた。レジ袋をついでに沢山買っておくことにした。スーパーがレジ袋を出すようになってから、お客さんの方で「袋に入れてください」と言う方が増えた為、最近は減るのが早い。
レジのお姉さん(かなりの美人)があんまり沢山買うものだから目を丸くしていた(^^;。パタパタとレジ袋を綺麗に折りたたんでうまく手提げに入れてくれた。手際のいい仕事を見るのは好きだ。

一方通行の道をぐるっと回って再び246へ出る。三宿まではほんの1km。交差点を右折し、路地にある梱包屋さんの駐車場へ停める。50mの巻きダンボール4本で9660円。これが半年と持たない。つくづくウチは通販で持っているのだな、と実感(^^;。

帰り道、ラジオをかけると井森美幸が喋っていた。「私の最短恋愛期間」をテーマに視聴者からメールを募集していた。一週間でふられた高校生。一度ふられたけど再びヨリを戻して結婚した人など。世の中様々ですな。

店に戻ってダンボールを下ろす。クルマを置いてくると、近所の木造アパートが二軒取り壊されていた。新丸子もドンドン昔の面影が消えていくね。

■2002/01/16 (水) 仕入れ、有り。

朝からどんより。

変に暖かい。雨が降るな、これは。
竹橋駅を降りて市場へ向かう途中に霧雨のような雨。いよいよか、と足を早める。今日は出来上がった愛書会の目録とポスターを受け取る日。入札して金曜日に持ち帰りきれなかった荷物を手一杯に持つ。帰り際HIDEさんと遭遇。なんでも4月に行われる全古書連大市会の仕事役割分担の会議中らしい。こうして東京で経営員をしている業者は、2年に一度の割合で4月の一週間古書会館にカンズメとなって働くのである。でもいよいよ今年が最後の参加となるかもしれないな。

戻ってきて郵便局から荷物を発送して帰ってくると電話。仕入れのお話だった。「書道関係の本が少しだけあるんですけど・・・」とご年配の女性が遠慮がちに言われる。引越しをなさるらしい。他にはございませんか?と即すと「あと主人の戦前や戦中の古い本がありまして、今度引っ越すところが狭いものだから整理しろって説得中なんですよ」と言われる。戦前・戦中?なんだかスゴイ本があるんじゃないか?と期待が膨らんだ。ぜひご主人を説得してください、と心の中で念じながら、それでは○時にお伺いしますと電話を切った。

地図を頼りに行ってみると狭い路地に同じ番地がずっと続いていて場所がわからない。電話して迎えに来てもらうと筋違いだった。田圃だったときのまま畔が道になったようなところの行き止まりにお宅があった。こりゃあわかりっこない。
ご主人は説得されたのか「取れる本はみんな持っていってください」とうれしい事をおっしゃる。奥様が言われた書道の本は本当に10冊ほど。あとはご主人の本だ。書斎と思われるお部屋に通される。ドキドキしながらどちらですか?とお伺いすると「こちらです」と本棚を指された。
果たして戦前・戦中の本とは戦記物の事だった(^^;。いや、確かに戦前・戦中の古い本ですね。昭和40年代に出された本はみんな埃ですすけていた。

メゲてはいけない。それは失礼というものだ。本を評価しながらいじっているときにあれこれと本の事から話になる。やはり戦争に行かれた方だった。思い入れのある本を引き取る時には緊張する。書き込み本の有無を確認してから評価額を申し上げるととても喜んで下さった。こちらもお礼を申し上げ、本をクルマに乗せて帰ってきた。

霧雨の降る中、家を出るとき玄関先で深々とお辞儀をされた。「本をよろしく」と言われているようだった。

■2002/01/15 (火) ホームページ更新

月曜日が祝日になって何が一番イヤかといえば、中央市会がなくなること。

法律を改定してまで月曜日を休もうなんて、みんな働くのが好きじゃないのかしら(^^;?お休み中に頂いたご注文品と、今日入金された前金分を荷造りして郵便局へ持っていくと、この上ないくらいの混雑だった。人がドアにつかえて中に入れないのだからスゴイ。当然大混雑が予想されるのだから、お年玉年賀状の交換なんてもう少し日が経ってから来ればいいのにネ(^^;結構交換の人が並んでいた。銀行へ記帳に行くとこれまた大行列。やはり経済停滞の元凶たる三連休は即刻廃止するべきだね。

三連休あとの火曜日はそんなわけで気分もしぼみがち。だったらホームページの更新でもしてしまおうか!と勢い良くパソコンに向かった。今日はカメラコーナーにズミクロンのことを書ける。フィルムスキャナーを繋いで写真を取り込み、ひたすら作文。途中途中にメールでご注文が入るからその都度お答えしながら15時過ぎには文章を書き上げた。
あとはデジカメでカメラの肖像写真を撮影。例のキヤノンIXYデジタル200を広角のままマクロモードにして寄る。フラッシュを光らせない方が絞りが開いて写真に立体感が出るからワタシは好きだ。ただ、店の蛍光灯が少し写りこんでしまうのが難点。今日は丁度ファインダーが真っ白に(^^;。

ライカのことを書いているとそれがどこかに伝わるのだろうか。堀野正雄著「ライカの第一歩、第二歩」2冊が店で売れた。なかなか売れない本だと思っていたものがこういう時に売れると偶然とは思えなくなる。

「子供が生まれるとその子供の食い扶持くらいの仕事が舞い込む」なんていう話を聞く。ワタシが生まれたとき、オヤジは東京愛書会に参加することを許されたので、ワタシが仕事を持ってきたのだ、と今でも言う。
ちょっとニュアンスは違うが、入ってきた本もそうなのではないだろうか。あれこれとホームページに書き込んでいくと、それはその本への思い入れとなり、いずれその波動はインターネットに乗って共鳴する誰かに届けられる。誰かが起こした波は必ず誰かの許にまで届けられるのだ。
そう思えれば情報の発信源としてホームページに(なんでもいいから思い入れのある事や物を)書き込んでいくことは、無駄どころかとても重要なことに見えてくる。

起こす波が大きくて強いほど遠くまで届くはず。今はそう信じている。

■2002/01/14 (月) 成人の日

今日は1月の第二月曜日。成人の日だ。

店は朝からサッパリ(^^;。電話が立て続けにかかってくるが「ブリタニカの百科辞典があるんですけど買ってくれませんか」というのが何故か2件(^^;。もう10年以上も売りたいという人ばかりで買いたいという方がいらっしゃいませんので、相場が付かないんです。」と申し上げると、「あら、そんな本で悪いわねぇ。うちは只でいいんだけど、取りに来ていただけるんでしょ?」と切り返えされた(^^;。祝日の電話って大体こんな感じ。電話の向こう側の人にとっては目の前からこのデカイ本が消えてくれれば、というただ1点を念じて電話を掛けてくるからこうして話が噛み合わないのだろう。丁重にハッキリとお断り申し上げた。

さて、そんな成人の日の今日、今朝の新聞にはすでに沖縄で酒を持ち込むかなにかで一騒動あったと書いてある。保護者同伴で式典に参加するように、という自治体もあるらしく、それじゃあ子供扱いではないかとの疑問も湧く。これだけ成人の日を祝うという意味が形骸化してしまっては、誰の何のためにお祝いするのかわからない。

ちょっと調べてみると、休日とするために成人の日は法律で定められているが、どういう形で式典を行うかまでは特に規定がなく、各自治体に委ねられているようだ。
1月15日を成人の日と定めたのは昭和23年。20歳を成人としたのは中国の古書からだとか。にしても、去年から始まったハッピーマンデー政策により、この成人の日もまた記念日という意味合いが薄れたことは否めない。

アンケートによると、20歳を成人と意識して受け止める人は半数もいないという。参政権が備わるといっても投票率が過去最低記録を更新する時代では別に何の不思議もない。ワタシも当時そうであったが、やはり自分で働いて稼ぎを得るようにならなければ自分が本当の意味で成人したという自覚には結びつかない。何歳が成人だと思いますか、という問いに23歳と答えた人が多かったのはそういう気持ちの反映だろう。

ただ、それと荒れた成人式が直結してもらっては困るなぁ(^^;。23歳を成人とすればそういう騒ぎもなくなるのかしら?いずれにしろ、こうなってしまった以上、成人の日は一度廃止する必要があるとワタシは思う。

当時20歳だった13年前、ワタシは式典を欠席した。最初から行こうとも思わなかった。

■2002/01/13 (日) 再びかはくへ

女房が鼻風邪をひいていてあまり遠出できるとも思えなかった。

行くところがなくなり、再び上野のかはくへ行くことにした。科学博物館のことである。変な言い方だが、実際に博物館へ行けばでかい垂れ幕に「ようこそかはくへ」と書いてある。この言い方がオフィシャルらしい(^^;。誰が言い出したんだか。

夏に行ったときの続きを見ようかと思っていたのだが、結局子供が最初から見たいと言い出し、前回とあまり変わらないことになってしまった。記憶力が悪いというよりも、「面白い」と覚えていることなら何度でも見たいやりたいということらしい。忘れたんじゃなくて、しっかり”面白かった”と覚えているのだ。

食事はみどり館1階にある食堂へ。上野精養軒が運営していた。すでに13時半を過ぎていたにもかかわらず大行列ができている。お子様ランチはすでに売り切れ。息子はチキンライス520円を注文。ワタシはカツカレー650円。女房は娘と二人で草食ランチ(^^;800円。なんだそのネーミングは。あわててメニューを見るとその草食ランチの隣には焼肉主体の肉食ランチがあった(^^;。さすが恐竜が売りの”かはく”だね。
20分くらい待っていざ席に付く。いったい草食ランチってのはどんなものが出てくるのか。来た。ボーイさんが「草食ランチはどちら様でしょうか?」と運んでくる。一瞬”朝食ランチ”とも聞こえたが、それじゃあ”朝食昼飯”となるからありえない。果たして出て来たのは野菜コロッケと魚介たっぷりのクラムチャウダーにコンソメスープ。確かに肉じゃないけど草だけじゃなかったね。さすがに精養軒らしくて安くてもそれなりの味。カレーのカツもちゃんと温かだった。
出る頃には14時を過ぎていたけど、行列はそのまま。かなりの人気店だね、ここは。

前回見たとおりを繰り返し、閉館時間に外に出た。丁度日没時間。夕闇にまぎれていく上野公園をかるく散策し、工事中の上野駅を見てから地下鉄に乗る。あの有名な駅舎はすっぽり「防音」シートで覆われていた。

途中渋谷東急で夕食。食堂街の「饂飩四國」という讃岐うどんの店。息子はぶっかけきつね。女房はぶっかけ海老天。ワタシは生醤油かきあげ定食。娘は「パンが食べたい」というのでガーリックトーストを頼んだ。讃岐うどんのしこしこしたうまさ。司牡丹を一合飲むとすっかり上機嫌。なかなかいい店だった。

なんだか今日は食べる話ばっかりだ。

■2002/01/12 (土) 明古通信

ある方から昨日明古通信のコピーを頂いた。

最近の号ではない。今から14年前、まだ昭和が終わっていない頃の明治古典会通信だ。この中では現在ご活躍の方々が新会員として文章を寄せられていたり、大市会などで憧れの品物を”買った””やられた”という本をめぐる生き生きした情景を窺い知ることが出来る。

その中で一文、明治古典会草創期からご参加の木内書店さんの書かれた「他意はないけど、云いたいこと」という文章が目に止まった。
「そうねェ、気にいらないこと、云いたいことねェ、まァあるにはあるけどねェ・・・。」という書き出しで始まるこの文章。市場での気になっている風景に歯に衣着せぬ勢いで言及される。

「たとえば市場の最中、いつまでも品物をこねくりまわして見てるヒト、慣れてないっていうか、判断がにぶいっていうか、時間ばかりかけててジャマだねェ。プロなんだからツボを押さえて、どんどん先に進んでくれなくっちゃねェ。それから落荷をやたらいじくりまわしてるヒト、落ちたが最後買ったほうの持ちものなんだし、誰だって見られたくない札もあるし、勉強のためってんなら、拝見させてくださいぐらいのあいさつがあって然るべくで、ましてやポケット片手にヒョイヒョイひっくり返してるもん見ると、マナー以前の問題だねェ。」

ここまでで冷や汗をかかれる方も多いはず(^^;。無論、運営側へも”口撃”の手は緩めない。

「会の方にだって、考えなきゃならないこと多いよねェ。もっとキチンと荷を切るとか、陳列後の点検をサぼらないとか、見るのに手間取りそうなのは、あとのほうに置くとかね。たてこんだ日の並べかただって、平台の三列のうちの真ン中は、途中で向き変えて、人の流れを早めるとかね。工夫しなくっちゃねェ。それには1年任期じゃなくて、2年ぐらいでジックリやれるといいんだけどねェ。」

ハイ。その通りです(^^;。キチンと荷を切るよう、陳列を見易いよう、工夫していきたいと思いますデス。

そして最後にこの文章が来る。
「とにかく商売ってのは、終りがない、卒業ってのがない。(中略)若いうちからドンドン中央に出てこなきゃ。出てきて真剣勝負の場でモマれなくちゃダメなんだヨ。損して、痛い目にあって、セッサタクマしないってえと進歩がない。その結果仲間ができる、ほんとの意味での友達ってのがね。」

ワタシは日々真剣勝負しているだろうか。耳の痛いことだ。

■2002/01/11 (金) 明古初市

今日から明古が始動。

出品点数は800点ほどと丁度良い感じか。年末でKくんが経営員を辞め、経営員は10人体制となった。これからは以前よりも一人にかかる仕事が増える。そのことをワタシを含めた経営員一人一人が自覚できればいいが。

初市で買えたのは木下夕爾全集と江戸時代風俗関係1本、それに篠山紀信「晴れた日」と何の脈絡もない(^^;。ま、正月早々無理して自分の実力以上の品物を買うこともないか。急発進は事故の元。今年も自分のペースは崩さない。
最終の赤毛氈には版画関係の本がいくつかと、坂口安吾の原稿が。文学館にでも行かなければ見られないような品物がこうして目の前にあり、触ることさえ許されている。去年の明古七夕大市で芥川のノートを”ぴとっ”と触りに来た女の子がいたけど、憧れの文学者が直接書いた原稿に対する接し方としては気持ちが良く現れていると思ったっけな。ちょっと考えたら大変な贅沢だよね。

初市で明古はお年賀の品を毎年用意している。今年はおせんべいと業者の名札を入れられるストラップ。なかなかカッコいい。
みかんも一緒に出していたけど、これは組合からかな?市会終了後に掃除をしていたら、みかんの皮(中身だけ歯でこそいだ中袋の残りもあり)があちこちに散乱していた。食べた物はちゃんとご自分で片付けてくださいまし(^^;。

会員さんは淡路町トライアングルの一角を占めるお店で新年会とのこと。我々経営員も近くの中華で新年会。おいしく新年がスタート。そのあと若手数名は銀座へ流れたとやら。ワタシはOさんとともにTさん、Kさんと小川町ジョナで合流。21時頃に入り、終電までしゃべり通し。30代4人で話す会話の内容はここには書けないくらいアブナイのが多し(^^;。

シブヤ系の女の子がよく言う「ちょー」について話したときにはおっかしかった。Oさんが「NHKの台風情報でアナウンサーが「ちょー大型台風○○号は・・・」って喋ったら、抗議の電話がひっきりなしにかかってきたんだって」という話。「ちょー大型」の「ちょー」は「超」だったらしいんだけど、見ている受け手の視聴者のほうがすでに「超大型」という日本語を失ってしまっているから、じょしこーせーが言っている「ちょー」に聞こえてしまうらしい。ニュースをふざけて読むとは何事だ、とか(^^;。話が逆だよね。

帰りの東横線終電は”ちょー混み”(^^;。

■2002/01/10 (木) アルバム整理

正月から溜まった写真の整理をしている。

なんでこんなに溜まってしまったのだろう?と思うほど、丸3年の間に撮った写真はワタシの前に積み上がった。やはりカメラをひっくるめて写真を撮る”コト”が好きなのだろう。できた写真を見てすぐにお蔵入りさせてきた結果がこの写真の山になったのだ。フィルムと現像代金だけでいったいいくら使っているのだろう?計算するのがコワイ。

「いいかげんに何とかしたら?」と前から女房に言われていた。なんとかしなきゃとワタシも思っていた。ただこれだけ溜まってしまうとどうやったらいいか思い付かない。ワタシは基本的に写真を捨てられない性格だ。

とりあえずいじってみよう。写真を実際に見ているうちに何か思いつくだろう。そう考え、少しづつ撮影した年代順に並べ始めた。その時思い出す限り撮影に使ったカメラを書き出した。いや、ところが不思議なことに何で撮ったかほとんど覚えているのだ。使ったカメラに組み合わせたレンズ。描写の画角など、はっきりわかる要素がなくても、写真を見るとその時そのものがありありと記憶の引き出しから引き出されてきて、写真に写っているコト以上の想いが溢れてきた。スゴイ。

これだから写真は捨てられない。

見れば見るほど面白い。そうか写真を見るのはこんなに楽しかったのか。一人で整理しているのがもったいなくなってきて、洗濯物を畳んでいた女房を呼んだりして。
カラーネガの写真は日曜日に出かけた時撮ったものが半分以上を占める。まだ小さい頃のウチの子供たち。最近はギャーギャーとうるさい二人も写真に収まってしまえばおとなしい(アタリマエ(^^;)。子供たちがスヤスヤと寝ている横で夫婦二人が写真を見ながら思い出話に花が咲く。

スナップ写真はファインダーの中を全て見渡して撮る訳じゃないから、今見ると「何じゃ?」と思えるようなものまで写りこんでいることがある。そういうイレギュラーな発見があったりして、やはり古い写真を見るのは楽しい。先週撮ったありふれた写真だって、2年3年経てば貴重な記録になる。時間は決して後戻りしない。3年経ってからあの時のコトを撮影しようったって時間がそれを許さないのだ。

とりあえず子供のイイ写真を抜き出してアルバムに貼り付けた。あとはミニアルバムに入れるものと、封筒に突っ込んで箱に仕舞っておくものに整理するつもり。

写真を捨てないのが甘露流だ(^^;。

■2002/01/09 (水) ケータイ買い替え

去年の2月に買い換えたケータイの電池がヘタってしまった。

夜の間に充電して朝から夕方までしか持たない状態。これでは一番使う時間帯に使えないので困っていた。カタログ落ちしている機種だけどショップへ行けば電池くらいあるはず。まあでも丁度いい機会だからと機種変更することにした。
小川町交差点際にあるショップへ。意外に混んでいる、というか窓口が二つともふさがっていた。一人はワタシと同じように機種変更をしに来ている人。もう一人は機種変更したいのだけど何に変えればいいか相談しに来ている人だった。窓口のお姉さんが愛想良く親切に対応しているものだから、なんやかんやと根掘り葉掘り聞いている。いや、別に聞くのが悪いんじゃないのだけど、結局長時間聞いておいて「また来ます」と最後には帰ってしまったのだ(^^;。お姉さんも大変だな、と思った次第。

で、ワタシはその愛想良いお姉さんの所で手続き。今や窓口に置いてあるパソコン端末ですぐに変更が可能になっていた。電話番号を聞いてすぐに端末に入力すると画面にワタシの個人データがきっちり表示されているらしい。で、新規に買い換える機械を端末に接続してカチャカチャ操作するとあっという間に「ハイ、これで使えるようになりました」とニッコリされた。ははあ、便利な世の中になりましたなぁ(^^;。
「データは移し変えますか?」と聞かれ、それもすぐに出来るのか、とまたびっくり。元の機種からデータを吸い上げ、それを新しい機械に入れるのに5分ほど。その間にもショップには修理に出していたのを回収に来る人や、機種変更しに来る人が絶え間ない。全体で20分ほどで全て完了。「ありがとうございました」と深々とアタマを下げられて店を出た。

今度買ったのはGPS機能が付いているという折りたたみ型。実は折りたたみ型を使うのは初めて。GPS機能なんて使わないのだろうけど、なんだか目新しいかんじとデザインが気に入ったのでこれを選んだ。値段は新規と変わらないからまだ出たばっかりらしい。使えればいいと思いながらも一番新しいのを選んでいるところが”隠れあたらしもの好き”の本領発揮といったところか(^^;。

そうそう、M6の電池が切れた。取り説をよく読まなかったのがイケナイのだが、シャッターダイヤルに「off」というポジションがある。そこにセットしなければ消耗してしまうようだ。

電池入りライカの弱点。

■2002/01/08 (火) 寒い

昨日から結構寒い。

店を開ける前に昨日回ってきた訃報を町会の各班長さんへ配りに行く。これは町会理事としての仕事。そのあと昨日メールでご注文頂いていた本を出しに郵便局へ。風が強くて寒い寒い。火曜日は普段から郵便振替入金の通知が来ない日。土日に郵便局が作業を休むからであろう。
店を開け昨日買ってきた本の整理をしてパソコンに入力。出来次第「日本の古本屋データベース」にアップする。これだけでもひとりでやると結構時間がかかる。昼飯を挟んで作業終了は14時過ぎ。

ん、作業に夢中で気が付かなかったけど、今日は文庫しか売れてないんだなぁ(^^;。今日から学校が始まったからかしらん。
元旦から店頭が黒山の人だかりとなった近所のおもちゃ屋さんは昨日今日と休業。そのためか人通りも少なく見える(^^;。商店街というのはそもそも小さい商店がたくさん軒を連ねているから成り立っているシステムだった。それがこの不況で櫛の歯が抜けていくように1店また1店と店を畳んでいく。新丸子東口よりも華やかに見える西口医大通り商店街もまた、1店また1店と店を畳んでいく様子が痛々しい。抜けた歯をそのままにしておくと今度はその隣の歯が痛んでくる。や、これは櫛のハナシ(^^;。

しもた屋となったところに外から入ってきたお店が開店しても、あまり長く続かないようだ。もともとご自分の地所だった場所に開店しているか、繁盛していた時期に借りていたところを上も下も買えたお店はなんとか持ちこたえている模様(ウチはこのパターン(^^;)。それ以外は、たとえば戦前・戦後の古くから店を出しているので家賃が特別安いなどの理由がなければ長く続けるのは困難。
ここ新丸子はマンションの乱立で人口の爆発的増加が起こり、一見西口も東口も人通りが絶えない商店街のように見えるが、よく観察しているとお客を集めているお店はスーパーやコンビニなどごくごく限られていることに気が付く。南北線の開通などを見越して商店街の一角にうまく出店できても、実際にはそこからが正念場となるのだ。

日曜日に歩いた浅草仲見世。激しい人通りのなか、繁盛している店と繁盛していない店があった。ほぼ同じ条件の中、どこで差が出るのだろう。単価を下げて忙しく働くのか、上げてゆったりするのか・・・。イヤイヤ、そんな悠長に考えている場合じゃない・・・か(^^;。

■2002/01/07 (月) 初市

今日の中央市会から本格始動。しかしどんよりと曇り空だ。

さて、土曜日に出品しておいた荷物はどうなっただろうか。
前金分の発送を終えるとすでに13時少し前(^^;。中央市会の後半は14時半過ぎから開札が始まるのでこの時間でも間に合う。駅で電車に飛び乗ると丁度自由が丘で特急連絡のダイヤ。ツいてる。

だが、ツキもここまで(^^;。出品した4本口はやはり札が入っていない。むむむ、やはりね。駄目な本は積み上がれば積みあがるほど駄目さが増してしまうようだ。なんて書くと「駄目な本」という言い方は不適当とお叱りを受けそうだ(^^;。でもねぇ、古本屋ってのはそういう仕事ですからね。
年末にタテバの人から買った本にも札が入らず。オヤジの「それ見ろ」と得意げに言う顔が脳裏に浮かんでくる。ま、駄目な本はどうカッコつけても駄目なのよね(^^;。

入札を終えてからズミクロンを持って街に出る。心なしか雲が切れてきたような気がする。いいタイミングだね。
カラーは昨日使ったので、今日はライカにモノクロを詰めてきた。やはり街歩きにはモノクロが定番。竹橋から神田駅に向かって歩く。所々看板建築が名残のように残っている界隈。だがそれもあと少しの命だろうな。江戸東京たてもの園が引き取ってくれればいいけど、全てというわけにはいかないだろう。神保町がほとんど全滅した現在、一日でも長く現役でいて欲しいと思いながらシャッターを切る。

神田駅周辺のなんとも猥雑な雰囲気はいつ見てもスゴイと思う。JRのガード下の奥の奥にまで飲み屋さんあったりして、一日中日が当たらないそんな場所でも店をやっていけるんだからやっぱり不思議な場所だと思う。歩いているといつの間にか信号には日本橋室町とある。行き過ぎた。須田町の交差点まで戻り、そのまま秋葉原へ。

歩いている途中の不動産屋さんを見ると、場所柄空き事務所の案内ばかりだ。坪あたり12000円から17000円といったところか。でもたとえば20坪なら家賃は安くても24万円だ。とても古本屋が払える家賃じゃない(^^;。第一権利金をどうすんのよ。安くなったと言いながらも古本屋には縁のない話のようだ。

市場に戻る頃には夕闇。出品12点中10点売れていた。タテバものはやはり駄目だった。ま。こんなものでしょう。愛書会で安く付けて売ってしまおう。

ケータイの電池が駄目になってしまった。物入りが続くなぁ。

■2002/01/06 (日) 浅草へ

時計を見ると13時少し前。

○トールを出た一行は上野駅を目指したが子供たちの腹が持たない。うどん屋を見つけたので入る。女房は娘と二人で天丼セット、息子は力うどん、ワタシはカレーうどんセット。残すだろうと思いきや息子は餅まで食べ切った。スゴイ。

アメ横をライカで流しながら地下鉄で上野から浅草へ。正月も6日だというのにまだまだ人が多い。雷門から仲見世を歩く。娘は雷門も仲見世も初めて。でっかい堤燈をはじめ、見るもの全てが物珍しいらしい。でもこの混雑では歩いていると通行の邪魔になってしまう。仕方ないから肩車した。高いところから見る仲見世はどうだ?娘は笑っていた。

本堂前の人ごみ。線香の香り。本堂へ飲み込まれていく人波。それでも元旦や三社祭りよりは少ないだろう。そのまま花やしき通りへ流れ、ライカで調子よく六区を撮っているときに娘が「こちっこお」とおしっこを知らせた。慌てて浅草寺の公衆便所まで戻る。木馬館では新春公演の最中だった。

日が傾いてきて日陰はかなり寒くなってきた。おしっこが終わったら今度は「おなかすいた」の大合唱。屋台でたこ焼きでも食べようかということになった。どこもこの時期はテントを張って中で食べさせてくれる。アツアツのたこ焼きを頬張ると少し温まった。

「遊びたいー」と息子(^^;。いろいろうるさいねぇ。有名な「暮六つ」というお店の前にある弁天山公園に連れて行って遊ばせる。新聞などで”危ない”と報道されたボックス型ブランコは撤去されていた。16時を過ぎていよいよ寒くなってきたから浅草を後にする。

銀座線に乗って日本橋で途中下車。高島屋の食堂で夕食を摂ることにした。正月特別メニューというのがいくつかあって、息子はいつものお子様ランチ800円、女房は洋風懐石弁当1500円、ワタシは和風季節弁当1500円を注文。正月だし少し奮発しました(^^;。
でも出てきて食べてみるとどれもうまい。ちょっとした料理屋なら1000円増しで出てきてもおかしくない味だ。これはお得だったなぁ。

季節弁当

まだ18時前だったので高島屋名物のエレベーターなどを見物。完全にオノボリ状態(^^;。5階の玩具売り場に子供たちを放し、ワタシは文房具売り場を逍遥。ボールペンをいくつか見たけど買わず。結構いい値段のものが多かった。地下鉄乗る前に高島屋玄関の前で残ったフィルムを開放付近で試す。

帰宅は19時半。

■2002/01/06 (日) ズミクロン35mmF2

朝からいい天気だ。

昨日高輪で見てしまったので、気持ちはググッとズミクロンに傾いていた。やはりどう考えてもヘキサノンよりも重要度は上である。Web上でズミクロンを置いてあるお店を検索した。これだけインターネットが普及したにもかかわらず、意外にまだ本気になって在庫を開示するお店は少ないようだ。ズミクロンなんてありふれていると思っていたのになかなかヒットしない。その中で8本も在庫をアップしているお店を見つけた。御徒町のKカメラである。たまたま今日は家族で浅草を散策しようなんて計画だったのをいいことに、先にズミクロンを買ってから浅草を撮ろうと決めてしまった(横暴(^^;)。

先日買ったアサヒカメラの広告ページにKカメラの地図があった。前は上野○井のすぐ裏にあったのだけど、移転して場所がわからなくなっていたのだ。地下鉄では仲御徒町駅が最寄。何線?と息子に聞いてみると地下鉄路線図を見せられた。日比谷線だった。なんだウチの目の前を通ってんじゃん。

11時過ぎに出発。たまたま日比谷線直通電車がホームに入線してきた。すいていたので家族4人がたっぷり座れた。ツイテる♪。ただ子供にとって地下鉄が長く続くのは退屈でツライらしい。上の子はまだしも下の子はモゾモゾと動いて落ち着かない。そんな家族の事情を知らない日比谷線はゆっくりと銀座を通過する(^^;。

秋葉原の次が仲御徒町駅。やっと到着。地上へ上がるとまぶしい空。JRの御徒町駅傍にある○トールコーヒーに家族3人を置いてKカメラへ入店。鏡張りの高級感溢れる店内。ズミクロンを探した。あった。元箱入りのものから並品まで8本ほど並んでいた。さあて、何にするか。ボディと年代をあわせるのならライカカメラ社になってからのものがあったけど、ライツ時代のタイプがあるとどうしてもそっちに気持ちが傾く。面白いなと思ったのはライツ時代の個体は8枚玉も含めて全部カナダ製だったこと。ウエッツラー製は一本もなかった。

後玉に少し曇りの出てきていたズマロン35mmF3.5を下取りとして出すと、評価額を少し上乗せしてくれた。買ったのは95000円の値札が付いていた277万台。店の人に聞くと、ライカポケットブックを出してきてシリアルを調べてくれた。すると、M5の後のライツ社が一番混乱していた時期のものらしい(^^;。

まあいいや。清算したらすぐに店を出て家族を迎えに行った。

ズミクロン35mmF2を装着したM6
■2002/01/05 (土) 出品

月曜日から市場が再開する。

年末から溜まっていた本を初市に出す為、今日は朝から竹橋を目指す。

10時過ぎに店の倉庫から荷を出し、クルマを取りに行ったついでに倉庫の本を荷出し。後ろトランク一杯分を乗せて出発。空は晴れていた。
ところが五反田を過ぎたあたりから一転して曇り空。三田を過ぎた頃には空から白いものがチラリチラリと降ってきた。また雪かよ!
風が強い。季節風が強まって太平洋側にまで雲が流れてきているのだろう。ということは山を隔てた向こう側は各地で大雪かなぁ。この冬は雪が多くて大変ですねぇ(^^;。竹橋に到着する頃には雨混じりながらも本降りになっていた。

地下駐車場にクルマを停めて荷物をカーゴに載せる。何台かトラックや自家用のクルマが停まっている。エレベーターで3階へ。まだガランとしている会場。正式な開館日ではないため、来客用エレベーター側はシャッターが閉まっていた。これから荷が満ち、月曜日にはパンパンに入っているのだろうなぁ。
中央市経営員のNさんがお一人で展示台をセッテイングされていた。お正月早々お疲れ様です。出品登録をしてから駐車場へ戻る。

帰り道も雪の降る中、途中高輪へ寄る事にした。ズミクロンとヘキサノンのどちらを買うか決めるためにお値段チェックである。高輪のカメラにはほとんど保証が付いていない。そのためお値段が他店に比べると明らかに安めに付いていて、一定期間売れないとさらに一割引にしてしまうから品物の回転が非常に早い。今日行ってあったから明日もあると思ったら間違いだ。まるで古本のよう。お目当てのズミクロン35mmを探すとたった1本だが在庫があった。ただしクローム色。お値段はケース・フード付き美品が105000円の一割引。ただねぇ、ボディが黒だからレンズも黒で揃えたいんだよねぇ(^^;。充分買える値段だったのだが色違いで断念することにした。多分黒だったら買ってしまっただろう。

帰ってきて正月に撮った写真を受け取ってくる。ズミクロン35mmとエルマー50mmで撮った正月。久しぶりに会った子供たちの笑顔。楽しそうなウチの子供二人。やはり子供にとって正月は楽しいのだろうな。もうワタシたちは大人として、この何日間がつまらなくても子供たちは楽しめるような正月にしてあげなければならないのだ。写真を見てそう思った。

楽しいけどちょっとツライ。これが大人のお正月なんだなぁ。

■2002/01/04 (金) 仕事始め

甘露書房は今日から店舗営業開始。

お休み中に頂いたご注文品の発送と、前金分の発送を一気に済ませる。

世間はこの不況のなか、正月もお休みせずに店を開けるところもあるのだが、金融機関は年末と正月3日間たっぷり休みだ。この二極分化した現象はどう考えればいいのだろう。
銀座の目抜き通りは人出の多い週末にシャッターを下ろして平気な顔をしているこれら金融機関が邪魔で仕方ないと聞いたことがある。今や不況の原因とまで言われるこれら金融機関が、休日も返上し、本気でがんばろうという気持ちを持たなければ日本が好景気を取り戻す事など出来ないのではあるまいか。
休み明けの郵便局は窓口がごった返していた。明日、あさってとまた休みとは、なんとものんびりしたもんだねぇ(^^;。民営化した後、世間の荒波に飲み込まれなければいいが。

店を開けてみて気が付いた。そうか、今日休みを取ってしまえば来週頭まで正月休みなのか。開けたはいいけどいきなり休日モード突入(^^;。年末どうしても整理できなかったカメラカタログ関係を整理する。昼を過ぎてからようやくお客様がポツポツと。その流れも17時を過ぎた時点で完全ストップ。やはりまだ世間は動き出していないらしい。
現在店頭で2000円以上お買い上げの方には年始恒例のタオルをプレゼント中です(なくなり次第終了です)。

正月中に撮影したフィルムは36枚撮りでわずかに3本のみ。結局正月休みと言ったって、この歳になるとあらかじめ決められたスケジュールをこなすので精一杯。これって仕事をしないだけで全然休みじゃないんだよね(^^;。唯一31日がフリーといえばフリーだったけど、正月にアップできるようにと、M6TTLのことを一日かけて書いてしまった。ううむ、ワタシって休み慣れていないのだろうか?まあ、何の束縛もない為に不安になるよりは数段マシなのだろうけど(^^;。

年末、正月はいろいろと特番が組まれていたけど、結局一番面白かったのは箱根駅伝往路の中継だったなぁ。ベタと言われようが、人が一生懸命がんばっている姿を見るのが好きだ。たすきに込めた想い。
晴れ着着てタレントが大勢出てくる”スペシャル”という名の手抜き番組もそろそろやめにしませんか?今は正月がおめでたくなくなっているのだから、もう少し考えようよ。

正月に普段どおりの編成で臨んでくれる勇気あるTV局は出てこないのだろうか?

■2002/01/03 (木) 千葉へ2

朝8時半起き。

千葉でも内陸のため、朝はかなり冷え込む。カチンと冷たくて透き通った空。降りそそぐ紫外線。なんだか川崎とは違う国に来たような雰囲気だ。

昨日の夜ライカ通信を熟読してしまった。コニカからUCヘキサノン35mmF2が出ているそうだ。あのヘキサー付属のレンズが再び復刻されたのだ。価格は中野で95,000円。ううむ、手が届きそうな届かなそうな値段だ。M6を買って最初に欲しくなったのは現行のアスフェリカル(非球面レンズ)化される直前のズミクロン35mmだった。もし今回のヘキサノンが96年に復刻されたときの価格のままならばすぐに買ったかもしれない。しかし、今回は中古のズミクロン並に値上げされていた。どうしたものかな。ヘキサーのあの描写をライカで実現させるのか、それともまだ使ったことのないズミクロンレンズを買うのか。しばらく考えてみよう。

大勢での朝食のあと、子供たちはお姉さん夫婦の子供たち二人とともに山に登って霜柱だらけの土をスコップやシャベルで崩す作業。相変わらずの冷たい空の下、子供は風の子である。子守としてそれに付き合うワタシは寒くて仕方ない。凍えながらズミクロンで彼らの仕事の様子を撮影して気を紛らす。風が強い。

午後からは皆で持ち寄った食材でバーベキュー大会だ。4人兄弟(姉妹)が家族をそれぞれ連れてきて総勢13人。これでもまだ全員ではない。すごいなぁ。カルビ、ハラミ、ロース、ホルモン、ウィンナー、焼き鳥、手羽、焼き芋、にんにく、にんじん、たまねぎ、かぼちゃ、しいたけ。肉以外はすべてお父さんが畑で作ったものだ。しいたけなんて大分のどんこ顔負けの肉厚さ。バーベキューなのにステーキのような感じで贅沢だ。子供たちも食が進む。普段よりも沢山食べているようだ。最後に焼きおにぎりを食べる。腹いっぱいだ。

バーベキュー大会

日が傾いてきたので、焚き火を始める。立ち枯れた木を今日のために溜めておいたらしくて、お父さんが置き場から限りなく出してくる。枯れ草にマッチであっけなく点火。天高く火柱が立ち上がった。あー暖かい。その火が消えぬ間にお暇することになった。もうあたりは真っ暗になっていた。

最初に帰る人は皆から送ってもらえる。娘は振り返りいつまでも手を振っていた。次はGWかな?

帰りは湾岸の渋滞が予想以上だったのでアクアラインを使う。海ほたるで休憩。お土産をいくつか買って川崎側へ。

海ほたる夜景

20時帰宅。

■2002/01/02 (水) 千葉へ1

朝8時半起き。

今日は千葉にある女房の実家へお伺いする日である。朝から忙しないものの、朝飯しながらTVで大好きな箱根駅伝を見る。出掛ける用意をしながらもしぶとく見る。出掛けてもクルマで見ることにする。

この正月はライカM6一本で行くことに決めていた。昨日から付けっぱなしのM3用ズミクロンはそのまま。カメラバックにエルマー50mmF2.8をしのばせた。フィルムは開放付近を使いたいということもあったので、コニカのISO200ネガカラー。いや、ただ単に安売りしていたフィルムの消費も兼ねているんだけどね(^^;。

出発は11時少し前。車中は箱根駅伝。中原街道から五反田を抜けて桜田門までは順調だったのだけど、今日が皇居一般参賀の日だということを、内堀通りが通行止めになっていて初めて思い出した。日比谷方面へ伸びる渋滞。帝劇前も観光バスが連なって動かない。すぐに右折し、渋滞から逃れた。と同時に一度も走ったことがない道になってしまった。まあいいや。カーナビの画面を見て新大橋方面に抜けられるとわかってからはそのまま直進することにした。主要道から1本外れているのか、ガラガラのスイスイである。わざわざ渋滞道を走ることもない。

ちょうど都営新宿線の上を走っていることになり、小松川付近で京葉道路(靖国通り)に走路を戻し、近くのガストで昼食。正月2日から結構なお客様の入り。まあ外で食べた方が奥さんも休めるだろうからね。
篠崎から京葉道路へ入る。途中穴川で少し詰まったものの、あとは順調。到着は14時半過ぎ。箱根駅伝の往路は神奈川大学が優勝。

到着すると部屋が引っくり返っていた(^^;。女房が加わって部屋整理開始。その間ワタシは子供二人を連れてお庭を散歩。山に登ったり穴を掘ったり。そのうち強風が吹きはじめ、空がにわかに掻き曇ってきた。あまりに寒いのでクルマに乗り込むと、なんと!雪が落ちてきた。寒いはずだとあきれかえる。
掃除終了で部屋の中へ。寒い寒い。ストーブに張り付く。女房とお母さんは夕食の用意開始。子供はTV。ワタシはやることがないので近くの駅前までクルマを走らせ、本屋を目指す。雪は幸いにも止んでいた。

2日から結構スーパーがやっているものだ。その中の本屋でアサヒカメラとライカ通信を選び、ついでに日本酒を買って帰る。夕食は20時半過ぎから。続々と女房のご姉妹一家到着。

就寝23時過ぎ。

凍った空
■2002/01/01 (火) 謹賀新年

あけましておめでとうございます。

いつものように「行く年来る年」を見ながら年越しそばをすすり、新年を迎えた。TVはほどほどにして風呂に入ってから寝た。

朝は8時半には目が覚め、新聞を取りに行くと正月版で分厚くなったためか新聞が入りきらなかったようだ。慌ててシャッターを開けて新聞を回収。すると程なくして年賀状が配達された。意外に早いね。

正月の新聞は企画ページばかりでつまらないからTV欄以外は見ない。でもちらしは見る。元旦営業しているというせっかちなスーパーや家電量販店の宣伝文句を見るのが好きなのだ。そんな中、ウチの近所の玩具店のチラシが入っていた。なんと2月末日で店をたたむとある。今日からそのセールをするというのだ。そうかぁ、いよいよ不況は近所にまで影響を与えはじめたか、と正月早々足元を掬われたような気持ちになる。
窓を開けて外を見ると、もうすでに玩具店は開店し、そのワゴンに人が群がっていた。そんなに安く売っているのだろうか。その様子を見て子供たちは「買ってー」の大合唱。ダメっ、の一言で退ける。

昼頃に実家へ向かう。去年結婚した弟夫婦も来る事になっている。新年の顔合わせである。子供たちはお年玉をもらっていた。家長であるオヤジの挨拶と乾杯。手造りの伊達巻と栗きんとん。日本酒がうまいうまい。一年ぶりのお雑煮は鳥肉と小松菜に出し汁のシンプルな関東風。もちは4つで腹いっぱい。

息子のたっての希望でトランプ大会。彼は神経衰弱が得意らしい。確かになかなかの記憶力。酒が回って意識レベルが下がっている大人は苦戦(^^;。
一段落したので近所の神社へ。行ってみると結構行列している。まあ正月らしくていいけどね。みんな何をお願いしたのかな?M6にズミクロン35mmでスナップ。やはり初出動はM6。

ウチに戻ると近所の玩具店にはまだ黒山の人だかり。すごいなぁ。売っているのはナツカシ系のデッドストック物も多数ある模様。棚はもうすいていた。
年賀状のチェック。やはりどうしても出していなかった人から頂いている。残しておいた葉書が足らず、近所のコンビニを回って年賀状探し。7にはなかったけどファミマにありました。やはり7の方が繁盛しているようだ。

これから夕食をしながらウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見るつもり。なんでも日本のミスター・オザワが指揮をするらしい。楽しみだなぁ。

2002年01月31日 | Posted in 甘露日記 | | Comments Closed 

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